S・O・A・P!!


「あなた達、一緒に住んでないんですって?」
「……はい?」

旧暦の三月―……グレゴリ歴四月の終わりに降る雨を穀雨という。田畑の準備が整ったこの時期に降る穀雨は、穀物の成長を助けると昔の人は信じていた。もっとも、今日降ってる雨は穀雨と呼ぶには些か激しくて、せっかく植えた苗ごと押し流してしまいそうな勢いだけれど。
大粒の雨が窓をひっきりなしに叩いていく。雹が降ってもおかしくないような不穏な天気だが、外同様、この病室の空気も不穏なものだった。
淀んでいる?
凍っている?
……なんと言うか重い。
そんな空気の真っ只中に私はいた。

もはや日課となったマーテルの薬剤管理指導業務と言う名のダベり大会。
私の持ち場は内科だから、本来なら外科に入院した彼女の担当になるはずがないんだけど―……彼女の強い希望で私が担当になったのだ。……少しは信頼してもらえてるのかな?なーんて、思うのはちょっと傲慢だろうか。
どっちにしろ素直に頼って貰えるのは悪い気はしない。素直で謙虚で優しいマーテルの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい、と何度あの信号機トリオに対して思ったことか。……って、考えてんだよね。マーテルのこの笑顔を見るまでは。
だって、このお姉さん笑顔超怖いんだもん!笑っているけど笑ってないって表現はこの笑顔のためにあると思うんだ。たぶん、いや、絶対に。もしかしなくても彼女は信号機トリオ以上に敵に回してはいけない人物なのだろう。
マーテルの笑顔にダラダラと嫌な汗が滲むのが分かる。乾いた笑みで誤魔化そうとしたけど、余計に怖くなるだけだった。何これ、拷問?
でも、私、何か彼女を怒らせるようなことをしただろか?
真面目に記憶の引き出しを開けてみたが、生憎、思い当たる節が見当たらない。大体、ついさっきまで私が持ってきた(勿論、内緒で)みたらし団子機嫌良く食べてたしなぁ……

「……どうなの?」
「い、いや、どうって言うか……。あ、あれ?一緒にって誰と?」

ちょっと考えれば、マーテルの言う誰かなんて分かる事なのに、出た答えがとんちんかんなものになってしまったのは絶対にこの空気のせいだと思う。
一方、マーテルと言えば、私の的が外れた回答に呆れたのか、言葉を聞くや否や眉間に手を当てて大きくため息を漏らした。

「昨日面会に来たクラトスから聞いたのよ。あなた、ミトス達と一緒に暮らしてないんでしょう?」
「え?当たり前じゃない」

マーテルのため息がさっきよりも深いものに変わったけど―……いや、でも当たり前だよね。私の方こそマーテルのこの反応には疑問がいっぱいだ。
だって、一人は子供とは言え、見ず知らずの男が三人なわけでしょ?それに対して、私は成人はしているけれど一応は女なわけで―……万が一を考えない程、残念な事に私は幼くない。三人がかりで強盗なんかされたら私には防ぐ術なんかないのだ。現にあいつらは堂々と銃刀法違反やらかしてたわけだしな!
だから、私は部屋を明け渡して自分は実家に逃げる選択をしたのだ。通帳やカード、印鑑などの貴重品を持って。
私がいなくてもあの部屋の家賃や光熱費・水道代は口座から勝手に引き落とされるし、食費などの生活費は奴らの様子を見に行く時に直接渡している。何かあった時用に携帯も一台渡してあるし―……さすがにメントスコーラでHelpが来るとは思わなかったけどな!
……とにかく、あっちからの文句がないということは、今のままで不自由も不満もないという事なのだろう。
奴らの面倒を見るようになって二週間あまり―……互いを信用していないまでも私達の関係はわりと円滑なんじゃないかと思うんだけど―……
そう説明をすれば、納得したのかしていないのか、マーテルは困ったような笑みへと表情を変えた。

「嫌いかしら?あの子―……ミトス達のこと」
「……それは」

その言葉に私は思わず言い淀む。
確かに私はさっき、奴らのことを信用してないと言った。だけど、少しの間だけど、奴らと一緒にいて、奴らが少なくても強盗をするような人種ではないという事は分かっている。
それに、嫌い―……ではないと思う。小憎らしいけど、悔しいことに嫌いにはなれないのだ。けど―……

「あなたは頭がいいわ。だから、察しているかもしれない。あの子達―……特にミトスは他の人達ともっと関わらなくちゃダメなのよ。このままでは、あの子は―……」

マーテルはそこまで語ると、独特の色合いをした深緑の双眸を静かに臥せた。
……マーテルの言う通り、私も薄々気付いていた。ミトスはマーテルに依存している。
そんな相手と一緒に住むのが私は何より怖かったのだ。大なり小なり人は誰かに依存するものだと思うけれど―……あの子のマーテルに対する依存は病的と言っても差し支えのないものだった。
姉に対する敬愛と呼ぶにはあまりに重過ぎる。
私にも弟がいるが―……同じ弟と言う立場なのにも関わらず彼らは違っていた。弟は私がいなくても自分の道を決め、自由に自分で歩いていける。
だが、ミトスは?恐らく、あの幼い少年は姉がいなくなった瞬間壊れてしまうだろう。
自分の存在意義を他人に求め過ぎると不幸になる。
人は一人で生きていけないけれど―……他人に求め過ぎても生きていけない。……少なくても私はそう信じて、今まで生きてきた。

「あの子は私に依存しているわ。あの子をああしてしまったのは私の責任でもあるけれど―……だからこそ、あの子にはこれからもっと色々な人と触れ合って欲しい。世界を知って欲しい。それは私ではダメなのよ。
……雨、上がったみたいね」

その言葉に窓へと視線を向ければ、彼女の言ったようにいつの間にかあんなに激しかった雨は上がり、どんよりとした雲は遠く過ぎ去り、空は目が覚めるような青に変わっていた。

「……そうだね。雨が上がったからあいつらも来ると思うよ。じゃ、私は行くね」
「ええ。あの子達にも良く言って聞かせるから安心して」

……一体、何を安心しろと言うのだろうか?
深々と堪えられたマーテルの笑顔に室温が若干下がったような気がした。

S:あの子達にも良く言って聞かせるから安心して。
O:内服薬、薬効、用法用量説明。世間話。
A:ふくざーつな姉弟関係。コンプライアンス問題なし。
P:退院ENTまであと三日。
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