第12章 復興、そして北へ


幾度となく見てきた赤い景色の夢…

僕はその夢を見るのが嫌で夜が怖いんだ…。


血塗れの床と、倒れ伏した人々の姿…

僕の身体も反り血で赤く染まっていて…


やめよう…思い出すだけで憂鬱になっていく…

もしかしたら自分の過去に繋がるかもしれない…そう思って夢を辿っているけど…やっぱり苦痛の方が大きくて…

汗を拭おうと衣服を脱ぎ、ふと胸元に視線を落とせばいくつも刻まれた傷痕。


もう痛みは感じない。

10年も前から僕の身体に刻まれていたものだから。



僕はずっとこの寺院で暮らしている…

瀕死の重症を負った僕を寺院の人々が保護してくれたのだと後から聞いた。


寺院の人々の手厚い看護のおかげで僕は命をとりとめた…だけど…僕は自分の名前とそれまでの過去の記憶を全て失ってしまった。


今はロト先生から“カヤ”という名を貰ってここに暮らしている。

でもそれ以前の名前は…

僕が僕だった頃の名前はずっと思い出せないんだ。


固く鍵をかけられたように、保護される前の記憶が思い出せない。





「カヤさま!カヤさま!」


「カヤさま!早くこっちに来てよ!」


僕の姿を見つけた子供たちが駆け寄ってくる。
子供たちは僕の服の裾を掴み、ぐいぐいと引っ張っていく。


あの赤い景色の夢を見ても、子供たちが忘れさせてくれる。

僕は今の暮らしに幸せを感じているんだ。


でも時々…この胸の傷痕を見るとふと思うことがある。


僕みたいな素性のわからない人間がここに居て本当にいいんだろうか…って。


ここにいる子供たちは皆何らかの事情で家族を失ってしまった子供たちだ。

当然僕のように素性の解らない子も幾人かいる。


だけど…その子達と僕は違う所がある。

僕の身体に刻まれた傷跡。

それは深く斬りつけられたような跡で、一つだけではない。
中には刺し傷のようなものもある…


どうしてこんな傷があるんだろう…


こんな憎しみの感情を込めて斬られたような傷痕がある僕はもしかしたら何らかの罪を背負っていたのでは無いのだろうか。


10年前、まだ子供だった僕は一体どこでどんな暮らしをしていたのだろう?

子供の頃の僕はどんな生き方をしたらこんな憎しみを込めた斬り傷を受けることになったのだろうか…?

もし仮に子供の頃の僕が罪を背負っていたとするならば…僕はこの子達と一緒に生きていていいのだろうか…?


この平穏で穏やかな光に満ちた寺院で、過去の罪に向き合うこと無く、何も知らぬまま生きていて本当にいいのだろうか…?

「ロト先生。」

「おや…カヤじゃないか。

どうした?また悪い夢でも見たのか。」

「はい…」


ロト先生は僕がこの寺院に暮らすことになってから僕の面倒をみてくれている恩師だ。

こうして時折夢で苦しくなったときいつでも先生は嫌な顔ひとつせず僕の話を聞いてくれるんだ。


「お前は分かりやすいな。
辛いときはいつもそれを握りしめてるからな。」


そう言って先生は僕の右手を指差す。

僕が右手に握っているのは白い貝殻。

どこにでもある普通の貝殻だ。

子供の頃着ていた衣服から出てきたその貝殻を僕は今もずっと大切にポケットにしまって持っている。

もうすぐ大人になるというのに何故この貝殻に執着するのかは解らないけれど…

「…この貝殻を見てるとなぜか安心できるんです…」

「だが今日はそれでも足りないようだな…どうした?悩みごとか?」

「はい…昨日またあの夢を見てしまって…それからずっと心がざわざわするんです…。」


いつもならあの貝殻を眺めるだけで心が落ち着きを取り戻すんだけど…今日はそれだけではどうしてもダメで…ずっと握りしめているんだ。

先生はよくご存知だ。

僕は辛いとき、誰かにすがりたいと思ったとき、自分ひとりじゃどうしようもないときはこうして貝を握りしめていることがある。

僕は胸のうちに溜まった淀みを吐くようにロト先生に悩みを打ち明ける事にした。

「ロト先生…僕は過去の記憶を取り戻した方がいいんでしょうか…?」

「何故そう思う?」

ロト先生は静かに僕に問いかける。
ロト先生の灰色の瞳がじっと僕の目を見つめる。

まるで僕の胸の底にある淀みを見透かしているようで…


「時々思うんです…この身体に刻まれた傷痕を見ると…

こんなに憎しみのこもった傷痕がつくなんて…僕は過去になにをしていたんだろう…って。」

痛みは無い。
けれどそれ以上に、この傷を刻んだ人の心はどのようなものだったのだろうと自問自答を繰り返す。

自分一人で答えを求めても終着点が見えてこないんだ。

鍵のかかった記憶にその答えがあるのではないか…行き着くのはいつもそこで…。


「誰かに怨まれるような人生を送っていたのだとしたら、僕はその罪にいつか向き合わなくてはいけないと…そう思うんです。」


記憶が無くなれば過去の罪は消えるだろうか?

いや、決して消えはしない。

過去は決して変わることはないから。

魔法で記憶を消したとしても、幸せな記憶に書き換えられたとしても、過去に行った事は決して変わらない。

過去の罪に向き合わず、幸せな夢を見て生きていてもいいのだろうか…?と。

僕がそう言うとロト先生は僕の頭にぽんと叩くように右手を置き、軽く笑みを浮かべて口を開いた。


「お前が思い出したいというなら思い出せばいい。

そうでないなら思い出さずとも良い。

それはお前の自由であり権利だ。」


ロト先生はゆっくりと僕の耳に届くようにはっきりとした声色でそう答えた。

陽光に照らされた先生の髪がさらりと流れる。

その色は僕が夢に見る赤とは違う、燃えるような鮮やかな赤。


「過去を受け入れる必要もなければ捨てる必要もない。

過去は否定するものでも肯定するものでもない。

お前の未来に必要かどうか……よく選んで決めなさい。」


「僕の未来…。」


そうか…そうですね…過去に何があったとしても、僕には生きる権利がある…そうおっしゃるのですね…先生。


「はい。過去がどうあれ未来を決めるのは僕自身ですもんね。

過去は変えられないけど、僕はこれからの自分を信じて生きようと思います。」

胸につっかえていたものが取れたような気がして、僕は自然と笑みを溢していた。

そんな僕の顔を見てロト先生はにやっと笑って

「何も一度決めた事を守り続ける必要もないんだ。

途中で気が変わって思い出したくなったら思い出せばいいさ。記憶とはそういうものだよ。

忘れてなくなるのではなく思い出されるのを待っているだけさ」

とそう言って僕の額をつんと人差し指で軽くつつく。


「記憶があろうとなかろうと、改竄したとしても過去は不変だ。

お前の未来にとってよりよいと思う方を選択しなさい。

そしてその選択は何度でもできる」


そう言って不敵な笑みを浮かべるロト先生。

赤い赤い鮮やかな髪。

燃えるような赤い髪。

その赤はいつも僕に生きろと言ってくれる。

僕に道を示してくれる。


今を生きるための道を…今を生きるための名前をくださった先生には本当に感謝しているんです。


「…いつもありがとうございます。
僕に道を示してくださって…感謝しています…先生(マザー)。」
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