第8節 ブルボン学園(現パロ)
神は言った。
「私の言葉を預けようとする者には、私は夢の中で彼に語る。しかし、モーゼにはそのような事をしない。モーゼは何の謎も含ませる事なく、はっきりとそのまま語る。しかも、顔と顔を合わせて。モーゼは私の大切な家族だからだ。モーゼは私の姿を見ている」
【荒野の書 第12章】
「人、今日はそんなにいないね、アナム」
「ん?ああ、夏ももう終わりに近いからな……今年海に入ろうって奴らはもうとっくに海に来てるから今更来ようって気にもならないんだろ?……よっと」
残暑の日差しが暑中と同じように白い砂浜の砂を照らし、容赦なく熱している。このまま長時間素足で立っていれば火傷をしてしまいそうな砂から逃げるように彼女と二人、エメラルドグリーンに染まる海へと入った。大き目の浮き輪に小柄な彼女を乗せて。
8月が終わり9月に入ったとはいえ、まだまだアイスクリームではなくかき氷が恋しくなるような暑さが続いていた。9月に入ると海の波も高くなるが、今日は波の様子も穏やかで真夏と変わらない。
とは言え、確実に昼の時間は短くなり、太陽が沈んだ後に吹く風も涼しくなってきている。窓を開けていて聞えてくる虫の音も蝉の鳴き声から秋の涼やかな虫の音に変わりつつある。ゆっくり、だが確実に季節は進んでいるようだ。エテルとこうしてこの海岸に来るのも今年の夏は今日が最後になるだろう。
「アナム、どうしたの?ぼーっとして……何か考え事、してた?」
「ん?どっかの誰かさんがまた水着のブラを流さねえか心配してたところ」
「そ、そんな事ないよ……!流さないです……!……今年は……」
「今年は、な」
彼女が乗った可愛らしい柄の浮き輪をぐいっと強く沖へと押し出す。動いた時に飛沫が少し顔にかかったのだろう。小さな悲鳴が彼女の愛らしい薄い唇から漏れた。
波打ち際付近の波があるところよりも少しだけ沖に出た方が波もなく浮き輪も安定する。この海岸は遠浅の海で元々波も高くはならないが、念には念を、というやつだ。
……いつかのようにまた水着が流されても困るんだよ。あの時は本当に大変だったからな!浮き輪が半透明のものでなかった事にあの時ほど感謝した事はないだろうし、これからも中々ないと思う。
「ふふっ……やっぱり海、気持ちいいね……!」
「エテルは海、好きなのか?よくここに来たいって言うし」
「うん……!波の音をね、聞いてると落ち着くんだ。寄せて、そしてまた海に帰って行く。私が生まれる前も、そしてこれからさきもずっとこの音があるのかな?そうなのかな?って思うと胸の奥が、なんだかキュッ……となるの。……アナムは?アナムは、海は好き?」
「俺か?う~ん……そうだなあ……俺は……」
彼女の白い頬に濡れて貼り付いた後れ毛を指先で静かに払う。刹那、再び彼女の唇から微かに声が漏れた。エテルと俺の唇が重なり合う、その寸前に。長いキスが終わると同時に彼女を見つめれば、薄紅色を軽く通り越して真っ赤に熟れた彼女の顔がそこにあった。何よりも愛おしいと思えるものがそこにあった。
「俺はエテルとこうして一緒に来る海は好きだ」
「こ……答えになってないよ……アナム……それに、いきなりキスされると思わなくて……!」
「いいだろ?俺達以外誰もいないんだからな」
「もう!そういう問題じゃなくて……!……アナムははっきり言い過ぎだよ……聞いていて私の方が心臓持たなくなっちゃう……」
「嘘吐く必要もないだろ?本当にそう思ってるんだから。……エテルの事が好きなんだよ」
今年の夏ももうすぐ終わる。一年のうちで一番彩度が高く鮮やかな季節が過ぎ去って行こうとしている。少し寂しい気持ちにもなるが、また巡って来る夏を待てばいい。
「アナム、髪に砂、ついちゃってるよ?」
「ん?まあ、海に来たんだから砂も付くだろ?……帰ったら一緒にシャワー浴びるか?」
「うん……!でも、もう少しこの海にいたいな。だって、そうでしょう?夏はこの先何度もやって来るけど、アナムと過ごす今年の夏は今だけだから」
遠く沸き立つ白い雲が空と海とを分けていた。彼女の穏やかな声が潮騒と混ざり、優しく俺の鼓膜を揺すって行く。
……かなわないな、俺は、君に。
「ああ、じゃあ、今日は今年最後の海を楽しむとするか」
≪アナム・メドラウト≫
