トレジャーハント!
あたりが夕焼け色に染まる中、ロイドたちは草原を歩いていた。空だけでなく辺りの風景も夕焼け色に染められ、幻想的な風景を醸し出している。
コレットたちはキラキラと目を輝かせて、周りの風景を眺める。
「きれいだねー!」
『そうだね。夕焼けってことは明日も晴れるから、気持ちよく旅ができそうだよ』
「そうだといいな。雨が降ると、気分も滅入るし」
コレットが歓声を上げ、マナがそれに答えた。雨が降った時を想像して顔をしかめたのはレイミアだ。
同じ年代の少女たちのそれぞれの反応に、くすくすとリフィルが笑う。
「あなたたち……本当に仲がいいのね。特にマナは私たちと出会ってから日が浅いのに、もう昔からいるような気がするわ」
『そう言ってもらえると嬉しいよ。あたしも、仲良くなれるのは嬉しいし』
異世界の友達なんてそうできるものじゃないし、とマナは微笑んだ。
リフィルもそれに応えるように笑い――袖をまくった。
「今日はこのまま野宿なんでしょう? 私が久々に料理を作るわ。マナも一緒に作りましょう」
「え!?」
『いいよー? そういえばリフィルって料理作んないよね。あたし、見たことない』
「そうね。だからたまには作っていいわよね?」
リフィルがそう、ジーニアスに問う。彼は、顔を青くさせて首を横にする。
「ま、待ってよ姉さん! 姉さんは回復術使って疲れてるんだから、ボクが作るよ!」
「今日は私よりもレイミアの方が回復術を使っていたくらいよ」
「あたし、今日そんなに頑張ってない! いつも先生が回復してくれてるから」
ジーニアスとレイミアは顔を青くして否定しているように見えた。……リフィルには伝わっていないようだが。
二人が必死で彼女に料理を作らせないために頑張っている横では、ロイドたちが顔を青くして成り行きを見守っていた。
いつも微笑んでいるコレットまでも、心なしか顔色が優れない。
クラトスもマナと同じく話の内容がよくわかっていないのか、瞳を細めて流れをうかがっているようだった。
場に少しの沈黙が流れる。それを破ったのはマナだった。
『……えっと、で、今回はリフィルとあたしが作るってことでいいの?』
「ええ、そうするわ。いつもは作らせてくれないんだから、それでいいわよね?」
「ちょっ、姉さん! 自分の料理の壊滅具合を知って――、」
ジーニアスはそこまで言いかけて、口をつぐんだ。リフィルの表情が怒りに染まっていることに気づいたからだ。
ジーニアスとともにリフィルを止めていたはずのレイミアは、いつの間にかロイドたちの方まで下がっている。それに気づいたジーニアスは恨めしそうな視線を向けた。
完全に地雷を踏んでしまったと気づいたジーニアスは、慌ててフォローを入れようと口を開きかけるが、それをリフィルは手で制した。
「今日は、私が、マナと一緒に、作ります。それで、いいわね?」
一語一語、区切るように言われた言葉に4人はぎくりと肩をすくませた。
いつの間にやらコレットたちがいる方へ、さらに下がっていたロイドとレイミアは、小さくため息をついた。
「……ロイド、これ、まずいよね?」
「ああ、まずいっていう言葉じゃすまされねえだろ……」
「ロイド、レイミア。リフィルは、料理が苦手なのか?」
表面上は無表情のまま、クラトスは尋ねる。その問いにロイドが険しい顔をしたまま答えた。
「その通りだよ。ジーニアスは天才的な料理のうまさなんだけどな」
「リフィル先生は、料理にとんでもない思考を持ち込むから、とんでもないことになるんだよ」
「とんでもない思考……?」
すぐには思いつかないのか、クラトスは少しだけ語尾を上げる。
それ以上答えようとしないレイミアの言葉の続きを、コレットが引き継ぐ。
「えーっと、例えば、酢飯で使うお酢って、すっぱいよね?」
「ああ。だが、それがどうした?」
「先生は、すっぱいのは同じだから、レモンでもいけるんじゃないかって考えて……。レモン汁でご飯を炊いたことがあるの」
「…………」
「それだけじゃなくて、お菓子に薬品を入れたり、調味料を混ぜて創作物を作り出そうとしたり……」
「止めるのにどれだけ時間がかかったことか……」
ロイドたち3人の視線がどんどん遠くなっていく。それほどまでに深いトラウマがあるのかと、表には一切出さないものの、クラトスは内心青ざめる。
「――3人とも! 何ほうけてるのさ!」
「あ、ジーニアス……」
「先生の料理を思い出してたら、胃が……」
「それは確かにそうだけど! 現実逃避してる間に、姉さんがマナを連れて料理を始めちゃったんだよ!」
「「「え!?」」」
いつの間に!? 驚いたロイドたちはジーニアスが指差す方向を見る。そこにはすでに火をおこし支度を始めているふたりがいた。
一瞬の沈黙があり、ロイドが頭を抱えた。
「なんであんなことになってるんだよ! ジーニアス、お前止めろよ!」
「無理に決まってるじゃないか! ボクをおいて逃げようとしてたくせに、そういう時だけ都合のいい事言わないでよね!」
ジーニアスの正論に、ロイドはぐっと言葉を詰まらせた。
コレットはすでに顔を青くさせ言葉を失っている。誕生日にリフィルの料理を嫌というほど食べさせられ、寝込んだ経験が後を引いているようだった。
「……マナがいるから、まだ大丈夫かな」
「マナは先生が料理できないこと、知らないよ? あたしたちが合流してから先生には一度も料理をしてもらってないんだから」
レイミアがそう告げると、全員の顔色が今まで以上に青くなった。
「だから、クラトスに何を作るのか聞いてきてもらおう」
「……なぜ、私なのだ?」
「で、できれば止められるかどうかの様子を見てきてもらう。……できない?」
クラトスは当然抗議の声をあげようとした。しかし、口を開きかけたところでぴたりととまる。
全員がクラトスにキラキラと眼差しを向けていた。
「……本当に、私が行くのか」
「行ってくれるの!? ありがとう!」
クラトスがどうしても嫌そうなら無理にとは言わなかったけど、と続けたレイミアの言葉を聞いて、クラトスはようやく気づく。
レイミアは最初から、クラトスがそう言うことを期待――あるいは、見越していたことに。
「待て、レイミア!」
「じゃあ、クラトス! あたしたち、やることあるから。お願いね?」
「お願いしますね、クラトスさん」
(止めてくれるよね――?)
言外に込められた言葉の意味を感じ取り、クラトスは大きなため息をつく。
この旅の決定権を持つ神子からの頼みに、従う以外になかった。
レイミアにそそのかされるようにして来たはいいが、どう声をかけるべきか全くわからなかった。
とりあえず、料理をしている何やら吟味しているリフィルへと近づいてみる。
「今日のメニューは何だ?」
「無難にカレーよ。カレーは昔から体にいいという話を聞くから、旅の疲れがたまりつつある私たちにちょうどいいと思って」
「……そう、か」
クラトスの問いに、リフィルが答えた。納得して小さくうなずいたクラトスは、ふと視線を移し――驚愕した。
そこにあったのは、何やらおぞましい色をした肉のようなもの、だったからだ。
「リフィル、何なのだ、これは……」
「お肉よ。カレーは栄養満点だと言われているわ。そこに、栄養があるこの肉を入れたらさらに体にいいと思って」
びしりと固まったクラトスには気づかない様子で、リフィルは嬉々とした様子で話を続ける。
共に過ごした短い時間の中でも、彼女がこんなに生き生きしているのを見るのは初めてだ、とクラトスは現実逃避を始めながら思う。
「……そういえば、マナはどうした?」
「彼女なら鍋に水を汲みに行っているわ。カレーを作るのに必要でしょう? その間に私は材料を準備しているの」
「そう、か。マナはすぐに行ったのか?」
「ええ。私が材料を準備すると言ったら、水を汲みに行ったわ」
ということは、マナはまだこの惨劇を知らない。クラトスは頭を抱えたくなるのをどうにかしてこらえた。
「どうしたの? クラトス」
「いや……。リフィル、やはり私が料理をしよう。疲れているのだろう?」
「あら、あなたまでそんなことを言うの? あなたがロイドたちのカバーをしているのは知っているわ。あなたの方が疲れているでしょう」
そう言うと、リフィルは口元をほころばせて笑う。理知的なその笑い方にも、今のクラトスにはただただ怖いだけだった。
と、マナが鍋を抱えて戻ってくる。異様な雰囲気を感じたのか、彼女は眉をひそめた。
『何でいるの? 今日の料理当番はあたしとリフィルだよ』
「相変わらず……いや、今はどうでもいい。リフィルに、材料を頼んだのだったな?」
『うん。それがどうした――って、げ』
リフィルが用意した“材料”を見て、マナはかちんと固まった。
そして、すごい剣幕でクラトスの方を振り返る。
『ちょっと、これ、どういうこと!? なにこれ!』
「リフィルと旅をして日が浅い私が知るわけがないだろう。レイミアたちが止める前に、お前は離れてしまったしな」
『止めてよ、使えない……』
全力でマナがため息をつく。クラトスにもいろいろ言いたいことはあったが、今はそれを口に出している場合ではないこともわかっていた。
リフィルを止めるためにどうするべきか、それを考えるべくマナが口を開こうとしたその時。
「二人とも、何を話しているの?」
『ど、どんな風にカレーを味付けしようかクラトスに聞いてたんだよ、好きな味』
「あら、そうなの? そうね、ジーニアスもいるから辛すぎるのはダメだわ」
「そ、そのようだな……」
それ以前の問題だ、という二人の言葉が声として出ることはなかった。今それを言ったら、リフィルの怒りを買うことがわかっていたからだ。
リフィルはふたりの様子に首をかしげつつも、嬉々とした様子で料理をはじめようとしていた。
「ふふ、久々の料理だわ。商人から買った材料たちがどんな化学反応を起こすのか楽しみね」
「『!?』」
「料理には隠し味というものがあるのよね? それをたくさん入れれば、美味しい料理がたくさんできるはずだわ!」
「『!!?』」
リフィルから語られる言葉に、二人は固まった。そして、思う。
止められるはずが、なかった、と。
そもそも、知り合って日が浅い自分たちに頼むのが間違いであると。
半ば投げやりになったクラトスとマナは、顔を見合わせて笑う。
『さて、作りますか!』
「私も、手伝わせてくれ」
「あら、本当? じゃあ、3人で作りましょう!」
クラトスが手伝いを申し出ると、リフィルとマナは――特にリフィルが――ニッコリ笑う。
空は、もうわずかばかりに夕焼けの色を残すばかりになっている。早く作らなくては間に合わないだろう。
『急がないとね』
そう、マナが材料を切りながら言う。二人の目が焦点を結んでいないことに突っ込む人は誰もいなかった。
クラトスの様子をうかがっていた4人は、マナたちが話している内容こそわからなかったもののクラトスとマナの動きから、クラトスがリフィルを止められなかったことを知った。
ジーニアスが表情を歪ませて、地団駄を踏む。
「どうするのさ……! あれじゃあ、ボクたち姉さんの料理を食べるしかないじゃないか!」
「そうだねー」
「レイミア!? 何その反応!」
「いや、最初はマナがいたらなんとかなるかなーとか思ってたけど、クラトスも一緒にいて暗黒料理ができつつあるってことは、二人とも諦めたってことでしょ?」
「暗黒料理……」
「なんであの二人諦めたんだよ!」
嘆くロイドとジーニアスをコレットがおろおろしつつも慰める。そんな様子を見ながらレイミアは、深くため息をついた。
クラトスに期待をしたわけではなかったが、あそこまですぐに諦めるとは思っていなかったのも事実だ。
ふう、ともう一度小さくため息をつくと、レイミアは顔を上げてニッコリと笑った。
「もう、諦めたほうがいいんじゃないかな」
そう、笑顔で言い切ったレイミアに、ほかの3人は青ざめる。なぜかもう振り切っているらしいレイミアは、冷静な様子で料理をするマナたちの様子をうかがっていた。
ふと、マナがレイミアたちの方を向いた。そして、金糸の髪を揺らして歩いてくる。
近くまで来たマナに、4人はびくりと肩をはねさせた。彼女の明るい表情は、いつもどおりだった。
しかし、瞳の焦点が合わさっていないことにマナ自身は気づいているのだろうか。
「あ、ジーニアス」
「えっ、何?」
「カレーに入れる隠し味って、何がいいかな?」
「いろいろあるけど……、無難なのはりんご、かな。後はちみつとか、ヨーグルトなんかも入れると美味しいよ」
「ソース、コーヒー、チョコなんかも多分入れるのにはいいんじゃないか?」
意外と普通な質問だったことに安堵しながら、ジーニアスは隠し味に使うものをいろいろと並べ立てる。
ロイドも安心したのだろう、続いてあげる。
マナはそのひとつひとつに頷きながら、にこりと笑う。
「ありがとう。色々と参考になったよ」
「カレー、後どれくらいでできそう?」
「そうだな……、多分先生がもう仕上げに入ってるから、完成は近いと思うよ」
そう言ってマナは、踵を返して去っていった。それを見送った4人は自然と顔を見合わせる。
――カウントダウンは、近づいていた。
ジーニアスが改めて顔を青くさせてレイミアへと視線を向けた。
「レイミア……、マナの顔」
「というか、瞳だね。完全に焦点が合ってなかった。隠し味を聞いてくるってことは、もう仕上げだろうし」
「ということは、俺たちは食べなきゃいけないんだよな」
「先生、食べないと、なんて言うかな……」
コレットの言葉を想像したロイドは、じりじりと後ずさる。
「俺、まだ死にたくない!」
「いや、死にはしないと思うよ? 3日くらい生死は彷徨うとしても」
「それもやだわ!」
「そもそも、なんでレイミアはそんなに冷静なのさ!」
そう問われたレイミアは、3人の様子をみまわしてふう、とため息をついた。普段ならば一緒になって発狂寸前まで行きそうな出来事だが、不思議と穏やかな気持ちだ。
(この3人があたしより慌ててるってこともあるんだろうけど……)
何よりも。
「……――もう、諦めてるから、かな?」
「――レイミアのばかああ!!」
もう夕焼けもすっかり薄れ、夜の帳が下りつつある空の下で、ジーニアスの悲痛な声が響き渡るのだった……。
空からは完全に夕焼けは消え、夜の帳が下りた。じりじりとしながら剣の手入れなどをして過ごしていたロイドは、ふと顔を上げる。
そして、視線をレイミアへと向けた。
「なあ、変なにおい……漂ってきてるよな?」
「そうだね。もうそろそろできるんじゃない? あたしたちの寿命ももう少しで終わりだね、ロイド?」
「なんでそんな怖いことをさらりと言ってるんだよ! しかも本当に出来たじゃねえか……」
ロイドがうろんげに視線を動かした先には、カレーをよそうリフィルの姿がある。
その横顔は至極楽しそうで、しかも最後の分がよそわれすべての準備は整ったようだ。
「ロイドたち、できたわよ。こちらに来なさい」
リフィルの声がついにかかった。4人――レイミアをのぞく3人は特に顔が青い――が、青い顔で立ち上がる。
そして、カレーを各々取りに行く。
「……なに、これ」
そう、レイミアは思わずこぼしていた。レイミアが持つお皿には、ご飯と……刺激臭を発するカレー“らしきもの”がのせられていた。
リフィルが優しく微笑む。イセリアでファンクラブができるほどの容姿を持つリフィルが微笑む姿は、普段ならば見とれそうなものだが。
今の4人にとっては、毒以外の何物でもないのである。
ますます顔を青くさせる4人に、マナがたき火に髪を揺らめかせて、笑う。
「みんながカレーの隠し味色々と知っててくれて、助かったよ。おかげで持ってたもの中から使うことができたし」
マナの瞳の焦点がいまだにあっていないことに気づいた4人は、もはや何も言わずに黙り込むしかなかった。
リフィルのみが楽しげに鼻歌を歌っている。
「さて、全員にカレーはあるかしら?」
「全員持ってるよ」
「では、食べましょう。――いただきます」
全員が――何人かはやけくそになりながら――ぱくりとカレー(?)を口に運ぶ。
そして。
「「「「―――っ!!??」」」」
リフィル以外が、悶絶した。
地面に崩れ落ちる、悲鳴にならない声を上げる、慌てて水を飲む。明らかに体力が3分の4以上減っている人もいた。
リフィルだけが首をかしげてその惨状を見ていた。スプーンには、口に運ばれたはずのカレーがのっている。
リフィルが食べるふりをしていたことに気づいた者は、全くいなかった。それだけ、リフィル以外はカレーに恐怖を抱いていた、ということだ。
「あら、みんなひどいわね。それとも、隠し味を全て入れるとおいしいというわけでもないのかしら。勉強になるわ」
「ちょっ……、それ、どういう意味?」
いち早く立ち直ったレイミアがそう尋ねる。こうなることを見越して少ししか食べなかったレイミアも、なかなかにしたたかだ。
「あなたやジーニアス、ロイドが隠し味を教えてくれたでしょう。それを全て入れたら美味しくなるのではないかと思ったのよ」
「それで、全部入れたんですか?」
「全部は流石に無理だったわ。でも、手持ちの食材の中で、味が似ていそうなものを入れたの。どう? また違う味になったでしょう?」
「刺激的すぎてみんな動けませんよ……」
レイミアがため息をとともに肩を落とす。それと同時にぴくりと体を動かしたのは、マナだった。
『……なんか、ようやく我に返った気がする』
「あ、おはようマナ。やっと?」
『料理を作ってた時の記憶とかうっすらとしかないんだけど、なんでだと思う?』
「人はそれを現実逃避って言うんだと思うよ?」
『ですよねー……』
にっこり笑いながらそう言ったレイミアに、マナは若干顔を引きつらせながら答える。そして、周りを見て――ため息をこぼした。
『これ、今日と明日は絶対に移動できないよね』
「回復に専念しないとてもまずいと思うよ」
そう言うレイミアの表情は、何やらとても複雑で。マナはそれが経験から来ているものだと気づくまでに、時間はかからなかった。
そんな2人の会話を聞き流しながら、さらなる研究に取り組もうとしているリフィルに、マナは苦笑さえ浮かべることができなかった。
次の日、カレーを思い切り食べたロイドたちは、いまだ意識を取り戻すことなく、気を失っている。
それをかいがいしく看病するマナやレイミアの表情は、明るいとは言えない。
「昨日の惨劇を思い出すと、何とも言えない気持ちになるんだけど……」
『それはあたしも一緒だよ。本当、昨日のあたしはどうかしてた』
「昨日料理を作っている間のマナの瞳、焦点結んでなかったからね」
『あはは……。現実逃避怖いわ』
「でも、カレー食べる前に正気に戻ってよかったんじゃない? そのおかげで、カレーを食べた量が少なくてすんだし。そのままカレーを食べちゃった人もいるけどね」
『あ、あいつか……』
マナの栗色の瞳が、じとりと向けられた。その先には、クラトスがまだ意識を取り戻さないまま寝込んでいる。
マナと一緒に現実逃避をしたクラトスは、カレー(らしきもの)を思い切り食べていた。普段のクラトスからは考えられない行動だ。
「ま、珍しいものは見られたけどね。現実逃避するマナとか、普段じゃ考えられないような行動するクラトスとか」
『昨日のことに触れるのは、もうやめよう? あたし、割と気にしてるんだから』
「ごめんごめん」
ケタケタと笑うレイミアをマナは少しだけ睨むものの、その力はすぐに薄れた。
そして今も寝込んでいるロイドたちを心配そうに見つめている。
(マナ、本当に優しいよね)
普段は自由で自分にまっすぐなマナが、本当は心配性で困っている人を見捨てられない、優しい人だということを知っている。
(それなマナが、あたしは好きで憧れなわけだし)
『――何よ、レイミア』
「何でもないよ。ただ、マナが優しい人だなって、思っただけ」
『急に何を言い出すのよ? 怖いわ……』
「ちょっと! それ、どういう意味!? 褒めてるのに!」
信じられない! と怒るレイミアをマナが笑いながらなだめる。そして、顔を見合わせ、
『「――ふふっ! あはははっ!」』
笑い始めた。レイミアも、マナが本当に怖いと思って発言したのではないとわかっているから、本当には怒っていない。そしてそれを、マナもわかっている。
ひとしきり笑ったマナたちは、完全にロイドたちの存在を忘れていたことに気づいて、慌てて様子を見に行く。
そしてまだ意識を取り戻していないことに安堵と、恐怖を覚えた。
『リフィルの料理怖い。今度からあたしも止めに入る』
「そうしてくれるとありがたい」
『そう言えば、何でクラトスを止めに来させたの? レイミアとかロイドの方が良かったんじゃないの?』
「んー、あたしたちが行くと先生逆に意固地になって多分話を聞いてくれない、っていうのが1つ」
『もう1つは?』
「巻き込まれて毒味、なんて嫌だから」
『うわー……』
要は、レイミアは今回自分が巻き込まれないように動いていたということだ。
必要以上にリフィルを止めなかったのも、巻き添えを食らうことが嫌だったからなのだろう。
『レイミア、本当にいい性格してるわ』
「え? なんのこと?」
『わかっててそうやって言うところだよ』
「あはは……」
ロイドたちには申し訳ないけど、と申し訳なさそうに言うところが、いい性格をしているとマナは思う。
ため息をつきながらそう思うと同時に、ふと、気づいた。
『リフィルは、どこよ?』
「……あ、」
『すっかり忘れてたけど、あの人も無事じゃん!』
「ええ―! すごくまずい!」
慌てて辺りを見回した2人は、同じ方向で止まった。風に乗って、刺激臭が漂ってくる。
「……やばい」
『料理、してたのか』
やがて、その刺激臭はだんだんに近づいてきた。それと同時に、リフィルの姿も見えてくる。
リフィルは手に鍋を持っていた。そこから刺激臭がするのは、もはやお約束……としか言えない。
リフィルは2人の姿を認めると、ニッコリと笑った。
「あら、あなたたち看病ありがとう」
「先生、その手に持っているのは……」
「これ? おかゆよ。みんな倒れているから、消化と栄養がいいものを色々と加えてみたの。それとカレーも栄養が万点だから混ぜてみたんだけど、どうかしら?」
『いやどうかしら、というレベルじゃなくて、それは非常にまずいんじゃ』
「ちょ、まずい!」
「あら、そんなこと言うならば、マナが食べてみて? どんな味がするのか私に教えてちょうだい」
リフィルの目が笑っていない。レイミアはそれに気づいて、ゆっくりと後ずさりする。そして、マナも自分の失言にすぐに気づいた。
『もう、嫌だ!!』
「あ、マナ待ちなさい!」
マナが逃げ出し、リフィルが料理を持ったままそれを追いかける。意識を取り戻さない人がまだいるというのにのんきなことだ。とレイミアはため息をついた。
ちらりとロイドたちの方を見ると、眉間にしわを寄せてまだ寝込んでいる。あの様子だと、まだ意識が戻るのは先のようだ。
空を見上げると、抜けるような青空が広がっていた。今日もいい旅日和だ。……本来ならば。
「平和ではあるんだよねー……」
病人そっちのけで追いかけっこを繰り広げているマナたちを見て、レイミアは力を抜いて、笑った。
「ま、いっか」
リフィルも本気で追いかけているわけではない。(下手をすれば死人が出かねないが、それをレイミアは考えていない)
今日も仲がいいことだ、とレイミアは遠い目をしながら思うのであった。
Fin
コレットたちはキラキラと目を輝かせて、周りの風景を眺める。
「きれいだねー!」
『そうだね。夕焼けってことは明日も晴れるから、気持ちよく旅ができそうだよ』
「そうだといいな。雨が降ると、気分も滅入るし」
コレットが歓声を上げ、マナがそれに答えた。雨が降った時を想像して顔をしかめたのはレイミアだ。
同じ年代の少女たちのそれぞれの反応に、くすくすとリフィルが笑う。
「あなたたち……本当に仲がいいのね。特にマナは私たちと出会ってから日が浅いのに、もう昔からいるような気がするわ」
『そう言ってもらえると嬉しいよ。あたしも、仲良くなれるのは嬉しいし』
異世界の友達なんてそうできるものじゃないし、とマナは微笑んだ。
リフィルもそれに応えるように笑い――袖をまくった。
「今日はこのまま野宿なんでしょう? 私が久々に料理を作るわ。マナも一緒に作りましょう」
「え!?」
『いいよー? そういえばリフィルって料理作んないよね。あたし、見たことない』
「そうね。だからたまには作っていいわよね?」
リフィルがそう、ジーニアスに問う。彼は、顔を青くさせて首を横にする。
「ま、待ってよ姉さん! 姉さんは回復術使って疲れてるんだから、ボクが作るよ!」
「今日は私よりもレイミアの方が回復術を使っていたくらいよ」
「あたし、今日そんなに頑張ってない! いつも先生が回復してくれてるから」
ジーニアスとレイミアは顔を青くして否定しているように見えた。……リフィルには伝わっていないようだが。
二人が必死で彼女に料理を作らせないために頑張っている横では、ロイドたちが顔を青くして成り行きを見守っていた。
いつも微笑んでいるコレットまでも、心なしか顔色が優れない。
クラトスもマナと同じく話の内容がよくわかっていないのか、瞳を細めて流れをうかがっているようだった。
場に少しの沈黙が流れる。それを破ったのはマナだった。
『……えっと、で、今回はリフィルとあたしが作るってことでいいの?』
「ええ、そうするわ。いつもは作らせてくれないんだから、それでいいわよね?」
「ちょっ、姉さん! 自分の料理の壊滅具合を知って――、」
ジーニアスはそこまで言いかけて、口をつぐんだ。リフィルの表情が怒りに染まっていることに気づいたからだ。
ジーニアスとともにリフィルを止めていたはずのレイミアは、いつの間にかロイドたちの方まで下がっている。それに気づいたジーニアスは恨めしそうな視線を向けた。
完全に地雷を踏んでしまったと気づいたジーニアスは、慌ててフォローを入れようと口を開きかけるが、それをリフィルは手で制した。
「今日は、私が、マナと一緒に、作ります。それで、いいわね?」
一語一語、区切るように言われた言葉に4人はぎくりと肩をすくませた。
いつの間にやらコレットたちがいる方へ、さらに下がっていたロイドとレイミアは、小さくため息をついた。
「……ロイド、これ、まずいよね?」
「ああ、まずいっていう言葉じゃすまされねえだろ……」
「ロイド、レイミア。リフィルは、料理が苦手なのか?」
表面上は無表情のまま、クラトスは尋ねる。その問いにロイドが険しい顔をしたまま答えた。
「その通りだよ。ジーニアスは天才的な料理のうまさなんだけどな」
「リフィル先生は、料理にとんでもない思考を持ち込むから、とんでもないことになるんだよ」
「とんでもない思考……?」
すぐには思いつかないのか、クラトスは少しだけ語尾を上げる。
それ以上答えようとしないレイミアの言葉の続きを、コレットが引き継ぐ。
「えーっと、例えば、酢飯で使うお酢って、すっぱいよね?」
「ああ。だが、それがどうした?」
「先生は、すっぱいのは同じだから、レモンでもいけるんじゃないかって考えて……。レモン汁でご飯を炊いたことがあるの」
「…………」
「それだけじゃなくて、お菓子に薬品を入れたり、調味料を混ぜて創作物を作り出そうとしたり……」
「止めるのにどれだけ時間がかかったことか……」
ロイドたち3人の視線がどんどん遠くなっていく。それほどまでに深いトラウマがあるのかと、表には一切出さないものの、クラトスは内心青ざめる。
「――3人とも! 何ほうけてるのさ!」
「あ、ジーニアス……」
「先生の料理を思い出してたら、胃が……」
「それは確かにそうだけど! 現実逃避してる間に、姉さんがマナを連れて料理を始めちゃったんだよ!」
「「「え!?」」」
いつの間に!? 驚いたロイドたちはジーニアスが指差す方向を見る。そこにはすでに火をおこし支度を始めているふたりがいた。
一瞬の沈黙があり、ロイドが頭を抱えた。
「なんであんなことになってるんだよ! ジーニアス、お前止めろよ!」
「無理に決まってるじゃないか! ボクをおいて逃げようとしてたくせに、そういう時だけ都合のいい事言わないでよね!」
ジーニアスの正論に、ロイドはぐっと言葉を詰まらせた。
コレットはすでに顔を青くさせ言葉を失っている。誕生日にリフィルの料理を嫌というほど食べさせられ、寝込んだ経験が後を引いているようだった。
「……マナがいるから、まだ大丈夫かな」
「マナは先生が料理できないこと、知らないよ? あたしたちが合流してから先生には一度も料理をしてもらってないんだから」
レイミアがそう告げると、全員の顔色が今まで以上に青くなった。
「だから、クラトスに何を作るのか聞いてきてもらおう」
「……なぜ、私なのだ?」
「で、できれば止められるかどうかの様子を見てきてもらう。……できない?」
クラトスは当然抗議の声をあげようとした。しかし、口を開きかけたところでぴたりととまる。
全員がクラトスにキラキラと眼差しを向けていた。
「……本当に、私が行くのか」
「行ってくれるの!? ありがとう!」
クラトスがどうしても嫌そうなら無理にとは言わなかったけど、と続けたレイミアの言葉を聞いて、クラトスはようやく気づく。
レイミアは最初から、クラトスがそう言うことを期待――あるいは、見越していたことに。
「待て、レイミア!」
「じゃあ、クラトス! あたしたち、やることあるから。お願いね?」
「お願いしますね、クラトスさん」
(止めてくれるよね――?)
言外に込められた言葉の意味を感じ取り、クラトスは大きなため息をつく。
この旅の決定権を持つ神子からの頼みに、従う以外になかった。
レイミアにそそのかされるようにして来たはいいが、どう声をかけるべきか全くわからなかった。
とりあえず、料理をしている何やら吟味しているリフィルへと近づいてみる。
「今日のメニューは何だ?」
「無難にカレーよ。カレーは昔から体にいいという話を聞くから、旅の疲れがたまりつつある私たちにちょうどいいと思って」
「……そう、か」
クラトスの問いに、リフィルが答えた。納得して小さくうなずいたクラトスは、ふと視線を移し――驚愕した。
そこにあったのは、何やらおぞましい色をした肉のようなもの、だったからだ。
「リフィル、何なのだ、これは……」
「お肉よ。カレーは栄養満点だと言われているわ。そこに、栄養があるこの肉を入れたらさらに体にいいと思って」
びしりと固まったクラトスには気づかない様子で、リフィルは嬉々とした様子で話を続ける。
共に過ごした短い時間の中でも、彼女がこんなに生き生きしているのを見るのは初めてだ、とクラトスは現実逃避を始めながら思う。
「……そういえば、マナはどうした?」
「彼女なら鍋に水を汲みに行っているわ。カレーを作るのに必要でしょう? その間に私は材料を準備しているの」
「そう、か。マナはすぐに行ったのか?」
「ええ。私が材料を準備すると言ったら、水を汲みに行ったわ」
ということは、マナはまだこの惨劇を知らない。クラトスは頭を抱えたくなるのをどうにかしてこらえた。
「どうしたの? クラトス」
「いや……。リフィル、やはり私が料理をしよう。疲れているのだろう?」
「あら、あなたまでそんなことを言うの? あなたがロイドたちのカバーをしているのは知っているわ。あなたの方が疲れているでしょう」
そう言うと、リフィルは口元をほころばせて笑う。理知的なその笑い方にも、今のクラトスにはただただ怖いだけだった。
と、マナが鍋を抱えて戻ってくる。異様な雰囲気を感じたのか、彼女は眉をひそめた。
『何でいるの? 今日の料理当番はあたしとリフィルだよ』
「相変わらず……いや、今はどうでもいい。リフィルに、材料を頼んだのだったな?」
『うん。それがどうした――って、げ』
リフィルが用意した“材料”を見て、マナはかちんと固まった。
そして、すごい剣幕でクラトスの方を振り返る。
『ちょっと、これ、どういうこと!? なにこれ!』
「リフィルと旅をして日が浅い私が知るわけがないだろう。レイミアたちが止める前に、お前は離れてしまったしな」
『止めてよ、使えない……』
全力でマナがため息をつく。クラトスにもいろいろ言いたいことはあったが、今はそれを口に出している場合ではないこともわかっていた。
リフィルを止めるためにどうするべきか、それを考えるべくマナが口を開こうとしたその時。
「二人とも、何を話しているの?」
『ど、どんな風にカレーを味付けしようかクラトスに聞いてたんだよ、好きな味』
「あら、そうなの? そうね、ジーニアスもいるから辛すぎるのはダメだわ」
「そ、そのようだな……」
それ以前の問題だ、という二人の言葉が声として出ることはなかった。今それを言ったら、リフィルの怒りを買うことがわかっていたからだ。
リフィルはふたりの様子に首をかしげつつも、嬉々とした様子で料理をはじめようとしていた。
「ふふ、久々の料理だわ。商人から買った材料たちがどんな化学反応を起こすのか楽しみね」
「『!?』」
「料理には隠し味というものがあるのよね? それをたくさん入れれば、美味しい料理がたくさんできるはずだわ!」
「『!!?』」
リフィルから語られる言葉に、二人は固まった。そして、思う。
止められるはずが、なかった、と。
そもそも、知り合って日が浅い自分たちに頼むのが間違いであると。
半ば投げやりになったクラトスとマナは、顔を見合わせて笑う。
『さて、作りますか!』
「私も、手伝わせてくれ」
「あら、本当? じゃあ、3人で作りましょう!」
クラトスが手伝いを申し出ると、リフィルとマナは――特にリフィルが――ニッコリ笑う。
空は、もうわずかばかりに夕焼けの色を残すばかりになっている。早く作らなくては間に合わないだろう。
『急がないとね』
そう、マナが材料を切りながら言う。二人の目が焦点を結んでいないことに突っ込む人は誰もいなかった。
クラトスの様子をうかがっていた4人は、マナたちが話している内容こそわからなかったもののクラトスとマナの動きから、クラトスがリフィルを止められなかったことを知った。
ジーニアスが表情を歪ませて、地団駄を踏む。
「どうするのさ……! あれじゃあ、ボクたち姉さんの料理を食べるしかないじゃないか!」
「そうだねー」
「レイミア!? 何その反応!」
「いや、最初はマナがいたらなんとかなるかなーとか思ってたけど、クラトスも一緒にいて暗黒料理ができつつあるってことは、二人とも諦めたってことでしょ?」
「暗黒料理……」
「なんであの二人諦めたんだよ!」
嘆くロイドとジーニアスをコレットがおろおろしつつも慰める。そんな様子を見ながらレイミアは、深くため息をついた。
クラトスに期待をしたわけではなかったが、あそこまですぐに諦めるとは思っていなかったのも事実だ。
ふう、ともう一度小さくため息をつくと、レイミアは顔を上げてニッコリと笑った。
「もう、諦めたほうがいいんじゃないかな」
そう、笑顔で言い切ったレイミアに、ほかの3人は青ざめる。なぜかもう振り切っているらしいレイミアは、冷静な様子で料理をするマナたちの様子をうかがっていた。
ふと、マナがレイミアたちの方を向いた。そして、金糸の髪を揺らして歩いてくる。
近くまで来たマナに、4人はびくりと肩をはねさせた。彼女の明るい表情は、いつもどおりだった。
しかし、瞳の焦点が合わさっていないことにマナ自身は気づいているのだろうか。
「あ、ジーニアス」
「えっ、何?」
「カレーに入れる隠し味って、何がいいかな?」
「いろいろあるけど……、無難なのはりんご、かな。後はちみつとか、ヨーグルトなんかも入れると美味しいよ」
「ソース、コーヒー、チョコなんかも多分入れるのにはいいんじゃないか?」
意外と普通な質問だったことに安堵しながら、ジーニアスは隠し味に使うものをいろいろと並べ立てる。
ロイドも安心したのだろう、続いてあげる。
マナはそのひとつひとつに頷きながら、にこりと笑う。
「ありがとう。色々と参考になったよ」
「カレー、後どれくらいでできそう?」
「そうだな……、多分先生がもう仕上げに入ってるから、完成は近いと思うよ」
そう言ってマナは、踵を返して去っていった。それを見送った4人は自然と顔を見合わせる。
――カウントダウンは、近づいていた。
ジーニアスが改めて顔を青くさせてレイミアへと視線を向けた。
「レイミア……、マナの顔」
「というか、瞳だね。完全に焦点が合ってなかった。隠し味を聞いてくるってことは、もう仕上げだろうし」
「ということは、俺たちは食べなきゃいけないんだよな」
「先生、食べないと、なんて言うかな……」
コレットの言葉を想像したロイドは、じりじりと後ずさる。
「俺、まだ死にたくない!」
「いや、死にはしないと思うよ? 3日くらい生死は彷徨うとしても」
「それもやだわ!」
「そもそも、なんでレイミアはそんなに冷静なのさ!」
そう問われたレイミアは、3人の様子をみまわしてふう、とため息をついた。普段ならば一緒になって発狂寸前まで行きそうな出来事だが、不思議と穏やかな気持ちだ。
(この3人があたしより慌ててるってこともあるんだろうけど……)
何よりも。
「……――もう、諦めてるから、かな?」
「――レイミアのばかああ!!」
もう夕焼けもすっかり薄れ、夜の帳が下りつつある空の下で、ジーニアスの悲痛な声が響き渡るのだった……。
空からは完全に夕焼けは消え、夜の帳が下りた。じりじりとしながら剣の手入れなどをして過ごしていたロイドは、ふと顔を上げる。
そして、視線をレイミアへと向けた。
「なあ、変なにおい……漂ってきてるよな?」
「そうだね。もうそろそろできるんじゃない? あたしたちの寿命ももう少しで終わりだね、ロイド?」
「なんでそんな怖いことをさらりと言ってるんだよ! しかも本当に出来たじゃねえか……」
ロイドがうろんげに視線を動かした先には、カレーをよそうリフィルの姿がある。
その横顔は至極楽しそうで、しかも最後の分がよそわれすべての準備は整ったようだ。
「ロイドたち、できたわよ。こちらに来なさい」
リフィルの声がついにかかった。4人――レイミアをのぞく3人は特に顔が青い――が、青い顔で立ち上がる。
そして、カレーを各々取りに行く。
「……なに、これ」
そう、レイミアは思わずこぼしていた。レイミアが持つお皿には、ご飯と……刺激臭を発するカレー“らしきもの”がのせられていた。
リフィルが優しく微笑む。イセリアでファンクラブができるほどの容姿を持つリフィルが微笑む姿は、普段ならば見とれそうなものだが。
今の4人にとっては、毒以外の何物でもないのである。
ますます顔を青くさせる4人に、マナがたき火に髪を揺らめかせて、笑う。
「みんながカレーの隠し味色々と知っててくれて、助かったよ。おかげで持ってたもの中から使うことができたし」
マナの瞳の焦点がいまだにあっていないことに気づいた4人は、もはや何も言わずに黙り込むしかなかった。
リフィルのみが楽しげに鼻歌を歌っている。
「さて、全員にカレーはあるかしら?」
「全員持ってるよ」
「では、食べましょう。――いただきます」
全員が――何人かはやけくそになりながら――ぱくりとカレー(?)を口に運ぶ。
そして。
「「「「―――っ!!??」」」」
リフィル以外が、悶絶した。
地面に崩れ落ちる、悲鳴にならない声を上げる、慌てて水を飲む。明らかに体力が3分の4以上減っている人もいた。
リフィルだけが首をかしげてその惨状を見ていた。スプーンには、口に運ばれたはずのカレーがのっている。
リフィルが食べるふりをしていたことに気づいた者は、全くいなかった。それだけ、リフィル以外はカレーに恐怖を抱いていた、ということだ。
「あら、みんなひどいわね。それとも、隠し味を全て入れるとおいしいというわけでもないのかしら。勉強になるわ」
「ちょっ……、それ、どういう意味?」
いち早く立ち直ったレイミアがそう尋ねる。こうなることを見越して少ししか食べなかったレイミアも、なかなかにしたたかだ。
「あなたやジーニアス、ロイドが隠し味を教えてくれたでしょう。それを全て入れたら美味しくなるのではないかと思ったのよ」
「それで、全部入れたんですか?」
「全部は流石に無理だったわ。でも、手持ちの食材の中で、味が似ていそうなものを入れたの。どう? また違う味になったでしょう?」
「刺激的すぎてみんな動けませんよ……」
レイミアがため息をとともに肩を落とす。それと同時にぴくりと体を動かしたのは、マナだった。
『……なんか、ようやく我に返った気がする』
「あ、おはようマナ。やっと?」
『料理を作ってた時の記憶とかうっすらとしかないんだけど、なんでだと思う?』
「人はそれを現実逃避って言うんだと思うよ?」
『ですよねー……』
にっこり笑いながらそう言ったレイミアに、マナは若干顔を引きつらせながら答える。そして、周りを見て――ため息をこぼした。
『これ、今日と明日は絶対に移動できないよね』
「回復に専念しないとてもまずいと思うよ」
そう言うレイミアの表情は、何やらとても複雑で。マナはそれが経験から来ているものだと気づくまでに、時間はかからなかった。
そんな2人の会話を聞き流しながら、さらなる研究に取り組もうとしているリフィルに、マナは苦笑さえ浮かべることができなかった。
次の日、カレーを思い切り食べたロイドたちは、いまだ意識を取り戻すことなく、気を失っている。
それをかいがいしく看病するマナやレイミアの表情は、明るいとは言えない。
「昨日の惨劇を思い出すと、何とも言えない気持ちになるんだけど……」
『それはあたしも一緒だよ。本当、昨日のあたしはどうかしてた』
「昨日料理を作っている間のマナの瞳、焦点結んでなかったからね」
『あはは……。現実逃避怖いわ』
「でも、カレー食べる前に正気に戻ってよかったんじゃない? そのおかげで、カレーを食べた量が少なくてすんだし。そのままカレーを食べちゃった人もいるけどね」
『あ、あいつか……』
マナの栗色の瞳が、じとりと向けられた。その先には、クラトスがまだ意識を取り戻さないまま寝込んでいる。
マナと一緒に現実逃避をしたクラトスは、カレー(らしきもの)を思い切り食べていた。普段のクラトスからは考えられない行動だ。
「ま、珍しいものは見られたけどね。現実逃避するマナとか、普段じゃ考えられないような行動するクラトスとか」
『昨日のことに触れるのは、もうやめよう? あたし、割と気にしてるんだから』
「ごめんごめん」
ケタケタと笑うレイミアをマナは少しだけ睨むものの、その力はすぐに薄れた。
そして今も寝込んでいるロイドたちを心配そうに見つめている。
(マナ、本当に優しいよね)
普段は自由で自分にまっすぐなマナが、本当は心配性で困っている人を見捨てられない、優しい人だということを知っている。
(それなマナが、あたしは好きで憧れなわけだし)
『――何よ、レイミア』
「何でもないよ。ただ、マナが優しい人だなって、思っただけ」
『急に何を言い出すのよ? 怖いわ……』
「ちょっと! それ、どういう意味!? 褒めてるのに!」
信じられない! と怒るレイミアをマナが笑いながらなだめる。そして、顔を見合わせ、
『「――ふふっ! あはははっ!」』
笑い始めた。レイミアも、マナが本当に怖いと思って発言したのではないとわかっているから、本当には怒っていない。そしてそれを、マナもわかっている。
ひとしきり笑ったマナたちは、完全にロイドたちの存在を忘れていたことに気づいて、慌てて様子を見に行く。
そしてまだ意識を取り戻していないことに安堵と、恐怖を覚えた。
『リフィルの料理怖い。今度からあたしも止めに入る』
「そうしてくれるとありがたい」
『そう言えば、何でクラトスを止めに来させたの? レイミアとかロイドの方が良かったんじゃないの?』
「んー、あたしたちが行くと先生逆に意固地になって多分話を聞いてくれない、っていうのが1つ」
『もう1つは?』
「巻き込まれて毒味、なんて嫌だから」
『うわー……』
要は、レイミアは今回自分が巻き込まれないように動いていたということだ。
必要以上にリフィルを止めなかったのも、巻き添えを食らうことが嫌だったからなのだろう。
『レイミア、本当にいい性格してるわ』
「え? なんのこと?」
『わかっててそうやって言うところだよ』
「あはは……」
ロイドたちには申し訳ないけど、と申し訳なさそうに言うところが、いい性格をしているとマナは思う。
ため息をつきながらそう思うと同時に、ふと、気づいた。
『リフィルは、どこよ?』
「……あ、」
『すっかり忘れてたけど、あの人も無事じゃん!』
「ええ―! すごくまずい!」
慌てて辺りを見回した2人は、同じ方向で止まった。風に乗って、刺激臭が漂ってくる。
「……やばい」
『料理、してたのか』
やがて、その刺激臭はだんだんに近づいてきた。それと同時に、リフィルの姿も見えてくる。
リフィルは手に鍋を持っていた。そこから刺激臭がするのは、もはやお約束……としか言えない。
リフィルは2人の姿を認めると、ニッコリと笑った。
「あら、あなたたち看病ありがとう」
「先生、その手に持っているのは……」
「これ? おかゆよ。みんな倒れているから、消化と栄養がいいものを色々と加えてみたの。それとカレーも栄養が万点だから混ぜてみたんだけど、どうかしら?」
『いやどうかしら、というレベルじゃなくて、それは非常にまずいんじゃ』
「ちょ、まずい!」
「あら、そんなこと言うならば、マナが食べてみて? どんな味がするのか私に教えてちょうだい」
リフィルの目が笑っていない。レイミアはそれに気づいて、ゆっくりと後ずさりする。そして、マナも自分の失言にすぐに気づいた。
『もう、嫌だ!!』
「あ、マナ待ちなさい!」
マナが逃げ出し、リフィルが料理を持ったままそれを追いかける。意識を取り戻さない人がまだいるというのにのんきなことだ。とレイミアはため息をついた。
ちらりとロイドたちの方を見ると、眉間にしわを寄せてまだ寝込んでいる。あの様子だと、まだ意識が戻るのは先のようだ。
空を見上げると、抜けるような青空が広がっていた。今日もいい旅日和だ。……本来ならば。
「平和ではあるんだよねー……」
病人そっちのけで追いかけっこを繰り広げているマナたちを見て、レイミアは力を抜いて、笑った。
「ま、いっか」
リフィルも本気で追いかけているわけではない。(下手をすれば死人が出かねないが、それをレイミアは考えていない)
今日も仲がいいことだ、とレイミアは遠い目をしながら思うのであった。
Fin