S・O・A・P!!
「CRP 0.15……か。」
背もたれに体重をかければ、ギシッ……という音を立てて椅子が悲鳴を上げる。電子カルテ上に示されたマーテルの検体データの数値は、彼女の身体が正常に回復したという事を知らせるものだった。先日、先生があの信号機トリオにICした通り、明日の午後にはマーテルは退院することが出来るだろう。
人気のなくなった薬局内に機材の重低音だけが鈍く響く。日勤帯から夜勤帯に変わり、急に静かになるこの時間は少し苦手だ。夜勤で一人残るプレッシャーからか、日勤帯の疲れが一気に出るからか……きっと、両方かな。胸が騒ついて落ち着かない。
……それだけ、だろうか?
「あいつら……明日からどうすんだろう」
無意識に飛び出した言葉に、私は驚いて口を閉ざす。何、言ってんだろう。いいじゃんか、別に。
待ってたんでしょ?これでようやく厄介払いが出来るんじゃない。
「……」
考えとは裏腹に心はいっこうに晴れない。私を置き去りにして、時間だけが無情に進んでいくような気がした。
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「……いよいよ明日、か」
「明日の昼―……だったな。医者の話だと」
遠くに見える山々の稜線が白み、朱色に染まっていく。仲間の―……クラトスとユアンの話し声を聞きながら、僕は夜の衣へと徐々に着替えていく空をぼんやりと眺めていた。この国でも空は僕達のいた国と何ら変わらない―……まどろい移ろうものなのだと改めて思った。
「……ミトス」
「えっ?ああ、ちゃんと聞いてるから安心してよ、クラトス。荷物もまとめ終わってるし、あとは明日、姉様を迎えに行けば―……」
そこまで言葉にして、僕は口を閉ざした。
たった一言。そのたった一言が出てこない。
“この部屋とも、あの女ともさよならだね。”……その言葉が。
何を考えているんだろう。姉様が元気になって僕のところに帰って来る。その日を待ち望んでいたんじゃないか。
あの人間の女と別れられるその日を楽しみにしていたんじゃないか。
僕達を―……姉様を苦しめ、傷付けたのは人間だ。あの女も、そいつらと同じ人間じゃないか。
―……もっと頼りなさい。子供は守られて強くなるんだから……―
「……ミトス、お前も本当は分かっているのではないか?」
重さを持ったユアンの言葉が胸に刺さる。僕を見つめる二人の瞳はとても真剣なものだった。僕はそんな二人の瞳から逃れたくてたまらなくて―……
「……でも、あの女は人間だ」
「……ガキめ」
「……なんとでも言えばいいさ」
黄昏の風が静かに舞う。
二人はそれ以上何も言わず、僕を残して部屋を出ていった。残されたのは、僕とあの人が置いていった不気味な馬の被りものだけ。
―……二人が出ていってからどれぐらい経っただろうか?随分経ったようにも思えるし、そうじゃないようにも思える。
―……あんな事、言われたの初めてだった。ガキと言われて罵られたはずなのに……
甘えていいのだと
頼っていいのだと
自由に生きていいのだと
……言ってくれた大人なんかいなかった。
彼女は僕を子供に戻してくれた。
……ああ、ユアンが言うように、僕だって分かっている。どうして、こんな気持ちになっているのか。僕は本当はどうしたいのか。だけど、彼女は人間で―……これじゃ、ただのガキの我儘じゃないか。
「……本当、馬鹿だよね」
馬の被りものは何も答えない。ただ、何故か鼻で笑われたような気がした。
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「……退院おめでとう」
病院を取り囲む山の緑が萌え上がる。それは、マーテルの色だった。次々と芽吹く新しい葉―……新緑の木々が染み一つなく晴れ渡った空によくはえていた。
「ええ、本当にありがとう」
私のその言葉にマーテルは笑顔を返す。あとは、この人たちを笑って見送って、私の役目は終わり。……そのはずなのに。
どうして笑えないんだろう。
……ああ、そうか、私―……
もっと一緒にいたいんだ。
柄が悪くて文句ばっかり言って小生意気で腹黒で、銃刀法違反堂々としてて、卵レンチンして、メントスコーラをやるような……この人達ともっと一緒にいたい。
なら答えは簡単じゃない。
「……あの……みんな」
「……あのさ」
“よかったら、まだ、あの部屋に―……”
……ん?って、あれ?なんか続き言う前に誰かと被った?首を傾げてもう一人の声の主へと目を向ければ、その声の主はバツが悪そうに目を背けた。
「ふふ……いい、ミトス?言葉にしないと気持ちは伝わらないのよ?」
「……別に。それに姉様には関係な―……」
「あら?私、あなたをそんなひねくれ者に育てた覚えはありませんよ?
それに、私達にも関係があるのよ。だって―……」
ミトスに語るマーテルの表情は、今日の空と同じくらい穏やかで、優しくて―……私に言われているわけじゃないのに、私の頬も自然に―……
「だって、私達、職なし宿無し無一文ですから」
引きつった。
わっつ、はっぷん?
いやいやいやいや待て待て待て待て!!
何この人笑顔でとんでもない爆弾落としてるわけ!?爆弾っていうか、RPG-7何百発も打ち込まれた気分なんだけど!!
っうか、クラトスとユアンの二人でマーテルが退院したら出てくからって、新しい部屋とか仕事を見つける―……
「……られなかったのよねー。ね?ユアン、クラトス」
「……ああ」
「ふん。劣等種族の分際で、身分を証明するものがなければなどとほざいていたからな。当然の結果だ」
「自慢するとこじゃねーよ!!何、これ?自信満々なニート宣言!?」
あっ……急に叫んだからあ、頭がクラクラする。
「……フッ、アハハハハ……!」
「笑うとこじゃねーよ!ミトス!!」
信号機トリオ+1の笑い声。私の叫び声。この人達と初めて会った昼下がりと同様の、阿鼻叫喚な光景が救外前にあった。
「ハハ……姉様おかしい。まっ、そういう事だからこれからよろしく。えっと―……」
「……もしかして、名前すら覚えてなかったのかよ……もう一回言うけど、私の名前は―……」
私と奇妙な四人組。
私のおもしろおかしい受難日々は、残念な事にまだまだ続きそうだ。
《S・O・A・P!》
Fin