10万打記念小説
「ここはまた……」
じっとりと湿りきったかび臭い空気が私の鼻腔を擽る。
掃除用具として持っていたバケツと箒を床に置けば案の定と言うべきか、厚く積もったほこりが舞った。
「掃除し甲斐があることで……」
いくら日勤の仕事の方が楽とはいえ限度というものがある。
無駄に広い薄暗い広間は私のやる気を削ぐには十分すぎた。
ここを今から一人で掃除すれば終わるまでに何時間掛かることか……止めよう。考えただけで気が滅入ってくる。
「まあ、定時で上がれなかった時は時間外手当をみっちり請求するまでです」
新生活のスタートというものはどこの世界でも金が掛かるのが常だ。
ホグワーツの給金事情は相対的に見てもけして悪いものではないと思うが、色々必要なものを揃えていくうちに懐は寒くなってしまう。
金が稼げるという点を考えれば時間外労働も悪いものではない。
……今度から稼ぎたい時はワザと仕事をもたつかせて残業を……
「……ダンブルドアにそんなセコイ手は通じないでしょうね。きっと」
くだらない事を考える暇があるなら手を動かした方が賢明だろう。
そう考え直し箒の柄を強く握ったその時だった。
「キッチンどこーーーー!!!」
「……はっ?」
盛大な音を立てて突如扉が開かれる。
あまりに豪快な音に驚いて顔を上げれば、扉の先から現れたのはー……
「えっと……誰さん?」
「……それはこちらの台詞です」
少女の波打つ豊かな金の髪が空気の動きに合わせて僅かに踊る。
アーモンド型の丸い灰色の瞳が私の姿を真っ直ぐ捉えた。
可憐言って差し支えない外見をした小柄な少女。これが私が予想もしていなかった来訪者の姿だった。
もっとも、扉を蹴破るという芸当で入室してきたことを考えると性格の方は癖がありそうだが。
「ここで仕事している方ですか?おっかしいな~シリウスさんはここにいるのはクリーチャーだけだって言ってたけど……
あっ、私、フリージアって言います。でも長いんでリジーって呼んでください。
そうだ!キッチン!キッチンの場所知りません!?もーここ無駄に広くって……ばっかみたいだと思いません?誰も住んでなかったのに」
無呼吸でよくここまで話せる……
一息で一気に捲し立てると、少女は私の手を握りぶんぶんと上下に激しく揺さぶった。どうやらこれが彼女なりの握手らしい。
容姿は可憐だが行動がそれに比例していない。
それが、彼女フリージア・ダーズリーの第一印象だった。
「へー……スコーンってこうやって焼くんですね~」
「フリージア……あなた本当に作り方を知らないで作ろうとしていたんですね」
「リジー!さっきから言ってるでしょ?ソフィア」
「失礼しました。リジー」
「OKー!許してあげましょう」
部屋に差し込む光が昼の白光から柔らかな朱色に移ろいで行く。
さっきまではあれ程薄暗いと感じていたのに、リジーがいるだけでこうも明るく感じるのだから不思議なものだ。
あれからキッチンを探しているというリジーにその理由を尋ねてみたのだが……
美味しいスコーンを作って奴を見返してやる!!
……という、何もかもをすっ飛ばした斜め上の回答が返ってきたのだから驚くしかない。
もっとも肝心のスコーンの作り方も知らないのに作ろうとしていたというのにはもっと驚かされたが……
「でもこれなら私でも何とか作れそう!上手に焼けるといいなあ……」
「実際に作れば分かると思いますが、案外簡単なんですよ?スコーン作り。リジーも美味しく焼けますよ」
私は生憎ホグワーツ内の台所の場所は知らないので、代わりにスコーンのレシピを書いた紙を渡すことぐらいしか出来ないけれど……リジーの反応を見る限り上々といったところだろうか?
フリージア……名前通りの花が咲いたような笑顔を浮かべる少女は、出会って間もない私から見てもとても好ましく魅力的だった。
「リジーにスコーンを作ってもらえる方は幸せですね」
「リドルがそんな事を思うなんてハリーとあの豚兄貴が仲良くキャッチボールするぐらいありえないから。ソフィア」
……リドル?
カラカラと笑いながらリジーが告げた名に悪寒が一瞬体を駆け抜ける。
同じ名を持つ人間(あれは幽体か)に現在進行形で振り回されている私にとって、リドルという名は嫌な予感しか感じさせない。
そんな私の様子を見たリジーはわけが分からないという代わりに首を傾げた。
「……って、もうこんな時間!?遅くまで付き合わせてごめん!……また会えるかな?」
「ええ。また会えますよ。きっと」
「うん!私もそう思う!じゃあねソフィア」
ヒラヒラと手を振り自身が蹴破った扉に身をくぐらせると、少女は夕闇の彼方へと消えていった。
リジーが扉を潜った一瞬、私も知っている少年の姿が見えたような気がするが……おそらく気のせいだろう。
だって、私の知っている『リドル』はあんな柔らかで穏やかな表情をしない人間なのだから。
「掃除……は明日にしましょうか」
不思議な少女との不思議な出会い。
彼女もホグワーツの生徒ならいつかまた会えるだろう。その時にスコーンの出来について尋ねることにしましょうか。
……でも、彼女に似た人間を以前どこかで見たような気もするけれど……いや、今はいい。
「では、また会いましょう。フリージア」
柄にもない私の呟きは夕暮れの広間に霧散していった。
Fin
じっとりと湿りきったかび臭い空気が私の鼻腔を擽る。
掃除用具として持っていたバケツと箒を床に置けば案の定と言うべきか、厚く積もったほこりが舞った。
「掃除し甲斐があることで……」
いくら日勤の仕事の方が楽とはいえ限度というものがある。
無駄に広い薄暗い広間は私のやる気を削ぐには十分すぎた。
ここを今から一人で掃除すれば終わるまでに何時間掛かることか……止めよう。考えただけで気が滅入ってくる。
「まあ、定時で上がれなかった時は時間外手当をみっちり請求するまでです」
新生活のスタートというものはどこの世界でも金が掛かるのが常だ。
ホグワーツの給金事情は相対的に見てもけして悪いものではないと思うが、色々必要なものを揃えていくうちに懐は寒くなってしまう。
金が稼げるという点を考えれば時間外労働も悪いものではない。
……今度から稼ぎたい時はワザと仕事をもたつかせて残業を……
「……ダンブルドアにそんなセコイ手は通じないでしょうね。きっと」
くだらない事を考える暇があるなら手を動かした方が賢明だろう。
そう考え直し箒の柄を強く握ったその時だった。
「キッチンどこーーーー!!!」
「……はっ?」
盛大な音を立てて突如扉が開かれる。
あまりに豪快な音に驚いて顔を上げれば、扉の先から現れたのはー……
「えっと……誰さん?」
「……それはこちらの台詞です」
少女の波打つ豊かな金の髪が空気の動きに合わせて僅かに踊る。
アーモンド型の丸い灰色の瞳が私の姿を真っ直ぐ捉えた。
可憐言って差し支えない外見をした小柄な少女。これが私が予想もしていなかった来訪者の姿だった。
もっとも、扉を蹴破るという芸当で入室してきたことを考えると性格の方は癖がありそうだが。
「ここで仕事している方ですか?おっかしいな~シリウスさんはここにいるのはクリーチャーだけだって言ってたけど……
あっ、私、フリージアって言います。でも長いんでリジーって呼んでください。
そうだ!キッチン!キッチンの場所知りません!?もーここ無駄に広くって……ばっかみたいだと思いません?誰も住んでなかったのに」
無呼吸でよくここまで話せる……
一息で一気に捲し立てると、少女は私の手を握りぶんぶんと上下に激しく揺さぶった。どうやらこれが彼女なりの握手らしい。
容姿は可憐だが行動がそれに比例していない。
それが、彼女フリージア・ダーズリーの第一印象だった。
「へー……スコーンってこうやって焼くんですね~」
「フリージア……あなた本当に作り方を知らないで作ろうとしていたんですね」
「リジー!さっきから言ってるでしょ?ソフィア」
「失礼しました。リジー」
「OKー!許してあげましょう」
部屋に差し込む光が昼の白光から柔らかな朱色に移ろいで行く。
さっきまではあれ程薄暗いと感じていたのに、リジーがいるだけでこうも明るく感じるのだから不思議なものだ。
あれからキッチンを探しているというリジーにその理由を尋ねてみたのだが……
美味しいスコーンを作って奴を見返してやる!!
……という、何もかもをすっ飛ばした斜め上の回答が返ってきたのだから驚くしかない。
もっとも肝心のスコーンの作り方も知らないのに作ろうとしていたというのにはもっと驚かされたが……
「でもこれなら私でも何とか作れそう!上手に焼けるといいなあ……」
「実際に作れば分かると思いますが、案外簡単なんですよ?スコーン作り。リジーも美味しく焼けますよ」
私は生憎ホグワーツ内の台所の場所は知らないので、代わりにスコーンのレシピを書いた紙を渡すことぐらいしか出来ないけれど……リジーの反応を見る限り上々といったところだろうか?
フリージア……名前通りの花が咲いたような笑顔を浮かべる少女は、出会って間もない私から見てもとても好ましく魅力的だった。
「リジーにスコーンを作ってもらえる方は幸せですね」
「リドルがそんな事を思うなんてハリーとあの豚兄貴が仲良くキャッチボールするぐらいありえないから。ソフィア」
……リドル?
カラカラと笑いながらリジーが告げた名に悪寒が一瞬体を駆け抜ける。
同じ名を持つ人間(あれは幽体か)に現在進行形で振り回されている私にとって、リドルという名は嫌な予感しか感じさせない。
そんな私の様子を見たリジーはわけが分からないという代わりに首を傾げた。
「……って、もうこんな時間!?遅くまで付き合わせてごめん!……また会えるかな?」
「ええ。また会えますよ。きっと」
「うん!私もそう思う!じゃあねソフィア」
ヒラヒラと手を振り自身が蹴破った扉に身をくぐらせると、少女は夕闇の彼方へと消えていった。
リジーが扉を潜った一瞬、私も知っている少年の姿が見えたような気がするが……おそらく気のせいだろう。
だって、私の知っている『リドル』はあんな柔らかで穏やかな表情をしない人間なのだから。
「掃除……は明日にしましょうか」
不思議な少女との不思議な出会い。
彼女もホグワーツの生徒ならいつかまた会えるだろう。その時にスコーンの出来について尋ねることにしましょうか。
……でも、彼女に似た人間を以前どこかで見たような気もするけれど……いや、今はいい。
「では、また会いましょう。フリージア」
柄にもない私の呟きは夕暮れの広間に霧散していった。
Fin