第7章 過去・追憶
私は彼らの為にお願いします。世の為ではなく私にお与えくださった人々の為にお願いします。彼らはあなたのものだからです。私のものは全てあなたのもの。あなたのものは私のものです。
そして、私は彼らによって栄光を受けました。私はもはや世にいなくなりますが、彼らは全て世に残り、私はあなたの元に参ります。
聖なる父よ、私にお与えくださったあなたの名によって彼らを守ってください。彼らが私達のように一つになる為です。彼らと共にいた間、お与えくださったあなたの名によって私は彼らを守り、保護しました。しかし、私は今、あなたの元に参ります。
世にいる間にこれらの事を語るのは私の喜びが彼らのうちに満ち溢れるようになる為です。私は彼らにあなたの言葉を与えましたが、世は彼らを憎みました。私が世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
私がお願いするのは、彼らを世から取り去る事ではなく、彼らを悪い者から守って下さることです。私が世に属していないように、彼らも世に属してはいないのです。
真理によって彼らを聖なるものとして下さい。あなたの言葉は真理です。あなたが私をこの世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました。
彼らの為に私自身をお奉げ致します。彼らも真理によって奉げられた者となる為です。
【ヨハネによる福音書 第17章】
誰が殺した駒鳥の雌を。それは私と雀が言った。
「セティ……!!!!!」
「おっと……ほうら、雀がやって来た。駒鳥の雌を殺した雀が一羽、駒鳥の雛を追ってきた」
見知らぬ怪僧が纏った黒衣がせせら笑いと共に翻る。奮った鎌の切っ先が捉えた男の顔を隠していた長い前髪がアメリアの庭を穢す様に散った。アメリアやセティのものとは違う緋色の両目をギラギラと輝かせて。歪んだ細い月を口元に描きながら、僧が笑う。
その時、ざわりと音にならない音を立てて記憶が蘇った。いや、蘇ったと言えるほど鮮明なものではない。そして、アメリアと過ごした日々のように大切に鍵を掛けてしまっていた記憶でもない。だが、確かに俺の記憶の中に存在している。俺はこの”眼”を知っている。
「セティを返してもらうぞ」
「元より。最初からこの庭の主人に危害を加えようなどと考えてはいないさ。美しい薔薇も拝見させていただいたわけだしな。実に綺麗な紅色だ。お前の母の髪を濡らし最後に首を飾っていた色と同じだ。……お前もそう思うだろう?なあ、駒鳥の雛よ?」
男に背中を押されたセティの体がよろめく様に数歩動き、たたらを踏む様にそこで止まった。俺の腕が届く、その前で。
普段から白い肌を更に白い物へと変えて。野晒しにされ漂白された骨のように白い顔で、恐怖に塗れた瞳で俺を見上げていた。
……何度も、今まで何度も見てきた瞳だ。刑場に上がる度に自分に向け続けられてきた瞳だ。そして、悟った。セティが知ってしまった事を。限界が来てしまった事を。この男が何をセティに吹き込んだかまでは分からない。だが、彼女は知ってしまった。それが例え真実の一部分だとしても。
いつの間にか影は消え失せ、自分達の目の前には元の静かな庭が広がっていた。黄昏の光がさざめく庭で血の色よりも濃く色付いた真紅の薔薇達が揺れている。
誰が殺した駒鳥の雌を。それは私と雀が言った。
主のない影が歩き出す。背中で誰かが笑っていた。影の声が笑っている。
「……おしえて、ほしいの。サンソン……どうして、どうしてアメリアは死んだの」
……潮時が来た。夢が終わる、その時が。
「私は……俺は執行人の家に生まれました。執行人は分かりますか?……そうです。死罪になった人間へ死刑を執行する人間です。俺の父もそのまた父も執行人でした。……俺も15の時に父からその職を受け継ぎました。父が病に倒れ半身不随になり執行人の役目を果たせなくなったからです。そして、16の時に最初の処刑を……行いました」
『人殺し!あいつは!あの一族は死神の一族だ!』
『悪魔だ!あいつは悪魔だ!あいつはむごたらしく人を殺すことに快楽を覚える悪魔なんだ!』
『では何故、俺達一族は死神の一族だと後ろ指を指され続け、石を投げられ続けられなければならないんだ!司法の最後の段階を担う番人が執行人であると父上は言いました!では、何故虐げられなければならないんですか!?処刑が本当に正義であると言うのなら何故、俺達は疎まれなければならないんだ!』
無垢な少女の、細い首がコクリ、と動き、行き場をなくした空気が細く漏れてヒュウ……と笛のように鳴っていた。
「……だから、アメリアを殺したの……?だからサンソンが、殺したの?ねえ、アメリアはどんな悪い事をしたの?」
黄昏が、薔薇の匂いがむせる様に咲いていた。狂ったように、咲いていた。薔薇……アメリアをいつも包んでいた香りだ……
「執行人として生きていた、ある日の事でした。俺がアメリアと出会ったのは。アメリアはあの日、プレゼントを探していたんです。あなたに贈る為のプレゼントを。……あなたの話はアメリアから何度も、何度も聞きました。セティお嬢様は俺がこの屋敷に来るまで俺をご存じなかったと思いますが、俺はあなたを知っていました。大切な娘がいると、自分の自慢の娘だと彼女は会うたびに俺にそう話してくれました。……アメリアはあなたを深く愛していました。自分の全てを投げ打てるほどに。あなたは愛されていた」
幼子の低い視線と自分の視線を合わせる為に片膝を付き、小さな白い手を握りしめた。教会で神に祈る時のように恭しく。彼女の問いから少しずれた回答をわざと紡いで、アメリアの遺品である小さな、護身用の短刀を白い手に握らせながら。
……そう、知らなくていい。アメリアはこの子の母親だ。親が犯した罪を、果たして本当に知りたいと思う子供がいるだろうか?自分の親が自分を守る為に人を殺したと知りたい子供がどこにいる?……憎まれるのは俺だけでいい。大丈夫だ憎まれるのには慣れている。それに彼女には恩がある。それを返す時が来た、ただそれだけ。
「俺は殺しました。俺が殺しました。あなたを愛していたアメリアを。あなたが愛しているアメリアを。あなたには理由がある。俺を憎む理由がある。あなたには権利がある。俺を裁く、権利がある。全てが終わったらペトロというものを訪ねて下さい。きっとあなたの力になってくれるから」
導く様に短刀を握った彼女の手を取り自分の首へとあてがった。一筋流れた赤い雫を一条差し込んだ夕間暮れの光が照らしている。
……これでいい。これでいいんだ。それを覚悟してあなたに仕えた。あなたがいつか俺を母の仇と討ってくれると、信じて。
俺がいなくなった後の事は全てペトロに任せてある。いけ好かない身内だが幼子である彼女に危害を加える事はないだろう。
俺はいいんだ。たった一つ、たった一つだけ願いが叶うから。それを伝えることが出来たら、十分だ。
ゆるりと自然と眦が動いた。瞼の裏ではない。夕間暮れの光の中で、美しい金の髪がキラキラと靡いていた。愛した、金の髪が。
「……お慕い、しておりました」
あの日紡げなかった言葉を紡ぎ瞳を閉じる。ああ、今俺は笑っているのか?……ああ、笑っている。
あなたに贈れなかった言葉を、今、あなたに……
《サンソン》
そして、私は彼らによって栄光を受けました。私はもはや世にいなくなりますが、彼らは全て世に残り、私はあなたの元に参ります。
聖なる父よ、私にお与えくださったあなたの名によって彼らを守ってください。彼らが私達のように一つになる為です。彼らと共にいた間、お与えくださったあなたの名によって私は彼らを守り、保護しました。しかし、私は今、あなたの元に参ります。
世にいる間にこれらの事を語るのは私の喜びが彼らのうちに満ち溢れるようになる為です。私は彼らにあなたの言葉を与えましたが、世は彼らを憎みました。私が世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
私がお願いするのは、彼らを世から取り去る事ではなく、彼らを悪い者から守って下さることです。私が世に属していないように、彼らも世に属してはいないのです。
真理によって彼らを聖なるものとして下さい。あなたの言葉は真理です。あなたが私をこの世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました。
彼らの為に私自身をお奉げ致します。彼らも真理によって奉げられた者となる為です。
【ヨハネによる福音書 第17章】
誰が殺した駒鳥の雌を。それは私と雀が言った。
「セティ……!!!!!」
「おっと……ほうら、雀がやって来た。駒鳥の雌を殺した雀が一羽、駒鳥の雛を追ってきた」
見知らぬ怪僧が纏った黒衣がせせら笑いと共に翻る。奮った鎌の切っ先が捉えた男の顔を隠していた長い前髪がアメリアの庭を穢す様に散った。アメリアやセティのものとは違う緋色の両目をギラギラと輝かせて。歪んだ細い月を口元に描きながら、僧が笑う。
その時、ざわりと音にならない音を立てて記憶が蘇った。いや、蘇ったと言えるほど鮮明なものではない。そして、アメリアと過ごした日々のように大切に鍵を掛けてしまっていた記憶でもない。だが、確かに俺の記憶の中に存在している。俺はこの”眼”を知っている。
「セティを返してもらうぞ」
「元より。最初からこの庭の主人に危害を加えようなどと考えてはいないさ。美しい薔薇も拝見させていただいたわけだしな。実に綺麗な紅色だ。お前の母の髪を濡らし最後に首を飾っていた色と同じだ。……お前もそう思うだろう?なあ、駒鳥の雛よ?」
男に背中を押されたセティの体がよろめく様に数歩動き、たたらを踏む様にそこで止まった。俺の腕が届く、その前で。
普段から白い肌を更に白い物へと変えて。野晒しにされ漂白された骨のように白い顔で、恐怖に塗れた瞳で俺を見上げていた。
……何度も、今まで何度も見てきた瞳だ。刑場に上がる度に自分に向け続けられてきた瞳だ。そして、悟った。セティが知ってしまった事を。限界が来てしまった事を。この男が何をセティに吹き込んだかまでは分からない。だが、彼女は知ってしまった。それが例え真実の一部分だとしても。
いつの間にか影は消え失せ、自分達の目の前には元の静かな庭が広がっていた。黄昏の光がさざめく庭で血の色よりも濃く色付いた真紅の薔薇達が揺れている。
誰が殺した駒鳥の雌を。それは私と雀が言った。
主のない影が歩き出す。背中で誰かが笑っていた。影の声が笑っている。
「……おしえて、ほしいの。サンソン……どうして、どうしてアメリアは死んだの」
……潮時が来た。夢が終わる、その時が。
「私は……俺は執行人の家に生まれました。執行人は分かりますか?……そうです。死罪になった人間へ死刑を執行する人間です。俺の父もそのまた父も執行人でした。……俺も15の時に父からその職を受け継ぎました。父が病に倒れ半身不随になり執行人の役目を果たせなくなったからです。そして、16の時に最初の処刑を……行いました」
『人殺し!あいつは!あの一族は死神の一族だ!』
『悪魔だ!あいつは悪魔だ!あいつはむごたらしく人を殺すことに快楽を覚える悪魔なんだ!』
『では何故、俺達一族は死神の一族だと後ろ指を指され続け、石を投げられ続けられなければならないんだ!司法の最後の段階を担う番人が執行人であると父上は言いました!では、何故虐げられなければならないんですか!?処刑が本当に正義であると言うのなら何故、俺達は疎まれなければならないんだ!』
無垢な少女の、細い首がコクリ、と動き、行き場をなくした空気が細く漏れてヒュウ……と笛のように鳴っていた。
「……だから、アメリアを殺したの……?だからサンソンが、殺したの?ねえ、アメリアはどんな悪い事をしたの?」
黄昏が、薔薇の匂いがむせる様に咲いていた。狂ったように、咲いていた。薔薇……アメリアをいつも包んでいた香りだ……
「執行人として生きていた、ある日の事でした。俺がアメリアと出会ったのは。アメリアはあの日、プレゼントを探していたんです。あなたに贈る為のプレゼントを。……あなたの話はアメリアから何度も、何度も聞きました。セティお嬢様は俺がこの屋敷に来るまで俺をご存じなかったと思いますが、俺はあなたを知っていました。大切な娘がいると、自分の自慢の娘だと彼女は会うたびに俺にそう話してくれました。……アメリアはあなたを深く愛していました。自分の全てを投げ打てるほどに。あなたは愛されていた」
幼子の低い視線と自分の視線を合わせる為に片膝を付き、小さな白い手を握りしめた。教会で神に祈る時のように恭しく。彼女の問いから少しずれた回答をわざと紡いで、アメリアの遺品である小さな、護身用の短刀を白い手に握らせながら。
……そう、知らなくていい。アメリアはこの子の母親だ。親が犯した罪を、果たして本当に知りたいと思う子供がいるだろうか?自分の親が自分を守る為に人を殺したと知りたい子供がどこにいる?……憎まれるのは俺だけでいい。大丈夫だ憎まれるのには慣れている。それに彼女には恩がある。それを返す時が来た、ただそれだけ。
「俺は殺しました。俺が殺しました。あなたを愛していたアメリアを。あなたが愛しているアメリアを。あなたには理由がある。俺を憎む理由がある。あなたには権利がある。俺を裁く、権利がある。全てが終わったらペトロというものを訪ねて下さい。きっとあなたの力になってくれるから」
導く様に短刀を握った彼女の手を取り自分の首へとあてがった。一筋流れた赤い雫を一条差し込んだ夕間暮れの光が照らしている。
……これでいい。これでいいんだ。それを覚悟してあなたに仕えた。あなたがいつか俺を母の仇と討ってくれると、信じて。
俺がいなくなった後の事は全てペトロに任せてある。いけ好かない身内だが幼子である彼女に危害を加える事はないだろう。
俺はいいんだ。たった一つ、たった一つだけ願いが叶うから。それを伝えることが出来たら、十分だ。
ゆるりと自然と眦が動いた。瞼の裏ではない。夕間暮れの光の中で、美しい金の髪がキラキラと靡いていた。愛した、金の髪が。
「……お慕い、しておりました」
あの日紡げなかった言葉を紡ぎ瞳を閉じる。ああ、今俺は笑っているのか?……ああ、笑っている。
あなたに贈れなかった言葉を、今、あなたに……
《サンソン》
