第4節 海開き

Fermez vos oreilles
手から伝わる体温が、彼女の温かさが優しく感じた。
離れないようにと繋いだ、とても小さな手だ。そんなことを言ったら彼女は失礼だと怒りそうだけど、俺からすれば小さいんだ。手だけでなく、体も俺と比べたら小さい。
明るかった空はすっかり黒に染まり、灯りのない砂浜に何度か足を取られそうになる彼女を支えながら、見晴らしのいい場所までやってきた。
「……その、最近体調悪くてティリアお姉ちゃんのところ行けてないんだけど……ティリアお姉ちゃん元気にしてた?」
ふと、彼女が口を開く。この子はとても体が弱い。すぐに熱を出して倒れたり、少食だったりと、俺とは真逆のような子だ。だからこそ元気な俺が守らなきゃって思ってるんだけど、同時に俺のご主人様であるティリアさんと仲良くしている。
「ティリアさんなら元気にしてるよ」
ついつい、むっとしてしまう。俺じゃなくてご主人様に会いたいのか。ちゃんと答えてるものの、内心は少しだけもやもやしていた。
だけど「よかった」と安堵してる彼女に、ご主人様ではなく俺に会いに来てほしい、だなんてそんなことを言えるわけもなく。いや、体調の安定しない彼女から来てもらうことが烏滸がましいことはわかってる。わかってても……
瞬間、大きな音と共に暗かった空に大きな光が現れる。海面に写し出されたそれは、大きな一輪の花火だ。突然の爆音に情けないながらビクリと肩をあげてしまった。耳がいい分、この音は正直苦手だ。
繋がれた手が引っ張られたような気がして彼女を見てみれば、しりもちをついて倒れていた。俺と同じようにびっくりしたみたいで、手から彼女が震えているということは明確だった。次の花火が上がるより先に、俺は手を離してそれを彼女の両耳にあてた。空がまた大きく光り音を響かせる。
「……こうすれば、怖くないだろ?」
耳を塞いだから、聞こえないかもしれない。それでも構わない、聞こえていないならいないで、彼女がそれで落ち着くのであれば。笑顔を見せる彼女が照らされて、なんとか防音対策にはなっているとわかって、ホッとした。
一方で、彼女はゆっくりと俺の両耳を抑えはじめた。どうやら俺のことも心配してくれてるようだ。大きかった花火の音は少しだけ控えめになり、ばくばくと跳ねていた心臓も少しだけ落ち着いてきた。
「……近い、な」
花火が、ではない。彼女がだ。互いに両耳を塞いでるこの体勢が、とても近い。花火を見に来たはずなのに、ずっと彼女のことばかりを見ていた。彼女の瞳に、光が映えていた。綺麗な、花火だった。
花火を見る一方で、彼女が口を動かして何かを呟いていた。大きな音ばかりを拾うこの耳でも、うっすらと聞き取れる。助けられてばかりだねって、情けないねって、強くならなくちゃって。
「……強くなくたっていい。俺が守るから、シュシュのこと」
この子の師匠であり、ご主人様の師匠でもある人と……アイオーンさんと、約束した。この子を責任持って守ると。
昔はよく並んで遊んでいたけれど、今は違う。俺は、この子のことを本気で守りたいと思ってる。馬鹿にされるかもしれないけど、それでも……俺は。
「シュシュ、顔が赤いけど……熱?」
音が鳴りやむ。彼女の状態の異変を感じた俺は声をかけた。熱なら大変だ、今すぐ帰らなければ、そう思っていたけれど彼女は「熱じゃないの」とゆっくり首を横に振って否定した。
「熱い感覚はしないけど……その……クルクスがいつも以上に近い気が、して……」
うん、俺も同じことを思ってた。距離がとても近い、だけどきっと昔からよく抱きついてたから、この距離には安心感のようなものがあるのかもしれない。そう、思ってた。
「でも、それが嫌なわけじゃないの。こうしていてほしいの。わたしが満足するまで……それだけでいいから」
こうしていてほしい。
その言葉から、昔を思い出さずにはいられなかった。先に言った通り、昔はシュシュに会う度に抱きついていた。だけど最近近いからと距離を取られるようになって、今のこの近さもかなり久々だ。てっきり内心嫌われてるのかと思ってたから……
「それでいいの?シュシュ」
つい、聞いてしまった。
「……わ、わわわわ、忘れてっ!やっぱりさっきの言葉はなし!シュシュはそんなの言ってない!言ってないもんっ!」
慌てた彼女は俺の耳をパッと離して慌てふためきはじめる。いや、聞こえたよ、バッチリ。俺、耳いいし。聞こえたから、彼女のことがまた少し、愛しく感じた。
「シュシュ」
顔を見られまいと自身を覆い隠す彼女の名前を呼ぶ。一切こっちを向きそうになく、俺は小さく溜め息を吐いた。今日は何だか変だ、彼女も……俺も。
少しだけ強引かもしれないけど、顔を覆っていた手を掴んで、俺の方へと引き寄せ、力に負けて倒れてきた彼女の腰に腕を回した。耳を抑えていた時と比べたらその距離は大きく縮まっている。
彼女へと顔を近づけて見つめる。口と口が触れそうな距離まできて、ハッと我に返った。駄目だ駄目だ、さすがにこれ以上は……!
行き場のなくなった自身の顔を彼女の横に置き、抱きしめる力を少しだけ強くした。苦しくない程度に、優しく。顔を見られたくない気分だった。さっきの彼女もこんな気持ちだったのだろうか。
「……その、ここにいるから。俺」
片方の手で彼女の頭を軽くぽんぽんと叩く。心臓がばくばくと跳ねていた。花火の音に驚いたわけでもないのに、ずっと跳ねていた。
こんなことしかできない俺だけど、思いだけは誰にも負けてないつもりだ。どうか……どうかこれからも、一緒に。
6/10ページ
スキ