第4節 海開き
御子はまた仰せになった。
「あなた方は雲が西に出るのを見ると、すかさず『雨になる』という。果たしてその通りになる。また南風が吹くと『暑くなる』と言う。果たしてその通りになる」
「偽善者達、あなた方は大地や空の模様を見分ける事を知っていながら、どうして、今の時代を見分ける事を知らないのか」
【ルカによる福音書 第12章】
「アナムが言ってた通りよく晴れたね」
「浜風が強く吹いていたからな。浜風が吹く日は晴れるんだ」
「お水も気持ちいいねーやっぱり来て良かった」
「……っと、あんま無理な動きするんじゃねーよ」
「むう……大丈夫だよーそんなに心配しなくても……私、子供じゃ……」
「……どこの誰だ?さっきそう言って泳げないのに海にじゃぶじゃぶ入って行こうとしてたのは?エテル、お前確か山育ちって言ってたよな?泳げないだろ?」
白い雲の染み一つない青空から降り注ぐ強い太陽の光が世界を焼く。うんざりするようなむわりとした暑さだが、かえってそれがこの場所を心地良い場所へと変えていた。
「きゃあ……ふふっ……びっくりしちゃった。でも、本当に気持ちがいい。アナムが言った通り私山育ちだから、こうして海に入るのははじめてなの。見た事はあるんだけどね。……アナム……?」
「あっ。や、なんでもない」
浮き輪に体をはめてゆらり、ゆらり。本当に今まで海に入って遊んだことがなかったんだろう。波が来るたびに満面の笑顔を浮かべ楽しそうに声を上げる彼女……エテルを瞬間、惚けたように自分は眺めていた。
……いや、そもそも惚けるなというのが無理な相談だ。普段は法衣で隠されている体を日の光の下で惜しげもなく晒して笑っている好きな女を間近で見て惚けない男がいるだろうか?誰だってこうなる。
白くて甘く滑らかな雪花石膏のような肌、しなやかで細い四肢、優美な曲線を描く腹部と丸く膨らんだ形の良い胸。それを隠しているのは水着だけだ。水を弾き、弾かれた水が光を受けて肌を飾る水晶の様に煌めいている。
彼女の体を全く見た事がないかと問われれば嘘になる。彼女と夜に肌を重ねたのは何も一度や二度の話じゃない。だが、それでもこうして日の光の下で改めて見ると……自然と小さく喉が鳴ってしまう。
ああ……なんて……
「アナム?きゃあ……!もう!翼で水をパシャってするのずるいよー。ふふっ……でもやっぱり気持ちいいなー」
「あー……人の気も知らないで……八つ当たりぐらいさせろよ……喜ばれちゃ八つ当たりの意味ないだろ」
「なに~それ~?」
へにゃりとしたいつもの笑顔を見せるエテルにカクリ、と大きく肩を落とし深く肺の底から息を一つ吐き出した。
自分でも自覚している事だが俺は結局、彼女の笑顔に弱い。どこまでも純粋で邪気のない人を癒すエテルの笑顔が好きだ。だから、同時に心底嫌になる。屈託のない笑顔で俺を癒してくれている彼女を、一瞬とは言え美味しそうだと思ってしまった自分が。
「ん?エテル、どうした?急に頬を触ったりして。波が怖くなったのか?」
「ふふっ……涼しさのおすそ分け。さっきアナムがパシャってお水を掛けてくれたでしょ?気持ち良かったから、だから今度は私の番。ひんやりして気持ちいいでしょ?」
こてりと首を横に傾げで穏やかな表情で言葉を紡ぐ彼女を刹那、目を見開いて見つめていた。潮の香りに混じって濡れた彼女の髪の匂いがする。俺が何よりも好きな香りが。
エテルの自分よりも一回り以上小さな手に自分の手を重ねて僅かに瞳を細めた。エテルと出会ってから俺はこうして目を細める回数が増えたような気がする。気がする、だけだが。
長い息を吐き出して少しひんやりとした手の感触を楽しんだ後、解くように彼女の手を頬から外し下ろした。確かに彼女の手は気持ち良かったが俺に触れてからあたたかくなるまで少し時間が掛かり過ぎた。
海に入っていると泳がないで浮かんでいるだけでも相当体力を消耗するし、彼女はそもそも海に慣れていない。身体が完全に冷えてしまうその前に一度上がった方が……
「きゃああっ!!」
「エテルッ……!!?」
不意に生じた一際大きな波がエテルの体を攫う。バランスを崩し横転し浮き輪から投げ出された彼女の体を慌てて引き上げ、腕に抱きしめた。ゲホリ……と大きく咳き込む彼女に一人胸を撫で下ろす。どうやら水を飲み込んで窒息をするという事態にはならなかったー……
「げほ……ごほ……塩辛い……少し海水飲んじゃった……知識として知ってはいたけど海の水って本当に辛いんだね。アナム?どうしたの、そんな顔して……私、何か変……」
ああ……今日ほど、今日ほど自分に翼手の獣人の血が混じっていて良かったと思った日はねーよ!
自分の置かれている状況を把握し悲鳴を上げ必死に胸元を隠すエテルの体を翼で覆い、上から見下ろしながら心底……心底!そう思った!ってか、これ俺がそばにいなかったら丸見えだったじゃねーか!!
「み、水着……!アナム……私の水着は……」
「もう沖に流れてったよ……一人で急いで泳げば追い付くかもしれねーけど……流石にこの状態のエテルを置いて行けるわけねーだろ……お前泳げないし」
ふよふよと波間を漂い無情にも遠くに流されていくエテルの水着、の上。「そんなあ……どうにかならないかな」と、涙目で訴えられても困る。赤い顔で見上げられても困る。お前……今俺がどんな思いで耐えてると思ってんだよ……はっきり言って生殺しに近いぞ、この状況。
「分かるわけねえよなあ……天気じゃあるまいし」
「うっ、ううっ……せっかく海に行くから可愛い水着買ったのに……」
俺の気をミリも知らずに水着、水着と繰り返し呟くエテルの様子に、カクリ、と大きく肩を落とした。恥ずかしさから薄っすらと朱色に染まった胸を覆っているのはエテルの腕だけだ。この状況で”夜”の彼女を思い出すなって言うのが無理だろ……!
いや、その前に自覚を持ってくれよ!お前、普段から自分に無頓着過ぎるんだよ!自分の容姿が、身体が、そして何より性格が人を魅了し引きつけるものだという事を知らな過ぎる。
「アナム……どうしよう……」
「あー……とにかく一度海から上がるぞ。着替えないと……。翼で覆ってるから周りからは見えないとは思うが……しっかり掴まってろ。翼がちょっと冷たいかもしれないが……そこは我慢してくれ」
「う、うん……」
白い腕がするりと首の後ろに回っていく。ふにり……とした柔らかな胸が直に俺の胸板にあたっていて……非常に嬉しいんだが非常にしんどい。
やっぱりこれどう考えても生殺しだろ……
≪アナム・メドラウト≫
「あなた方は雲が西に出るのを見ると、すかさず『雨になる』という。果たしてその通りになる。また南風が吹くと『暑くなる』と言う。果たしてその通りになる」
「偽善者達、あなた方は大地や空の模様を見分ける事を知っていながら、どうして、今の時代を見分ける事を知らないのか」
【ルカによる福音書 第12章】
「アナムが言ってた通りよく晴れたね」
「浜風が強く吹いていたからな。浜風が吹く日は晴れるんだ」
「お水も気持ちいいねーやっぱり来て良かった」
「……っと、あんま無理な動きするんじゃねーよ」
「むう……大丈夫だよーそんなに心配しなくても……私、子供じゃ……」
「……どこの誰だ?さっきそう言って泳げないのに海にじゃぶじゃぶ入って行こうとしてたのは?エテル、お前確か山育ちって言ってたよな?泳げないだろ?」
白い雲の染み一つない青空から降り注ぐ強い太陽の光が世界を焼く。うんざりするようなむわりとした暑さだが、かえってそれがこの場所を心地良い場所へと変えていた。
「きゃあ……ふふっ……びっくりしちゃった。でも、本当に気持ちがいい。アナムが言った通り私山育ちだから、こうして海に入るのははじめてなの。見た事はあるんだけどね。……アナム……?」
「あっ。や、なんでもない」
浮き輪に体をはめてゆらり、ゆらり。本当に今まで海に入って遊んだことがなかったんだろう。波が来るたびに満面の笑顔を浮かべ楽しそうに声を上げる彼女……エテルを瞬間、惚けたように自分は眺めていた。
……いや、そもそも惚けるなというのが無理な相談だ。普段は法衣で隠されている体を日の光の下で惜しげもなく晒して笑っている好きな女を間近で見て惚けない男がいるだろうか?誰だってこうなる。
白くて甘く滑らかな雪花石膏のような肌、しなやかで細い四肢、優美な曲線を描く腹部と丸く膨らんだ形の良い胸。それを隠しているのは水着だけだ。水を弾き、弾かれた水が光を受けて肌を飾る水晶の様に煌めいている。
彼女の体を全く見た事がないかと問われれば嘘になる。彼女と夜に肌を重ねたのは何も一度や二度の話じゃない。だが、それでもこうして日の光の下で改めて見ると……自然と小さく喉が鳴ってしまう。
ああ……なんて……
「アナム?きゃあ……!もう!翼で水をパシャってするのずるいよー。ふふっ……でもやっぱり気持ちいいなー」
「あー……人の気も知らないで……八つ当たりぐらいさせろよ……喜ばれちゃ八つ当たりの意味ないだろ」
「なに~それ~?」
へにゃりとしたいつもの笑顔を見せるエテルにカクリ、と大きく肩を落とし深く肺の底から息を一つ吐き出した。
自分でも自覚している事だが俺は結局、彼女の笑顔に弱い。どこまでも純粋で邪気のない人を癒すエテルの笑顔が好きだ。だから、同時に心底嫌になる。屈託のない笑顔で俺を癒してくれている彼女を、一瞬とは言え美味しそうだと思ってしまった自分が。
「ん?エテル、どうした?急に頬を触ったりして。波が怖くなったのか?」
「ふふっ……涼しさのおすそ分け。さっきアナムがパシャってお水を掛けてくれたでしょ?気持ち良かったから、だから今度は私の番。ひんやりして気持ちいいでしょ?」
こてりと首を横に傾げで穏やかな表情で言葉を紡ぐ彼女を刹那、目を見開いて見つめていた。潮の香りに混じって濡れた彼女の髪の匂いがする。俺が何よりも好きな香りが。
エテルの自分よりも一回り以上小さな手に自分の手を重ねて僅かに瞳を細めた。エテルと出会ってから俺はこうして目を細める回数が増えたような気がする。気がする、だけだが。
長い息を吐き出して少しひんやりとした手の感触を楽しんだ後、解くように彼女の手を頬から外し下ろした。確かに彼女の手は気持ち良かったが俺に触れてからあたたかくなるまで少し時間が掛かり過ぎた。
海に入っていると泳がないで浮かんでいるだけでも相当体力を消耗するし、彼女はそもそも海に慣れていない。身体が完全に冷えてしまうその前に一度上がった方が……
「きゃああっ!!」
「エテルッ……!!?」
不意に生じた一際大きな波がエテルの体を攫う。バランスを崩し横転し浮き輪から投げ出された彼女の体を慌てて引き上げ、腕に抱きしめた。ゲホリ……と大きく咳き込む彼女に一人胸を撫で下ろす。どうやら水を飲み込んで窒息をするという事態にはならなかったー……
「げほ……ごほ……塩辛い……少し海水飲んじゃった……知識として知ってはいたけど海の水って本当に辛いんだね。アナム?どうしたの、そんな顔して……私、何か変……」
ああ……今日ほど、今日ほど自分に翼手の獣人の血が混じっていて良かったと思った日はねーよ!
自分の置かれている状況を把握し悲鳴を上げ必死に胸元を隠すエテルの体を翼で覆い、上から見下ろしながら心底……心底!そう思った!ってか、これ俺がそばにいなかったら丸見えだったじゃねーか!!
「み、水着……!アナム……私の水着は……」
「もう沖に流れてったよ……一人で急いで泳げば追い付くかもしれねーけど……流石にこの状態のエテルを置いて行けるわけねーだろ……お前泳げないし」
ふよふよと波間を漂い無情にも遠くに流されていくエテルの水着、の上。「そんなあ……どうにかならないかな」と、涙目で訴えられても困る。赤い顔で見上げられても困る。お前……今俺がどんな思いで耐えてると思ってんだよ……はっきり言って生殺しに近いぞ、この状況。
「分かるわけねえよなあ……天気じゃあるまいし」
「うっ、ううっ……せっかく海に行くから可愛い水着買ったのに……」
俺の気をミリも知らずに水着、水着と繰り返し呟くエテルの様子に、カクリ、と大きく肩を落とした。恥ずかしさから薄っすらと朱色に染まった胸を覆っているのはエテルの腕だけだ。この状況で”夜”の彼女を思い出すなって言うのが無理だろ……!
いや、その前に自覚を持ってくれよ!お前、普段から自分に無頓着過ぎるんだよ!自分の容姿が、身体が、そして何より性格が人を魅了し引きつけるものだという事を知らな過ぎる。
「アナム……どうしよう……」
「あー……とにかく一度海から上がるぞ。着替えないと……。翼で覆ってるから周りからは見えないとは思うが……しっかり掴まってろ。翼がちょっと冷たいかもしれないが……そこは我慢してくれ」
「う、うん……」
白い腕がするりと首の後ろに回っていく。ふにり……とした柔らかな胸が直に俺の胸板にあたっていて……非常に嬉しいんだが非常にしんどい。
やっぱりこれどう考えても生殺しだろ……
≪アナム・メドラウト≫
