夢主交流

記憶がなくって、でも、それに決して縛られない。

風のように気ままに生きて、真夏の太陽みたいにバカみたいに笑って、踊って…


《二人の踊り子》

「話には聞いていたけど、この町本当に…」


青い、強い草の匂いを孕んだ風が私の頬を撫で去っていく。

その匂いの教える通り、今が盛りとばかりに生い茂った草木は間違いなく夏の到来を告げていた。

遠くに見えるあの鐘付きの白い建物は教会か何かだろうか?

その建物から延びる斜面には段々畑が広がり、収穫の時を今か今かと待っている色とりどりの夏野菜たちがたわわに実っていた。

つまり、総括すると―…


「田舎ね。」


積み木の町 ドミナ。

誰が始めにそう呼び始めたのかは分からないけど、その名に恥じない小さな町は、確かに私を迎えてくれたのだった。


私には記憶がない。

いいえ、正確に言うと少し違う。何故なら、私は最近の出来事はしっかりと覚えているから。

例えば、一昨日の晩ご飯に何を食べた?と、聞かれたら私は即答できるはずだ。…うん、たぶん。

でも、ある一定の時間を遡るとそこで私の記憶はぷっつりと途絶えてしまう。

いくら探しても記憶は深い霧の中、あるいは深海の底に沈んでいるかのようで、私にはその影すらも見えない。

現に、今名乗っているこの“ヴァニラ”という名も友人に付けてもらったもので、私は、私自身の本当の名すら忘れているのだ。

だけど、別にそれが悲しいというわけじゃない。

自分を不幸だと言いたいのではない。

確かに私は自分の名前すらなくしてしまっている。

でも、今の私は“ヴァニラ”。

本当に、本当に大好きな友人が私にくれた贈り物。

それをどうして嫌いになれると言うのだろうか?

むしろ、私にとってこの名前は宝物で―…何よりもかえがたい大切なものだった。

そして、何より、私は今の自分が嫌いじゃない。

記憶がないって事は言い換えれば何もかもが新鮮で―…そんな生活も悪くはない。

悪くはないのだけれど―…

だけど、本当の自分を知りたいというのも紛れもない私の心。

自分でも面倒な事を考えてるなー。って思うけれど、これが私なのだから仕方ない。

だから、私は旅をしているの。

勿論、自分の記憶の断片を探すからというのもある。だけど、それは理由の半分。

残ったもう半分の理由。それは単純に旅が楽しいから。

見知らぬ町で出会う美味しいもの不思議な景色、そこに暮らす人々。

一つとして同じ風景はない。私はそれを見るのが好きなのだ。

…とは、言ったものの。


「はあ…どうしよう。お金もそろそろ底尽きそうだし―…」


簡単に旅をしていると言ったものの、旅というのは言葉に言うほど楽なものでもない。

どうしても現実的な問題に直面してしまうのだ。

身も蓋もない言い方をするならば、地獄の沙汰も金次第―…は、何か違う気がするから置いておく。


「大体、路銀を稼ごうにもこの町じゃね―…」


私の旅の主な資金は大道芸、もとい踊りによって稼いだお金だ。

踊りは、特技が功を奏して思いついた私流の資金稼ぎ術だった。

流れの踊り子として諸国を漫遊し、必要とあらばその土地の領主の前で舞を披露したり、劇場があればそこで一時的に雇ってもらったり。と、まあ、そんな感じで稼いできたわけだけど―…

正直、この町ではとてもじゃないけどお金を稼げそうにもない。

だって、観客なんて草虫かタコ虫ぐらいでしょ?ここ。

恐るべき田舎。

さて、これからどうするかというのが目下の課題だ。

路銀なし。稼げそうもなし。今から街道を戻ろうにもそのお金すらない。


「…はあ。どうしよう。」


私の切実な悩みに答えをくれる人なんか、やっぱりタコ虫ぐらいなわけで―…

深い、深いため息を一つついて私は宿らしき建物の扉に手を掛けた。

―…皿洗いぐらいあればいいな。と、そんな淡い期待を込めて。

―…そこは宿ではなかった。


「…だから!ピーちゃんに変なものをあげないでって何回言えば分かるんッスか!」


『変なものって失礼な!これはあたしの家の木から採れた新鮮なクジラトマトです!
大体、そうやって日がな一日日影にいるほうがかえって体に悪いでしょうが!』


いや、宿には宿なんだけど―…えっと…宿でいいんだよね。看板出てたし。

きっと、この光景を見たら十人中十一人ぐらいはそう感じるはずだ。

人数が合わないとかこの際どうでもいいのよ、うん。

宿自体はなんて事ない至って普通のつくりになっていた。

決して豪華ではない簡素な二階建の木造の建物は優美さや華美さはないけれど、不思議と訪れた者をホッとさせる―…この空間はそんな空気を漂わせていた。

アンティーク調の柱時計。少し日に焼けて褪せた白のレースのカーテン。

受け付けのカウンターの上では今朝摘まれた花だろうか?夏に相応しい大輪のひまわりが揺れていた。

ここまではいいのよ、ここまでは。


「ピーちゃんはマナと違って繊細でデリケートなんッスよ!?」


『繊細でデリケートって、どっちも同じ意味じゃん!
って、待て!それってあたしが神経図太いみたいじゃん!』


「…えっ?」


『…えっ?』


宿の落ち着いた内装とは真逆の賑やか過ぎる光景に、さっきとは違う意味でため息をつきたくなったのはここだけの話。

…本当、今日はなんて日なんだろう。


「とにかく駄目なもんは駄目ッス!それから、この間掃除サボって逃げた罰としてマナには客寄せをやってもらうッスよ!」


『はぁ!?ユカちゃん、それであたしを呼び出したわけ!?』


柱時計が私が宿に入ってからすでに十分ばかりの時が過ぎたことを教えている。

にも関わらず、私の目の前の奇妙な二人組の口論は鎮静化するどころか、ますます白熱を極めているようだった。

二人のうち一人(一羽?)は恰幅のいい黄色チョコボで、興奮しているのか時々その大きな翼を震わせて羽を床にばらまいていた。

そして、もう一人―…

その人は華奢な体格の女性だった。

各地を回ったはずの私でも見たことのない紫の民族衣装を身に纏い、昼の光を思わせる金の髪が背中で揺れている。

そして、彼女の栗色の瞳には華奢な体格からは想像できないような強い光が宿っているように、私は思ったの。

立ち聞き―…するまでもなく聞こえてくる二人の会話は、いつの間にかピーちゃんという人物から宿の客寄せという全く違う話題へと移っていた。


『嫌ッ!大体、こんな暑い日にそんなことやってられんわ!』


「四の五の言わずにこの宿のために腹くくるッス!」


『なんでそうなるのよ!』


不毛。その一言に尽きる。

聞いての通り、二人の会話は平行線のままで、とてもじゃないが収集がつくとは私にはどうしても考えられなかった。

ん?ちょっと待って。今、この二人客寄せがどうこうで揉めてるんだよね?

もしかしなくても、これは―…


「あの―…」

まず、あたしの目を引いたのは彼女の容姿だった。

まるで夜明けの空のような深い青の長い髪。

紫水晶を思わせる瞳は長い睫毛の奥でもその輝きを失ってはいない。

スラリと伸びた白く長い手足。

病的な細さではない。

健康的な彼女の肢体は見る者の目を大いに奪うこと受け合いである。

散々言っては見たけれど、彼女の何がすごいって胸ヤバくない?

…いやいや、そうじゃなくて!


『…誰さん?』


「…誰ッスか?」


先程の不毛な平行線会話から一転。

一気に心が交わったあたしとユカちゃんは、ほぼ同時に同じ疑問を口にしたのだった。




「うーん…旅の踊り子ッスか。」


真夏の太陽は天球の中心部へ。

じりじりと白い光に焼かれている外とは対照的にこの宿屋の中は涼しさを保っていた。

そんな室内で繰り広げられる面接大会。

面接官は勿論、この宿の(自称)看板娘ことユカちゃんその人。

じーっと相手を見つめるユカちゃんの目はあたしとふざけ合っていた時とは異なり、すでに商売人のそれに変わっていた。


「はい、ヴァニラと言います。宿の客引きを探しているのでしたら私を雇ってください。長期はさすがに無理ですけれど―…」


そして、ユカちゃんの瞳を真っ正面から受けとめる彼女の瞳もまた真剣なものだった。

それにユカちゃんも気付いたのだろう。

だけど、長期は無理という言葉が引っ掛かるのか、あと一歩のところでユカちゃんは二の足を踏んでいるように、あたしには見えた。

そう、あと一押し。誰かが背中を押してあげればいい。

だったら、背中を押す誰かはすでに決まっている。


『いいじゃん。雇っちゃいなよ。』


「マナ!?何、勝手に決めてるんッスか!」


『決めるも何も…本当はユカちゃんだって答えは決まってるんでしょ?
…それに、あたしは今回は絶対にやらないから。』


そこまで一気に捲くし立てれば、ユカちゃんも心に決めたのだろう。

あたしに向かって一つ頷くと彼女の方へと向き直り、正式採用を告げたのである。

さあて、そうと決まったら夕方のステージの準備でもしますか。

流石に、この炎天下の下じゃお客さんが来る前に彼女が参っちゃうもの。全ては今日の夕方になってから。




暑い、うだるような熱をもたらしていた太陽は世界の反対側へその身を潜める。

夕闇を薄く棚引く雲が彩り、そして、東の空から上った月は一人の美しい踊り子を優しい光で包み込んだ。

鈴やかな彼女の声に合わせてハラリと布が舞う。

その光景にまた一人、道行く人の足が止まった。

くるくる綺麗な円を描いて彼女―…ヴァニラは踊る。

きっと、あたしの他の人達と一緒でその姿に魅せられていたんだと思う。

ヴァニラの舞いが終わると同時に辺りを包んだ割れんばかりの拍手。

気が付けば、あたしも自然とその拍手の輪の中に入っていた。


『お疲れさま。すっごく綺麗だった!』


息があがる。心臓がドクドクと騒めく。

だけど、それも、体に滲んで張りついた汗だってこの瞬間だけはとても気持ちのいいものだった。

踊ったあとの何とも言えない高揚感と充実感。

私はこの瞬間が何よりも好きだった。

乱れた息を整える私の肩口から聞こえてきたのは一人の女性の声。

振り返ればそこには、マナ―…と名乗った女性がやっぱりいて―…。

彼女は満面の笑みを浮かべると私に告げたの。

お疲れさまって。




「…本当にいいんですか?お給金までいただいたのにご馳走までしていただいて―…」


『あー…気にしない、気にしない!お客さんがたくさん泊まってユカちゃん大喜びだったでしょ?
せっかく何だから立役者と打ち上げでもしてこい!って、うるさかったのよ。
そんなわけなんで、今日のご飯はユカちゃんの奢りです!』


いよいよ空の主役が月と星々になった頃。

私はマナに連れられて宿の横に併設されている小さな酒場へとやって来ていた。

何でも、いつもは閑古鳥が鳴いている宿が今日は大盛況だったようで―…


『ほんっと、あなたって凄いわね。踊りはどこで覚えたの?まさか独学?』


マナの瞳に昼間見た強い光が灯る。きっと、好奇心が強い人なんだろう。

勝ち気で負けん気の強そうな彼女の瞳に相応しいその光。

今思えば、宿でマナを見た時から、知らず知らずのうちに私はその光に魅せられていたのかもしれない。


『へえ…。あなたも記憶がないの?』


「…も?って、どういう意味ですか?」


マナと二人で次々と運ばれてくる料理を食べて、甘い果実酒で喉を潤して―…そんな時だった。マナがそう漏らしたのは。


『あっ、敬語止めていいよ。見たところあたしとそう年も離れてるってわけじゃなさそうだし。
とは、言ってもあたしもヴァニラも記憶がないんじゃ年齢云々は言えないけどね。』


一瞬、ほんの一瞬だけ遠くを見つめるとマナは笑ってそう告げた。


「…寂しいですか?やはり―…」


『敬語。』


「あっ…は―…じゃなくて、うん。やっぱり寂しい?記憶がないのって。」


『うーん…。ヴァニラ、もしかしなくてもあたしが何を言うか分かってて聞いてるでしょ?』


あら?バレたか。


「…フフッ。私達似たもの同士だもの。」


記憶がなくって、でも、それに決して縛られない。

風のように気ままに生きて、夏の太陽のようにバカみたいに笑って、踊って―…

きっと、私達、すっごく仲良くなれると思うの。


『ちょい、待ち!何であたしが踊ることをヴァニラが知ってるの!?』


「あら?旅人の間では結構有名な話よ?ドミナには変な踊り子がいる、ってね。」


でも、マナが変なら似た者同士の私も変わってるって事かしら?

そう言えば、面白いぐらいにガクッ…とマナは肩を落とした。


「いつかマナの踊りも見せてね。」


『…ヴァニラがまた踊ってくれるなら、ね。』


私はまた流れるけれど、マナとはまた会える気がする。…いいえ、気がするじゃなくてまた会える。

小さな積み木の町ドミナ。

私とマナ。二人の踊り子の笑い声は風に運ばれ、宵の優しい闇の中に溶けて、ゆっくりと消えていった。


Fin
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