第12章 復興、そして北へ


あなた方の心が放縦や泥酔、また世の煩いに塞ぎ込む事がないように、またその日が突然あなた方に訪れる事がないよう注意なさい。

その日は罠のように地の面に住む全ての人々に襲い掛かるからである。

いつも目を覚ましていなさい。起ころうとしているこれら全ての事から逃れ、人の子の前に立つ力が与えられるように祈りなさい。

いちじくの木を、またあらゆる木を見なさい。木が芽を出し始めるとそれを見て夏が既に近い事を知る。

同じようにこれらの事が起こるのを見たら、神の国が近付いた事を知りなさい。

あなた方によく言っておく。これらの事が全て起こるまでは、今に時代は過ぎ去らない。

天地は過ぎ去る。しかし、私の言葉は決して過ぎ去る事はない。


【ルカによる福音書 第21章】






深い闇を抜けて、一人、僕は北の国、始まりの場所にいた。

在りし日の姿はなく、辛うじて焼け残った庭の木とその太い枝の先にある木製のブランコだけがあの頃と同じように海からの風に吹かれゆっくりと揺れている。ゆらり、ぶらりと。時が止まったこの家で、ここだけ今だに時が動いていた。

小さく前後に揺れるブランコに腰掛ければ、きしり……と一度悲鳴をあげこそすれど、ブランコは壊れることなく自分の体を乗せた。大人である僕の体重でも壊れない。

記憶が確かなら、この木製のブランコはマリエルの父親の手製だったはずだ。まだ出会ったばかりの頃、彼女は自慢げに僕にそう語ったんだ。輝くばかりの眩しい笑顔で。

屋敷が焼け落ち、十年以上風雨に晒されてなお、ブランコは朽ちることなくここにある。それだけ彼女達の父親がしっかりしたものを作ったという事か……娘と息子の成長を祈りながら。

……マリエル。いつも彼女は笑っていた。柔らかな頬を緩めて、愛らしい唇を綻ばせて、瞳を輝かせていた。金の長い髪に光に透けていて……煌めいていた。

ああ……よく覚えているさ。君と初めて出会った日のことを。君に一目で目を奪われて何も言えずに立ち尽くしていた僕に、君は笑顔を浮かべて手を差し伸べてくれたんだ。小さくて、白くて……あたたかな手を。

初恋だった。いや、過去形ではない。僕は今でも君に恋をしている。この恋を終わらせたくない。


『僕は……マリー、君にすっかり夢中なんだ。君と結婚したい。君以上に美しい女性を想像する事が、僕には出来ないんだ』


『君達四姉妹はみんな高貴で可愛らしくてー……絵姿で見るよりもはるかに美しいんだ。僕は、マリー、君の虜だ。君と結婚したいんだ。僕が大人になって真に君に相応しい男になれたその時にー……必ず迎えに来る。マリー……君は疑いようがないぐらい素敵な人なんだ』


幼さ故、道理が分からないからこそこんな恥ずかしい事が言えたのだろうと他人は言うかもしれない。が、あの日、あの時、彼女にキスと共に贈った言葉に偽りはない。今になっても!一片ですら!!


『約束の証にこれを……その……受け取って欲しい……君に似合うと思って……首飾り……気に入ってもらえると、いいんだが……』


この感情は、恋心ではなく行き過ぎた盲執かもしれない。過去をひたすら見ていると非難されるかもしれない。だが、僕にとって彼女は過去の存在ではないんだ。彼女を……マリーを過去形にしたくない。

彼女が、彼女達一家が残さず殺されたと知った時、全てを憎んだ。彼女を……マリーを殺した者達にそれ相応の報いを与えてやると唇を噛み締めながら、まだ黒煙が燻る屋敷の跡に誓った。

だから手を組んだ。あの男と。あの男がケイ家にとって仇だと知りながら、それでもあの男の手を取った。少しでも情報が欲しかったんだ。奴らの。必ず尻尾を掴んでやると十年間、駆けまわった。

その過程で、知った。トビアス家もあの家と同じように”死”を出荷し、栄えた家だという事を。

戦で使用される武器や違法な麻薬を売買し財を成した家系。それがトビアス家だ。麻薬の他にも禁忌とされている薬を用いて秘密裏に邪魔者の粛清を行っていたらしい。犠牲になった者の数は知らないがそれ相当には上るだろう。あの稀代の暴君として悪名高いロッテとも裏で取引をしていたという話まであるぐらいだからな。

もっとも、王との取引は裏での話だ。表だって行動していれば、聖王がロッテを打倒した時、トビアス家も同時に取り潰されていただろう。聖王時代も残っていた事を考えるとトビアスの当主は中々狡猾だったようだ。

でも、それもニコライ・トビアスの前の代……彼女達の祖父の代までの話だ。どういう訳かその老人は自分の身内は非常に慈しんでいたらしい。彼女達は勿論の事、彼女達の父ですら真の家業がなんであるか知らされていなかった。まあ、彼女達の父が薄々勘付いていた可能性は否定できないが……加担はしていなかったのは確かだろう。

確かに彼女達の祖父には罪があっただろう。だが、息子一家に罪はなかったはずだ。ただただ、お互いを慈しみ、愛していた家族がいただけだ!

……自分が正義だとか清廉だとか言うつもりは毛頭ない。僕は徳を積むのではなく業を積む事を選択した。魂の穢れで言えば彼女達の祖父やあの男と同類だろう。既にそこまで堕ちている。

トビアス家に関する情報を収集する傍ら、自分は赤軍の関係者を殺し続けた。この点で、僕と今の主人の利害が一致していた事は幸いだった。今の主人から見ても赤軍は邪魔者以外の何者でもないからな。

あの夏の夜にこの屋敷にいたかいないかは関係ない。

彼女は僕の光だった。文字通り礎であり世界だ。赤軍の人間数十人分の命と一つの世界と……どちらが重いのか比べるまでもない。奴ら全部の命を足しても彼女一人分の命に足りない!


「……今の僕をマリーが見たら……どう思うだろうな……」


冬が終わり、春の薄く霞がかった空へ呟き、笑みを溶かした。自嘲の笑みを。

分かっている。彼女は決して復讐を望むような人間でない事ぐらい。もし、知ったならば彼女は僕を止めようとしただろう。彼女は復讐を望まない。

ああ……知っているさ。知った上で僕はこの道を選んだ。他の誰でもない自分の為に。自分が修羅に堕ちた理由に彼女を使うことなどしない。

不意に風向きが変わった。海から吹く風が海へ吹き込む風へと変わる。……来たか。

ブランコから腰を上げ、目の前で起きる闇の奔流を目を細め見つめていた。誰かが転移魔法を発動させたらしい。誰かは……分からないが、それは自分にとって重要ではない。


「別れの言葉はすませてきたのか?」


闇の扉の中から現われた二人のうち男に向い問い掛けた。


『いつも目を覚ましていなさい。起ころうとしているこれら全ての事から逃れ、人の子の前に立つ力が与えられるように祈りなさい』


≪ルイス・ケイ≫
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