第10章 変化・第11章 家族


「ずいぶんと珍しい顔が来たものだ。」


私は数年振りに師の家を訪ねた。


この家の空気はいつも穏やかで温かく…まるで緩やかに時が流れているようにも感じる。

ついつい気を緩めてしまう自分を律して、背筋を伸ばし向かいあうお師匠様の方へと目を向ける。


私は変わらない師の顔に安心して思わずくすりと笑みを溢す。



「はい。ちょうど近くまで来たのでお顔を見ておこうと思いまして。」


「ほほう。」


「それと、これは旅先で買ってきたお酒です。どうぞ。」


傍らに置いていた荷の中から私は酒瓶を取りだしそれをお師匠さまの前へと差し出す。



「土産まで持っているとはずいぶん準備がいいじゃないか?
初めから来るつもりだったんだろう?」


胡座をかきつつ笑みを浮かべるお師匠様。
今まで旅に出てたのが嘘のようないつもの光景に思わず私は「ふふ。」と笑みを溢す。



「最後にお会いしたのはいつでしたっけ?」




「さあな…。」


ふとそんなことをお師匠様に問えば、庭の方から小さな足音がパタパタと聞こえてきた。

音の主…シャオフーの事は私も良く知っている。



「あの子、あんなに大きくなったんですね。」


「ああ、シャオフーの事か。」


「前にお会いしたときはもう少し小さくてお話もまだ難しい子でしたのに…。」

そんな話をしていると庭で遊んでいたシャオフーは私の姿を見つけて勢い良くこちらへ向かってきた。


「あっ!姉弟子様!帰ってきてたのです?」


「ええ、ただいまシャオフー。
大きくなりましたね。」


「えへへ。」


側へと駆け寄ってきたシャオフーの頭を撫でる。
この子はこんなに大きくなったのかと頭を撫でる手の感触で時の経過をひしひしと感じてる私がいた。


(本当に…すっかり人の子のように成長して…)

「お師匠さま!兄弟子さま!誰か…誰か来て…!」

目の前に横たわる傷ついた狐を前にオロオロすることしかできなかった幼い頃の私。

お師匠様の使いで街に買い物に出掛けたその帰り道の事だった。


幼い私が胸に抱いているのは生まれて間もない子狐。

そうこの息も絶え絶えに目の前に横たわる狐はこの子狐の母親。

猟犬に襲われた母狐は子狐を必死に守りながらここまで逃げてきたらしい。

母狐は致命傷を負っていたが、子狐に傷はひとつもついてなかった。


「死んではダメ…!お師匠さまを呼んでくるから!頑張って!」


私の言葉を理解しているのかどうかは解らないが、母狐は苦しげに呼吸をしつつも私の顔をじっと見つめていた。

どうしよう…どうしたらこの母狐を救えるだろう…?

幼い私にはそれ以上どうしたらいいのか解らなかった。


母狐をこの場に残していいのだろうか…?

それとも急いでお師匠様を呼ぶべきか…


戸惑い足が動かずその場に立ち尽くしていると、後ろからトンと誰かが私の肩に触れた。

驚き振り返るとそこにはお師匠様と兄弟子様の姿があった。


「お師匠さま…兄弟子さま…!」


「帰りが遅いと思えばこんなところにいたのか鳳翔。」


お師匠様の姿を見るなり私は必死に抱えていた子狐をお師匠様の前へと差し出し訴えた。


「お師匠さま!この子のお母さんを助けてあげてください!!」


私の言葉にお師匠さまは驚き私の後ろの方へと視線を向ける。


母狐の側へと寄り、その場にしゃがみこむ。


お師匠さまは何も言わず母狐を見守る。

私達もその光景をじっと見つめていた。


どれほどの時間が経ったか解らないが…やがてお師匠様は静かに首を左右に振ったのだ。


あの後…母狐はそのまま息を引き取った。

命の理を曲げることは許されない。

命あるものはいずれ消え行く。

母狐は子狐を護るために命を散らしたのだ。


幼い私がそれを理解するのは少々時間がかかったが…
私はあのとき心に誓ったのだ。

母狐が守ろうとしたこの子の命を守ろう…幸せにしてあげよう…と。

そう…そのときの子狐こそこの目の前にいる男の子…シャオフーだ。


シャオフーはお師匠様の手の中で子狐から人の子の姿に変じたのだ。

新しい人生を得たような…不思議な光景だった。


今は私の目の前で枝を手にして地面にガリガリと絵を描いている。


どこからどう見ても普通の男の子だ。

きっとお師匠様はそのように育てられたのですね…。


私は無邪気に遊ぶシャオフーに何気なしに問いかける。


「シャオフー、貴方は大きくなったら何になりたいんですか?」


「僕ですか?」


うーん…と暫し思考を巡らせる。

首を傾げて空を見つめ、やがて少々恥ずかしそうに言葉を口にした。


「僕、お師匠さまみたいになりたいのです。」


「お師匠様…ですか。」


「はい!お師匠さまみたいにすごい人になりたいのです!!
たくさんたくさんお勉強して、もっともっと大きくなって…それから…それから…えーっと……カッコいい大人の男の人になりたいのです!!」


大きく両手を開いてやや興奮気味に語る彼に思わず笑みが溢れた。


「ふふ…そうですね。
確かにお師匠様はとても理想的な大人…ですよね。」


ぽん…と彼の帽子に手を置き、軽く撫でる。

ピンと立っていた耳はやや下に下がり、私の手を受け入れているように見えた。


「ええ…なれますよ。
貴方ならきっとお師匠様のような素晴らしい大人の人に…。」

空は青く晴れ渡り、暖かい陽光が射し込んでいる。

ああ…まもなく春が来るのですね。
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