第12章 復興、そして北へ
兄弟の皆さん、自分が賢いものだと思い上がらないために、次の神秘を是非知っておいていただきたい。
約束の民の一部が頑なになったのは、異邦人の数が満ちるようになるまでの事です。こうして約束の民は救われます。
「救う者がシオンから来てヤコブから不信仰な心を遠ざける。これこそ、私が彼らと結ぶ私の契約、私が彼らの罪を取り除く時に」
福音に関しては、彼らが敵である事はあなた方にとって利益ですが、紙の選びに関しては彼らは先祖の故に愛される者なのです。
神の賜物と召し出しとは撤回されえないものなのです。あなた方はかつて神に不従順によって憐れみを得られているのとちょうど同じように、彼らも今はあなた方が得た憐れみによって不従順ではありますが、それは今度は彼ら自身の憐れみを得る為なのです。
神は全ての人を不従順の状態に閉じ込めましたが、それは全ての人を憐れむ為だったのです。
ああ、神の富と知恵と知識の深さよ。神の定めは悟り難く、その道は窮め難い。
「いったい誰が主の思いを知っていたであろう。誰が主の相談相手であっただろうか。また、誰がまず先に主に与え、その報いを受けるであろうか」
全てのものは神から出て、神によって保たれ、神に向っているのです。とこしえに神の栄光がありますように。
【ローマの人々への手紙 第11章】
ゆるりとした午後の光が手元の地図を照らしていた。季節は巡り徐々に大気全体に漂っている緊張は確かに緩んできてはいる。けれど、時世はと言うとけしてそうではない。
被害の状況をまとめた地図をこうして見ていると憶測としてではなく改めて事実として突き付けられているようで……もっと、もっと何かできる事はないのかと歯がゆさを覚えると同時に唇を噛みしめたくなる。自分にできる事がそう多くないと知っているにも拘らずに。
地図に向けていた意識の矛先を僅かに窓へとずらした、そんな時だった。眼下の道に見知った二つの影と見知らぬ一つの影を見つけたのは。窓の外、視界の外れに来訪者の姿が映る。
私のおじ様と私の友人と……友人と並ぶようにして歩いている長髪の男性と。
三人の姿を認識すると同時に私は座っていた椅子から身を離し、階段を一足飛びで駆け抜け出口へと通じる扉へと向かう。扉を内側から押し開く。開くと同時に飛び出しマリアロッテの私よりも小さな体を抱きしめれば、自分の服に焚き込んだ香の香りとは違う、柔らかな香りが私の鼻腔を擽った。……ミルクと石鹸の香り……そうれ、マリアロッテらしい香りだわ。
「でも、おじ様もマリアロッテもどうされたんですか?それにマリアロッテの隣にいるそちらの方は……?」
「あ、あの……テレーズさん……こちらの方は……」
「はじめまして。オレの名前はレオン。レオン・ティオノっていいます。彼女の……マリアロッテのところで世話になっている者です」
マリアロッテの小さな体を腕から解放し、彼女の隣に立つ青年へ尋ねれば、彼はレオンと名乗り私へと手を伸ばした。そして、私もまた彼の手を握り名乗る。「ようこそいらっしゃいました」という言葉と共に。
「ここに来る途中でマリアロッテと彼に会ってね。私もご相伴させてもらったんだよ。老人が一人で歩くには中々厳しい世の中になって来たからね」
「まあ、老人だなんて。おじ様ったらご冗談を。ふふっ……立ち話もあれですから中にお入りください。レオンさん、あなたもどうぞお入りください。この寺院は安らぎを求めて来た方、全てを受け入れますわ。歓迎いたします、レオンさん」
春の音連れを先達する砂ぼこりが混ざったつむじ風が一陣、私達の間をすり抜けてそして遠くへと去って行った。霞みぼやけた……冬よりも鈍い色をした青空へ向かって。
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「なるほど……やはり復興までにはまだまだ時間が掛かりそうか」
「ええ。おじ様とマリアロッテに来ていただいて助かりましたわ。支援物資も……ありがとうございます。人手も資材も圧倒的に不足しているんです。需要に供給が追い付いていません」
ゆらりと蝋燭の灯火が揺れて、石の壁に映る影を時に膨らませ、時に縮める。徐々に夕日が差し込み始めた室内で三人の顔を順繰りに見まわして、私はまた一つ息を吐き出した。
ここの修道士達だけではなく街の住人の皆さんも協力してくれていますが、あの日の爪跡はまだ生々しく、街のあちこちの道に或いは壁に刻まれている。
「精一杯やってはいるのですが……時々どうしても限界を感じてしまいますわ……」
「人とはそういうものだよ。元々ヒトは社会性が強い動物だ。人という細胞が無数に集まって社会という一個体を動かしている。細胞一つ一つが出来る事は限られているだろう?それと同じ。一人で何でもできるというのは幻想でしかない。王ですらそれは不可能だ」
日没とともに仲間の修道士が焚いたミルラの香りがこの部屋まで漂い、私達も包み込んでいた。人の心を落ち着かせてくれる不思議な香りが。
おじ様の不思議な光を湛えた瞳に正面から見据えられて、私は思わず言葉を濁す。「そうでしょうか」と。
「ああ、そうだとも。王といっても不完全だ。あの暗君のみならず聖王と誉れ高い彼でさえね」
「聖王……ブルボン、ですか?」
「御名答、ティオノ君。この修道院は王家とも何かと縁が深い古い修道院でね。私は若い頃の二人、どちらとも会った事があるよ」
音なく細められたおじ様の金の瞳がどこを見ているのか……それは私には分からない。今ここにいる私達三人なのか、それとも修道院に残された過去の残響達なのかも。分かる事はおじ様の口元がほんの僅か、ほんの少し楽し気に弧を描いたということだけ。
「彼は確かに優秀だった。稀代の器であったと言っていい。名門ではなく下級貴族の出身であったにも拘らずその徳と人望で人心を掴み、民を導き、王の座まで上り詰めた。ああ……まさに王だったとも。だが、彼が真に完璧な人間だったとしたら今の世も乱れてはいなかったはずだ」
「聖王も……完璧ではなかった……」
「……聖王には二人の妃がいてね。一人は名門の良家の出身であり、もう一人の妃はそれよりも劣る家の出だった。さっき聖王は下級貴族の出身だと言ったが、彼の王としての地盤を盤石なものにしたのは正妃であった王妃の身分だ。自身の徳と人望で民の心を掌握し、旧家と縁組する事により劣る血筋を補強し、地盤を固め、名実ともに彼は王になったんだよ」
沈黙がたゆたい揺れていた。蝋燭の灯火の揺らめきと連動するように。落日と重なるように。
「完璧な人間などいない。おそらくこの世のどこにも。そんな人間がもしこの世に存在するとしたらそれはもう人ではない。それこそ我々が”神”と呼ぶ化け物だ」
「おじ様……?」
「ふふっ……長々と昔話をし過ぎてしまったね。年を取ると話が長くなっていけない。それに昼の間に帰るつもりだったのにもう夕方だ。夜が来る。すっかり長居をしてしまった」
「あっ、おじ様お待ちください」
椅子から立ち上がろうとするおじ様の体を手で制し、再びおじ様の体を椅子へと留めた。「今日は三人ともここに泊まっていって下さい」と告げながら。
「しかし、二人はともかく私は君の顔を見に来ただけさ。持って来た支援物資に自分で手を着けるわけにもいくまい?」
「ええ。だから明日からおじ様にも働いていただきますわ。……言ったじゃないですか、物資も人手も足りていないって」
くすりと小さな声が室内に柔らかく広がって行く。口元を隠し笑みを溢すマリアロッテの姿に、私もまた笑みを溢した。
「テレーズさんらしいですわ。それにスコルさんも分かってらっしゃいますよね。だって、私達はスコルさんの弟子ですもの」
神の富と知恵と知識は限りなく深い。しかし、人の身である私達には悟り難く、それは窮め難い。ならば……
「私達に出来る事はいつだって小さな事。小さな事を大きな愛を込めて行う……それだけですわ」
≪テレーズ・リジュー≫
