第12章 復興、そして北へ

しかし、兄弟達が祭りに上ると御子自身も公然とではなく密かに上って行われた。

祭りの時、人々は御子を探し求めて「あの男はどこにいるのだろう」と言っていた。

群衆の間では御子は色々取沙汰されていた。「善い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。しかし、皆恐れて誰も御子について公然と話す者はいなかった。

人々の中には次のように言う人達もいた。「これは人々を殺そうとしている人ではないか。見るがよい。この人は公然と話しているのに。彼らはこの人について何も言わない。もしかしたら、議員達はこの人がメシアだと本当に認めたのではないだろうか。しかし、私達はこの人がどこの出身かを知っている。メシアが来る時はどこから来るのか誰も知らないはずだ」

御子は境内で教えておられたが、声を張り上げて仰せになった。

「あなた方は私を知っており、また私がどこから来たのかも知っている。だが、私は自分勝手に来たのではない。私をお遣わしになった方は本当におられる。あなた方はその方を知らない。私はその方を知っている。何故なら、私はその方の元から来たのであり、その方が私をお遣わしになったからである」

そこで、人々は御子を捕らえようとしたが、誰一人手を掛ける者はいなかった。御子の時はまだ来ていなかったからである。

群衆のうち多くの者は御子を信じて、こう言った。

「メシアが来られても、この人が行ったよりも多くの徴を行われるだろうか?」


【ヨハネによる福音書 第7章】






「……そこまでにしてもらおうか」


「お前……いつの間に……!!ッ!!!」


その光景を見た瞬間、一瞬にして体中の血管を巡る血液が沸騰するような、そんな感覚を覚えた。

俺が介入する事で話がさらに拗れるかもしれない。彼女の立場を危ういものにしてしまうかもしれない。……分かってるんだ。そんな事は。だが、そんな事を考える余裕はなかった。一欠けらすら。

地面に倒されピクリとも動かない彼女の身体を髪を乱暴に鷲掴みにし、引っ張り上げている男たちを見て平静でいられるほど俺は冷静沈着ではないし、黙って見ていられるようなボンクラでもない。

彼女の髪を引っ張り持ち上げている名も知らない男の背後へと気付かれないように回り込み、男の細腕を捩じ上げ締め上げた。……成人の男のものにしては不自然にやせ細った腕を。男の呻き声と共にそいつの腕からエテルの身体が離れ崩れ落ちていく。地面に再び彼女の身体が落ちる前に腕を差し入れ支え、抱えた。

僅かに上下している胸と微かに漏れている息に自分自身も安堵の息を吐き出して。傷はあるが大きなものはない。おそらく頭を殴られて一時的な脳震盪を起こして気絶しているのだろう。


「てめえ……この女が何をしたか……!赤軍が……純血主義者達が俺達に何をしたのか……知っているのか!!?こいつは俺達を惑わせに来たんだ……!こいつは俺達を殺す者だ!!お前達が……あいつらさえ―……純血主義の馬鹿どもがいなければ……俺は……俺達の家族は……!!!」


「ああ……知っている。お前達が場違いで理不尽な暴力を彼女にぶつけたことをな」


まだ目覚めない彼女の小さな傷が付いた白い頬に自分の手の平を添えて軽く撫でる。彼女とこうして一緒にいるというのに自分がたった今発した声はどこまでも硬質で冷たいものだった。身体の中で確かに煮えたぎっているのを自分でもはっきり感じているというのに口から出た瞬間、それはその先で凍り付いていく。


「お前達が感じている理不尽を理不尽にぶつけて―……それで現状が変わるのか?彼女を殴る事でお前が感じている飢えは収まるのか?渇きは癒えるのか?家族は帰って来るのか?」


彼女の身体を腕に抱え、そのまま立ち上がった。ぐるり、と彼女を取り囲んでいたボロを纏い、酷く痩せ細った男達を見まわして。軽蔑、侮蔑、そういった視線と共に。数歩、男達がたじろぐ様に後ろに下がったのが分かる。


「目には目を。歯には歯を。不条理には不条理を、か?なるほど。理屈は通っている。だが、それを許すか許さないかは別の話だ。彼女は俺にとって大事な人なんでね。……あんたら全員の命を束にしたよりもずっと、ずっと、な」


彼女の肩を抱く手に無意識に力が籠る。エテルの怪我が大きくなかったおかげで寸でのところで理性を保ててはいるが―……彼女が暴行の末に嬲り殺しにされていたとしたら俺はこの男達の事を殺していただろう。それもただ殺すのではなく最も苦痛を感じるであろう殺し方で。彼女がそれを望んでいないとしても。


「……見逃してやる。早く失せろ。斬り捨てられたくないならな」


こいつらが感じている閉塞感、不条理は俺にもわかる。血という持って生まれた自分自身の努力ではどうにもならない事を理由に持つ者に虐げられ不当な差別を受ける。……その苦しみや悲哀、憤怒は筆舌し難いものがあるだろう。それは自分自身も思い当たる節がある。

が、こいつらへの同情だけで彼女にした仕打ちが打ち消せるわけでもない。こいつらは彼女を傷付けた。何の罪もない、いやそれどころか救おうとしている彼女に害した。俺がこいつらと相対する理由はそれで十分だ。


「……聞いてなかったのか?失せろと言っている。とっとと今日の分の飯でも貰ってきな。早くしないとなくなるぞ」


この国の飢えは自分が思っている以上に深刻なのかもしれない。物理的な飢えではなく、精神的な飢えが。






「……っう……メド……ら……」


「気が付いたか?エテル」


「ここ、は……?」


エテルの長い睫毛が微かに震える。それに少し遅れるようにして薄く開いた瞳に彼女に悟られぬように一人胸を撫で下ろした。目の焦点も変にブレていない。頭を殴られていたようだったから気掛かりだったんだが……これなら後遺症だとかそういった類の心配はしなくて済みそうだ。


「俺のテント。痛みは?眩暈がしたり吐き気がしたり―……エテ……」


白い滑らかな頬を伝って涙が一筋落ちていく。落ちて落ちたそばから再び溢れて。渇いた地面に吸い込まれ、染み込み消えていく。無色の透明な涙が。

涙を見た刹那、俺は腕を伸ばしていた。彼女の震えている小さな体を腕を使い囲み閉じ込めた。……そうでもしないとこいつは、エテルは消えてしまう。そう錯覚するほど今の彼女は儚げだった。


「メド……ラウ……トさん……私……わたし……愚かだったの……ここに来ること……覚悟していたはず……なのに……フリドさんに……言われて……いたはずなんです……でも……何も分かって……いなく……て……」


「……うん。泣いていい。お前が頑張っていたこと、知ってる。でも、俺の前で頑張らなくてもいいんだ。いいんだ、エテル」


髪を梳き、彼女の背中を擦った。何度もしゃくり上げ涙を流すエテルの背中を。

……この時自分の中で何かが動いた。今までのただ漠然とした想いではなく強く堅強な想いに変わっていく。

俺は彼女を―……エテルを守りたい。守ってやりたい。あらゆる厄から。他の誰でもない自分自身の手で。

人の為に自分の心と身体を砕いて分け与えている彼女を守ってやりたい。支えてやりたい。

俺は騎士だから。彼女が、エテルが大切だと失い掛けて気付いたから。……ずっと一緒にいたっていうのに遅過ぎだよな、本当に。


「エテル。俺のそばから離れるな。……言っただろう?お前の事守るって。いなくなるな、俺のそばから。……助けに行くのが遅くなって……悪かった」


腕の力を僅かに強め身体を丸めた。少しでも彼女が安心できるように。彼女が俺のそばからいなくならないように、と。


≪アナム・メドラウト≫
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