S・O・A・P!!


「あ、あれ?ここって〇×コーポの201号室ですよね?」
「……そうですけど。それは?」

馬鹿がやってきた。
壁に掛けられた時計の針が10と0の二つの数字を指し示す。ちなみに外は既に闇一色に塗り潰されていた。

「ほら、部屋着きましたよ!」
「や~ッ!もう一曲歌う~~―……うっぷ……っ……」
「ちょっ!?止めてよ!?私、時間外で汚物処理なんかやりたくないからね!」
「いけず~~」
「ほらほら!とっとと自分の家に入る!明日、日勤って言ってましたよね?」

不審な物音を確かめるために外へと通じる扉を開けば、そこにあったのは思わず目を覆いたくなるような光景だった。
僕に口を挟む暇を与えず応酬される二人の女のやり取りに、呆れを通り越して乾いた笑みが浮かぶ。女のうち一人は僕が知らない人間だったが、もう一人は残念な事に見知った人物だった。

「とにかく!私も明日日勤なんですから!」
「明日ぁ~~?明日はケモ多いよ~~?」
「だよねー。だから、もう帰るんです」
「あ~い。納涼会までに曲練習しろいてね~」
「……と、言うわけですからこの人頼みます!じゃっ!」
「……えっ?ちょっ……!?」

呂律が回ってない、舌っ足らずな女の声が間抜けに響く。そして、無常に閉まる扉。呼び止めるべく伸ばした僕の手は虚しく空を切り、残されたのは僕と―……

「ただっいら~~!黄色!」

何故か妙にリアルな馬の被りものを被ったあの馬鹿女だった。

「大黒柱さまがぁ~~帰ったわよぉ~。あっ!赤信号、水!おっみず~」
「……ミトス。これは……?」
「……知らない。誰かが置いていった」

騒ぎを聞き付けたのか奥の部屋から何事かとクラトスが玄関へと駆け付ける。それほど女の声はよく響いた。
因みにユアンは借りたいDVDがあるとか言って出掛けているので留守だ。使えない奴。

「……運ぶしかあるまい」
「……そうだね」
「触るなぁ~!セクハラ~ドMタイツ~!婦女暴行罪で訴えるんらからぁ~!」
「……はあ」

支離滅裂な事を喚く女を、クラトスが文字通り引きずっていく。その光景に僕の口から知らず知らずのうちにため息が漏れた。
どうしろって言うのさ。この酔っ払い。

「だぁからぁ~~。み~~んな歌ってくんらいから~あたし歌ったわけろ~」

女が飲んだであろう酒の匂いが狭い部屋に充満する。ケラケラと笑いながら語る女の話はまるで要領を得ないものだった。
……っというか、この人、いつまで馬の被りものを被っている気なんだろう。しかも、よく見ると被りものに何か文字が書いてあるし。
生憎、僕には“鹿”と言う文字が読めなくてそれが何を指すのかは分からないけれど―……どうせ碌でもない事だという事だけははっきりと分かる。
……点と点で要領を得ない話だが、クラトスと僕とで根気強く点を線に繋いでいく事で、漸く事の全貌が見えてきた。
要約するとこうだ。今日は女の職場―……姉様が入っている場所の職員同士の宴会があった。あろうことかこの人はべろんべろんになるまで酒を煽り―……そして、この醜態を僕達に晒しているというわけだ。
おそらく、この人を支えて連れて来たもう一人の人間は、この人の職場の仲間で、酔い潰れたこの人をわざわざここまで運んできたというところだろう。
こっちとしてみればいい迷惑でしかない。

「……仕方あるまい。ミトス、しばらくこの女の相手をしていろ」
「えっ?何で僕が!?」
「寝床を用意しておく。仕方なかろう。今更、外に追い出すわけにもいくまい」

……確かに。再び時計に目を移せば、長針と短針が綺麗に重なり次の日の訪れを知らせていた。
それに、この人は仮にもこの部屋の本来の主であり、不本意だが一応女性だ。クラトスが言う事も一理ある。

「……わかった」
「なになに~~?何すんろ~?」

こっちの気も知らないで……
これからの事に肩を落とした僕達を尻目に女は楽しそうに笑っていた。

「ねえねえ、黄色~~?」
「……何?」

馬の被りものをした女性とは思いたくない生き物の話は続く。正直な話、もう一言だって付き合いたくないが、先程無視をしたら余計に五月蝿くなったので嫌々ながらも相手にするしかなかった。
……っというか、黄色って。クラトスの事も赤って言ってたし……まさか、僕達を色で把握してるのか?この女。
呆れて僕が今日何度目か分からないため息を吐いた―……その時だった。

「……あんたってさ、何もかも諦めた目をしてるよね。人間信じてないでしょ?ううん、それどころか自分と姉以外、どうでもいいって思ってる。違う?」
「……ッ!!?」

女の黒い瞳に僕の姿が映り込む。不意に取られた馬の被りものの下にあったのはやっぱりあの女の顔で―……
何もかも見透かしたような女の言動に心が騒つく。女の瞳に映っている僕の姿はあまりに醜悪なものに思えて―……気が付けば、僕は叫んでいた。

「黙れッ!!貴様に何が分かるッ!!」

……と。
おそらく、殺気まで出していたのだろう。奥の部屋にいたクラトスが慌てて僕達のところに走ってきたのが何よりの証拠だった。
しかし、僕からの殺気を真っ正面で受けながら、それでも女は微動だにしない。そして、彼女は―……

「分かるわけないじゃない。あんたは何も言わない。話さない。伝える努力を怠ってるくせに、分かってもらえないって勝手に決め付けて悲劇の主人公を決め込んでる。私から言わせれば喜劇もいいところよ」
「……うるさい」

止めろ……止めてくれッ!!それ以上は聞きたくないッ!!

「あんたは自分の存在意義を人に求めてる。求め過ぎている。その結果、どんな事になるか分かってるくせに目を背けている。自分で何でも背負い込んで、自分で何でも出来ると勘違いしてるただのガキ」
「黙れッ!!!!」
「ミトス止めろッ!!」

その言葉に僕の心の中で何かが弾けて―……僕は彼女の白い首に両手をかけていた。

「……そう、ただのガキ。だから、これでいいのよ」

そして、静かに―……彼女は口を開く。それは僕が予想だにしなかった―……哀願でも罵倒の言葉でもなく―……

「……あんたは、まだ子供なの。だから、いいのよ。感情をぶちまけても。もっと頼りなさい。子供は守られて強くなるんだから。それに、何より生意気。その年で自分の世界を決めちゃうなんて。もっと、自由に生きていいのよ。ねえ?ミトス?」

……一筋、僕の頬を何かが流れる。そっと僕の手に触れた彼女の指先はとても暖かかった。

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「あ゙っ~……ぎもぢわるい」

デーデーポッポポー
デーデーポッポポー
知る人ぞ知るあの鳥が珍妙な声で朝の訪れを告げている。
酒で焼けてヒリヒリと痛む喉を押さえて起き上がれば、外はすっかりと白み、朝日が差し込み―……新しい今日が始まったという事がよく分かった。
しっかし、昨日はどうしたんだっけ?馬の被りものをしてガチでバラードを熱唱したことは覚えている。昨日は新歓の宴会だった。そして、酒を大量に飲まされた事も―……でっ。

「……どうやって帰ってきたんだっけ?」

慌ててまだ鈍い頭を回転させてみるも、生憎な事に私の記憶の糸はあるところを境にぶっつりとぶった切られている。……まあ、動物には帰巣本能があるって言われてるしホモサピである私にもその本能が備わっていたのだろう。うん。きっとそうだ。
そう納得すると、私は台所に立ち、水を一口運んだ。酒焼けした喉にはカルキ臭いこの水道水ですら魔法の水で、私は―……

「……ミトスの事、礼を言う」

クラトスに向かって思いっきりコップの水をぶっかけた。
はあ?クラトス?っていうか、なんで私、実家じゃなくてこっちの部屋にいるわけ!?
この後、言わずもがなクラトスの有り難くない説教を食らう羽目になり、朝からテンションだだ下がりになったのは言うまでもない。

S:記
O:憶
A:な
P:し
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