第12章 復興、そして北へ
私の父の元からあなた方に遣わす弁護者、すなわち父の元から出る真理の霊が来られる時、この方が私について証して下さる。また、あなた方も証をするだろう。初めから私と共にいたのだから。
あなた方が躓く事のないように私はこれらの事を話してきた。
人々はあなた方を会堂から追放するであろう。それどころかあなた方を殺す者がみな、自分は神に仕えているのだと思う時が来る。
彼らがこのような事をするのは父をも私をも知らないからである。
しかし、あなた方にこれらの事を話したのは、その時が来た時、私が言った事を思い起こさせるためである。
【ヨハネによる福音書 第16章】
「あっ……」
「お前は……たしか、名はアルフォート……だったな」
「はい。あなたはアウラーナ、さん……でしたよね」
「フルオライトの方でよい。お前以外の連中は私の事をそう呼んでいることだしな」
降り積もる。降りしきる。深々と。いや、積もっていた、か。嵐だった酒屋とは一変し長い廊下の窓から見る外の景色はどこまでも腫れ上がり澄み渡り、大地を埋め尽くす雪原と底が見えないほどの蒼穹が明瞭な境界を持って広がっていた。痛いほどの眩しいコントラストを描いて。
「……昨夜は酷かったみたいですね」
「ん?ああ。この辺りは春が近付いてくると昨晩のように雷を伴って天候が荒れる事がある。お前達は運が良かった。本格的に吹雪く前にここに辿り着いた……」
「いえ、あの……俺が言っている酷かったというのはそちらではなく……」
「ああ……”あちら”の方か」
言葉を澱ませ目を逸らせば、向こうも俺が言った酷いが何だか、何を言おうとしたのか察したのだろう。この洋館の主人であるフルオライトと名乗る貴族の男は眉間に刻まれている渓谷を更に深いものへと変え、揉む様にその場所を指で押さえた。実際、本当に今頭が痛むのかもいしれない。それぐらい昨夜は酷かった。
フルオライトとセデルは旧友らしいが……セデルと旧友な限りこの人の頭痛は治らないのかもしれない。あの人、ノルンさんがいた時は猫被ってたな、絶対。
「でっ、あのうつけ者どもは?」
「刻さんは鍛錬に行くと外に出て行きました。後は俺が出る時には寝てましたね。俺は何だか寝付きが浅くて……二度寝も出来そうもないので起きたんです。フルオライトさんこそ随分起きるのが早いんですね」
「別に。特段早いというわけでもない。いつもこの時間には起きている。こう見えてもやらなくてはならない仕事が山ほどあるんでな」
一つ鼻を鳴らし吐き捨てるように言葉を紡ぐと、フルオライトはズカズカと大股で俺の横を通り過ぎて行った。……しかし、貴族ってやつはどうしてこうもみんな居丈高なんだ?だから貴族なんだろうけど。その高慢な態度に誰かを思い出して、自然に笑みが零れ落ちた。あっちは男ではなく女だけど。
……怒っている……だろうな、ルマ。プライドの塊みたいなやつだ。なんでも背負い込んで溜め込んでるのにすら気付かない。そのくせプライドは高いから人に頼ろうともしない。
ルマからすれば別れたあの日、俺があいつにした行動は到底許せるようなもんじゃないだろう。あいつの自尊心を俺は踏み躙った。間違いなく。だけど、ルマ、俺はー……
「……どうした?」
「えっ?」
「ついて来いと言っている。手間を取らせるな」
不意に遠ざかりつつあった足音が止まり、低く、やけに通る声が自分の耳に届き鼓膜を揺さぶった。どこか間の抜けた声と共に低い声がした方へ顔を向ければ、相も変わらず眉間に皺を刻んだ男がこちらを睨み付けるようにして見つめている。……ついて来いって、どこにだ?
「取りあえず、そこに座れ。茶は出さんぞ」
「……」
屋敷の最奥に位置する部屋の扉が音も立てずに開いていく。誰が手を触れずともひとりでに、自然に。まるで扉自身が意志を持っているように部屋の主の姿を認識し開いたように見えた。
男の後に続いて扉を潜れば、まず目に付いたのは質素な執務実の机とその上に積まれた書類の山だった。昨日今日ここを訪れたばかりの俺はこの男と昔からの知り合いらしいセデルとは違って、この人の事を全く知らないが、それでも整然と整理されたこの部屋は、この人の本質そのものを映している鏡のようなもののように思えた。ん……この絵は……
「……それが気になるのか?」
「この絵に描かれている人は……」
「私の父上と母上だ。……座れ」
ふっと目に留まった壁に飾られた一枚の油彩絵に目を奪われ、囚われる。時間にしたらほんの数秒。だけどその絵を見た瞬間、一瞬、時が止まったような気がした。俺の周りだけ。絵の中で微笑んでいるこの女はー……
「アルフォート、お前の瞳の色……昨夜見た時と色が違うな。夜見た時は紫だったが今は緑だ。魔法か何かの影響か?それとも戦傷か?」
「……おそらくですが、生れ付き、だと思います」
「おそらく?思う?自分の事なのに随分煮え切らない答えだ」
「俺、孤児ってやつですから。育ててくれた義父さんと義母さんはいるにはいますが、その人達と俺の間に血の繋がりはありません。ただ、物心ついた時には目はこうだったんで、たぶん生れ付きなんじゃないか、と……」
こつり、コツリと時計の針が進んでいく。淡々と目の前の男が俺に尋ねているその間も構わずに。
正直、何故初対面に近いこの人とこんな込み入った話をしているのか……自分でも分からない。そもそも誰かとこんな話をするのは気が進まない。
なのに、何故俺の口はこうして動いているんだろうか?絵を見たから、か?でも、なら何故、この人が母と呼んだ人の肖像画にこうも心を囚われているんだろう。何故、絵からすぐに目を離すことが出来なかったんだろうか?
「俺には生みの親は……いません」
その瞬間、自分の周りで固まっていた何かが緩やかに解けて、音もなく溶けて行ったような気がした。
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「……どうだった?」
「貴様か、ようやく起きたのか」
「お前も知っているだろう?寒いのは得意じゃないんだ。……まあ、それでも起きてからしばらくは経つが。で、話したのか、アルフォートと」
天の中央よりだいぶ東に低い位置から降る日差しが雪に反射し煌めいていた。硝子越しに雪を、そしてその硝子に反射し映り込んでいるフルオライトの表情を見つめながら背中を壁へと預ける。
「その前に二つ、改めて確認したい。一つ、城の地下の封印は本当にあの青年に反応したのか。二つ、お前達としばらく前まで行動していた女はー……」
「一つ。間違いなく地下墓地に施されていた聖王の封印はアルフォートに反応していた。だから、フリードリヒは彼をあそこまで連れて行ったんだろう。それから二つ目だがー……あれは間違いなくルマンド姫本人だ。私もピエールも元は騎士だ。姫からすれば我々は数ある騎士のうちの一人に過ぎない。顔を覚えていないのは当然だろう。が、こちらはそうではない。見間違えようがない。そしてー……」
「あの青年と姫は少なからず想い合っている様子だった、と?」
古くからの友人の問い掛けに一つ首を縦に振り、答えを返す。あの青年は惹かれている。間違いなく。私から見て分かる程度には。私がノルンに惹かれたのと同様に彼はルマンド姫に惹かれている。
今日何度目になるか分からない深い息がフルオライトの口から零れて落ちる。天を仰ぐ様に顔を上げて目元を手で覆うと、奴は大きく肩を落とした。
「単刀直入に聞こう、フルオライト。アルフォートは……」
「ああ、お前が考えている通りだ。奴は王の……聖王ブルボンの血を引いている。それも直系の。私の叔母上の……ロアンヌ叔母上が産んだ王子だ。……つまり……」
「アルフォートとルマンドは血の繋がりのある、兄妹」
静まり返った執務室に時計の針の音だけが残響していた。何かが微かな音を立てて壊れていこうとする、そんな気にさせる音が響いていた。
《アルフォート/セデル・レイディアント》
