第12章 復興、そして北へ

愛についてことさらあなた方に書く必要はありません。あなた方自身、神に教えられて互いに愛し合っていますし、マケドニア全地方の全ての兄弟達に対してもそれを実行しているからです。

しかし、兄弟の皆さん、その愛を益々完全なものとするように勧めます。そして、腰を落ち着けて自分の務めに専念し、あなた方に命じておいた通り、自分の手で働くように心掛けなさい。

そうしてこそ初めて、外部の人々に対し品位を保つ事ができ、また人を尊重し暮らしていけるのです。


【テサロニケの人々への第一の手紙 第4章】






『―――…アグネスあれから君は元気になっただろうか?こちらは問題なく旅を続けている。困ったことがあったら永久を頼ってやってくれ。いつでも君の事を想っている…―――』


ゆらりと一本の蝋燭が夜の海の底に生み出す光が揺れる。頼りない、でも確かに手元を照らしてくれる光の中で、もう何度読み返したのか数えるのを忘れるぐらい読んだ手紙の文字を再びなぞっていた。読み終えると同時にそっと手紙を自分の胸に抱いて。

文字から香るこの国のインクとは違う……墨と永久が呼ぶ塗料の香りが静かに私の鼻を擽った。刻が私宛に書いてくれた手紙を読むたびに、墨の香りを嗅ぐたびに心がトクリ、トクリと動くような……そんな気がする。


『ねぇ永久。私にもっと字を教えて?刻にお返事を書きたいの』


ねえ、刻。刻がいなくなってから私、沢山、沢山あなた達の事を教えてもらったんだよ。あなたの生まれた国について沢山話してもらったの。

まず驚いたのがね、信仰のあり方だった。永久はこう教えてくれたの。森羅万象、全てのものに神が宿っているって。唯一絶対の父なる光の神一柱が全てのものを作った。と、いう教えの元で暮らしている私達とは全く違う価値観であり考え方だなって、そう思った。それを聞いた時にこう思ったの……素朴な考え方だなって。

私達は信仰を土台にその上に生活が、刻や永久達の国の人は生活を土台に信仰がある。どっちが優れているとか劣っているとかじゃなくて、ただただその違いにね、驚いた。

それから、文化。衣・食・住その全てがこことは違う。それがこの国の事しか知らない私の目には奇妙で不思議で……素敵なものとして映ったの。刻や永久も初めてこの国に来た時はそう思ったのかな?……そうなら嬉しいな。


「……兄さんからの手紙を読んでいるの?アグネス」


「あっ……ごめんね。起こしちゃった?」


「ふふっ……大丈夫。起きてたから」


私のベッドのすぐ横でもそりと毛布が動く。パチリ、ぱちりと数度瞬きをしながら私を見つめている刻と同じ色をした永久の瞳。二人は双子だから当然なんだけど、二人の目の色は本当にどこまでも一緒で……私はこの色が好きなんだなって、二人の目を見るたびに思うの。


「兄さんからの……」


「ん?」


「昨日兄さんから届いた二通目の手紙にはなんて書いてあった?」


『アグネス。俺達は先日からアウラーナという名の氏族の屋敷にいる。アウラーナの地はまだ雪が降っていて冬のままだ。領主の話だとこの地に春がやって来るのはもう少し先の話らしい。同行者にセデルという俺の旧友がいるんだが、奴とアウラーナの領主も腐れ縁らしく……まあ、それなりにやっている。中々面白い男だよ。フルオライト・アウラーナという男は』


昨日届いたばかりの手紙を皺ができないように静かに開き、先程もそうしていたように視線で文字をなぞる。無事に北の国へ入った事やアウラーナと呼ばれている人のお屋敷でお世話になっているらしいと永久へ告げれば、彼女は少し強張らせていた表情をホッとしたものへと変え、桜色の唇から細く長い息を一つ零した。

永久もやっぱり刻の事が心配だよね……だって二人はこの世界でたった二人の兄妹だもの。


「……ホッとした?」


「うん。兄さん無事に旅をしてるんだって分かったから」


「そっか。私と一緒だね、永久も」


私の方が先だったのか、それとも永久の方が先だったのか、一緒だったのか……二人で顔を見合わせて肩を震わせて笑ったの。隙間風が蝋燭の灯を吹き消して、光が消えて静かに夜が部屋を満たしていく。


『私ね、アグネスを私達の故郷にいつか連れていってあげたい』


『うん。兄さんもきっとそう言うと思う。アグネスに私達の故郷の花を見せてあげたい。山をピンク色に染め上げる美しい桜の花を』


『だからね…アグネス…もっと元気になってね。兄さんの帰りを笑顔で迎えられるアグネスになってほしいの』


目蓋を閉じずに夜に沈んだ低い東屋の天井を見上げて永久の言葉を思い出していた。永久の語る彼女達の故郷の美しい風景を脳裏に想像の筆で描きながら。


「ねえ、永久。永久の生まれた国ってやっぱり綺麗?」


「えっ?……うん、綺麗だよ。とても。ここからね、海を渡った先にあるの」


「永久は自分の故郷……好き?」


「……うん。アグネスがこの国を好きなのと同じで」


ふわりと微かに空気が動いた。夜の闇が永久の表情を隠していて私からは彼女の表情を伺う事は出来ないけれど、今彼女が微笑んでいる事が分かったの。故郷を思い出しながら。


「永久、私ね、この国が好きよ。今は確かに少し乱れているけれど、それでも自分が生まれて、育ったこの国が好き。刻と永久と出会ったこの国が好き」


この国の事、不幸な国だと言う人がどこかにいるかもしれない。実際、不幸になった人もいるんだと思う。それでも私は自分が生まれて今日まで育った国が好き。でも……


「でもね……私、見てみたいって思うの。刻と永久が生まれた国も。それに、ほら、煙突掃除夫のお仕事、クビになっちゃったでしょ?だから……」


そろそろ潮時なのかなって、そういう思いもあるんだ。いつお仕事がまたできるようになるか分からないし……そもそもずっといけないでいたから、今日の昼親方さんが部屋に直々に来て「もう来なくていい」言っていったんだけど……


「あっ、親方さんを悪く思わないで。仕事に行けないからってだけで辞めろって言われたわけじゃないの。……気付いてたんだと思う。私、屋根から落ちる前から咳がどんどん酷くなってたから。だからね、そう言った意味もあったんだと思うの」


休む時間を与えられたのなら、その時間で永久の国に行ってみたいなって……そう思う。


「だから永久が国へ帰る時は一回連れて行ってほしいな。海の先の……海が繋ぐ永久の国へ。海の向こう側の国に」


シジマが降り積もる。優しい沈黙の中で私は目を閉じた。


++++++++++++++++++++


「永久、この手紙……お願いしてもいいかな?」


窓縁に飾ったタンポポの黄色い花と白い綿毛が風に揺れている。徐々に春の匂いを帯び始めた風が綿毛を空へと運んでいた。


「うん、分かった。宛先はー……」


「当然……刻のところに……!」


霞がかった青空へと羽ばたいていく鳥の背中を見送り、高度を上げ徐々に小さくなっていく背を見上げ祈るように手を組んだ。どうか、彼のところに届きますように。彼が無事でありますようにと。


「ところで……兄さんの手紙になんて書いたの?アグネス?」


「ふふっ……43番目のね、歌だよ」


『逢ひ見ての のちに心くらぶれば 昔のものは思はざりなり』


≪アグネス・サーンクタ≫
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