第12章 復興、そして北へ
医の神、アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。
この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
依頼されても人を殺す薬を与えない。
同様に婦人を流産させる道具を与えない。
生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。
【ヒポクラテスの誓い】
「んだよ……まだ朝の三時じゃねーか。フローレンス、いくら俺が寝坊の常習犯だからって人を起こすの早過ぎだろ……」
まだ明けきらない夜が周囲に重く立ち込めている。どこか遠くで夜鷹が物悲しく囀っていた。鵺だってまだ起きる前だ。こんな時間に鳴くのは夜鷹か梟ぐらいなもんだろう。
目やにでくっついている目を擦り演習用のテントの入り口の方へと顔を向ければ、吹き込んできた夜の底の風にぶるりと身体が一度震えた。昨夜はこのへんには珍しく寝苦しい夜だったが、夜が明けるか明けないかのこの時間は流石に冷える。
人がせっかく気持ち良く寝てたってのに……この仕打ちだ。しかも今回の演習ではこいつにテントに殴り込みをされるような軍規違反は起こしていない。……まだ。
それなのにいったいどういう要件だと怨みを込めて舌打ちをした、その瞬間ー……
「……助けて!助けてやって欲しい!!!エゼキエル!」
「はあ?」
人の胸倉を乱暴に掴み、いつものように平手打ちを食らわせるでもなく、ただ前後に俺の身体を揺すったそいつの身体から漂う真新しい血の臭いに、気付いた。その臭いに寝惚けていた頭が一瞬にして覚醒する。……見た限りフローレンス自身は怪我をしている様子はない。なら、答えは一つだ。
「怪我人が出たんだな?誰だよ……こんな夜更けに怪我する馬鹿野郎は。おい、案内しろフローレンス」
軍の医療用テントの中にそいつらはいた。そいつらをここに運んで来たと思われる俺と顔見知りであるじーさんと共に。簡易ベッドの上に寝っ転がされているズタボロの四人を見た瞬間、その光景に眉間に手を当てずにはいられなかった。
裂傷による多発外傷。それも重度な奴が4人一気にだ。起き抜けにまだ医者としては駆け出しのフローレンスと二人でこの四人を見ろって言われてみろ?何かの冗談だろって思いたくもなる。現実逃避を試みたところで冗談ではないわけだが。
「気道の確保……は全員分してあんな。脈は?」
「あります。が、徐々に弱くなってきていて……」
「だろうな。十中八九出血性ショックだろう。止血は……してあんな。一番怪我の程度が軽いのは……金髪のこの嬢ちゃんか。首飾りが刃先を受けてくれたおかげで傷が浅くてすんだんだろう。……一番重いのは……金髪の小僧だな。ちっ……おい、フローレンス。軍の薬品備蓄テントからアドレナリン持って来い。血圧が下がって来てる。それから、細胞外液を補充するために乳酸リンゲル液を急速静注。出て行っちまった体液をどうにかしてやんねーと……金庫番が渋ってもてめーの馬鹿力なら金庫番ボコボコにして黙らせる事できんだろ?……それから、アーチボルトのじーさんは清潔なタオルと毛布、あと人の体温ぐらいのお湯を用意してくれねえか?」
「久々に会ったって言うのにジジイ使いが荒いなぁ……エゼキエルは」
傷病者を挟んで一瞬、酷く懐かしい目と視線が交わる。以前見た時より目尻の皺は増えているがそれ以外は何も変わっちゃいなかった。……ジジイ使いが荒いって俺の方が現役時代のあんたから散々荒い扱い受けてしごかれたんだがなあ……
「まあ、お互いしみったれたくせえ話は後回しだ。じーさん、この小僧の血液型、あんた知ってるか?」
「いや、知らん。一刻ほど前俺の家の扉を夜中だってのに誰かが叩いてな。物音に気付いて出てみればこの四人が玄関の前にいたんだよ。最低限の処置がされた状態でな。俺とヘルガで見ようにもこの傷では……その時思い出したんだ。確か数日前から軍がここで野外演習をしていたはずだ、とな。だから駆けこんだ。俺もここにいる全員の血液型どころか名前も分からない」
顎に手を当ててもう一度一番傷が深そうなガキへと視線を向けた。他の奴らも必要になるかもしれないが、再度トリアージをしても今一番血が必要なのはこのガキだ。
輸血しようにも血液型が不明……となると取りうる手段はただ一つだな。
「フローレンス!薬品取って来るついでにO型の血液も持って来い!!」
「で、ですが……その子供の血液型が分からない事には……!」
「いいから!Oでいい!さっさと持って来い!!」
「は……はいっ……!」
O型は基本どの血液型にも輸血できる。O型には血液型抗原がないからだ。型が違う場合でも血液が凝集反応を起こさずに済む。
本当なら同じ型のものを投与するのがベストだが……分からないんじゃそれもできん。ならこれ以外方法はない。薬品庫に緊急用の輸血用の血液もいくつか備蓄してあったはずだしな。
”医の神、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守る事を誓う。自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。この誓いを守り続ける限り私は人生と医術を享受し、全ての人から尊敬されるであろう。しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう”
こいつらは軍人じゃない。軍の備蓄の薬品を使う事は軍規違反になるだろうが……あの誓いを守るよりかはマシなはずだ。
「安心しな。おっさんがおめーらの事、助けてやっからよ」
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「ジュネーブ!だからいつも床で寝るなって言ってんだろ!あんたがそこで寝てると床も掃けないじゃないか!」
「ジュラ~お前もっと常連のジジイにかける優しい言葉ってもんがあんだろ~?」
安酒場の木の窓が切り取る世界が目を開ければ夜から朝へと変わっていた。まだ紫紺が薄く残る空に薔薇の色が混じってやがる。どうやらまた賭けに負けた腹いせに深酒をして引っくり返って寝ていたらしい。どんな時でも寝れるもんだ。ちなみに懐はすーすーする。色んな意味で。
頭を雑に箒の穂先で突かれ、むくりと上体を起こせば、手を腰に当ててこちらをジトリと睨みつけ見下ろしているこの酒場のウエイトレスと目が合った。
「ぷーたろーに掛ける優しい言葉なんてないよ。ほら、掃除終ったら店閉めるんだから早く出て行った。それともゴミと一緒に箒で掃く?」
「あのなー人の事ぷーたろーぷーたろーって……おっさんはこう見えてちゃんとした医者……」
「ギャンブルジャンキーの間違いだろ?」
「いいんだよ。ギャンブルで経済に貢献してんだから。……まっ、いいわ。ごちそーさん。また来るってマスターにも伝えておいてくれや。今度はポーカーで負けねえっていうのもついでに、な」
どっこいしょと腰を上げて、腰を上げたついでに尻を片手で掻く。床でふて寝している間に、随分懐かしい夢を見たもんだと大口で欠伸をしながら思い出して。
朝靄の中、低く飛ぶ竜が吹き溜まりの路地裏に影を落としていた。あの日、一命を何とか取り止めた三人を運んだのも竜だったなと、ふと思い足を止める。
一人はクレインが、もう一人はトーマが、もう一人はエールリッヒが王家所縁の修道院に運んだんだったな。更に高度な治療が必要だったからだ。
金髪の嬢ちゃんだけは他より傷が浅かったからそのままアーチボルトのじーさんに任せたが……
「……あいつらが運んだんだったら間違いはなかったと思うが……あれから十年……か。でかくなったんかねえ……あのガキどもは」
≪エゼキエル・ジュネーブ≫
