第7章 過去・追憶
One steP
それは綺麗なモノしか映らない、ガラス玉のよう。
何にも染まらない、そうであってほしい、願いを込めて、私はあなたに祈りましょう。
何も知らない、知らなくていい。……何もかも。
「楽しいわ、あなたとお買い物をするの」
歩き慣れた街道を歩きながら、私は彼にそう話しかけた。あれからというものの、彼とは日曜日になると一緒に買い物をする仲になった。落ち込んでいるようにも見えた宝石はいつの間にかそこに光を宿していて、初めて出会った時と比べれば全くの別人のようにも見えた。
「……俺も、楽しいです」
「ふふ、良かったわ」
今日は装飾を眺める以外に、手がちぎれそうなくらい重いものを買ったの。といっても、家族の分の食料なのだけれど……家まで彼が一緒に荷物を持ってくれるようになったの。申し訳ないとは思ったんだけど、こういう時に便りになるのはやっぱり男性なんだなーって改めて実感した。
「ここまでで大丈夫よ、本当にありがとう」
「いえ。……じゃあ、俺はここで」
「あ、そうそう!昨日クッキーを焼いたのよ、よかったらいくつかお渡しするわ!お口に合うかわからないけれど、荷物を持ってくれたお礼に!」
ちょっと待ってて!と声をあげて、荷物を両手に抱えて急いで玄関のドアを開ける。時間をかけるわけにはいかない、急いで準備しなきゃ。そう、急がなきゃならないのに……
「……」
「……アリーヤ」
私の姉にあたる女、彼女がそこにいた。
長い赤の髪を揺らしながら、私の前へとやってくる。彼女の右手には、しっかりとナイフが握られていた。嫌な予感がした、むしろそれしかしなかった。私は咄嗟に手に持った荷物を彼女目掛けて投げ捨てた。重さなんて苦にならない、火事場の馬鹿力とはこのことをいうのかしら。
「っ!」
彼を待たせてしまっている、いや、それよりも彼女は……セティは何もされていないだろうか。アリーヤは何があっても彼女を殺すことはなかった。『夫』との関係の余韻に浸っているだけで、痛めはしても致死のそれは一度もなかった。この家に住む者でそれを向けられるのは、常に私だけだった。
「セティ!」
一目散に向かったのは彼女の部屋ではなく、庭。薔薇が咲き誇るこの場所に彼女はいる、直感がそう告げていた。だけどここにいなければ、私は追い詰められることになる。この庭には逃げ場かないから。
「アメリア!」
直感は的中した、彼女はここにいた。
ホッとした私はそのまま彼女を抱きしめ、頭を撫でてやった。ただいま、そう囁いて。だけど時間がないのも事実、アリーヤはじきにここへ来るだろう。私はそうなる前に、彼女を止めなければいけない。セティには指一本触れさせない。
この子は太陽。決して曇らせたりはしない。私の全てを賭けてでも……!
「オードはどこ!どこにいるの、アメリア!吐きなさい!」
「オード……?私があの人の姿を見たのはもう何ヶ月も前だわ、あなたしか知らないでしょう!?あなたが面倒を見ていたのだから!」
抱きしめているセティの体が震えているのを直に感じながら、私は彼女に負けないよう大声で返事を返していく。オード……形だけの夫を閉じ込め、この人のいいように扱われていた人。おおよそ、堪えきれなくなって逃げたのでしょう。賢明な判断だわ。
「嘘よ……あなたが匿っているのでしょう、アメリア?あの人はいつまあなたのことを愛していたわ、私という人がいながら!」
「いい加減にして、アリーヤ!あなたはどうかしてる……!私は本当に見ていないわ……そう、きっと明日になれば帰ってくる!帰ってくるわよ!」
じりじりと私達の距離を詰めていくアリーヤが、ぴたりとその足を止めた。力尽きたかのように握られたナイフが落ち、地面に刺さる。彼女はそのまま泣き崩れてしまった。
「ああ、オード……オード!私の愛しのオード!どこへ行ってしまったの!私はこんなにもあなたを愛しているのに!」
一方的な愛情を何がなんでもと無理やり押し付けられる。これほど迷惑なことがあるかしら。オード、きっとあなたは苦しかったでしょう。助けられなかった私を許してください……
「……お待たせ、しました」
走り回ったこともあり、髪の毛はぐしゃぐしゃになってしまった。彼を置き去りにしてしまったことも悪かったと思っている、だから家にあったクッキーの七割を袋に詰めて渡すことにした。セティの分が減ってしまうけれど、また焼けば済む話だから大丈夫でしょう。
「……たいへん恐縮ですが……何か、ありましたよね」
「ふふ、やっぱり分かっちゃうよね」
何もなかった、という方に無理がある。私は素直に認めた。だけど、彼に全てを話しても困らせるだけ。詳しくは話さず「ごたごたしちゃって」とだけ呟いた。
「本当にごめんなさい。また来週、改めてお礼をさせてちょうだい」
彼の返事を待たず、私は家へと駆けていく。アリーヤの状態が落ち着かない今、セティにも危害を加えかねない。しばらくは彼女の側から離れないよう心掛けることにしましょう。それとも……
「もう、潮時なのかしら」
彼女が先ほどまで握っていたナイフが、今、私の手元にある。彼女が私を襲ったように、私が彼女を襲えば……セティは幸せになれる。あの子が幸せなのであれば、私はどうなっても……かまわない。
この時から私の考え方は、じわりじわりと歪みはじめていた。
ーーー
ゆっくりと、だけど鮮明に流れていく、きおく。
堂々と掲げられた首、それはアメリアだった。そしてその首を持っているのは、サンソンだった。セティの中で、アメリアから滴る"赤"が、濃く、濃く……染み付いていた。
駄目なの、赤は綺麗な色。セティの目の色、アメリアの目の色。庭に咲く薔薇の色、美味しいイチゴの色。そして……お母様の色。
助けてほしい、だけどセティの中で、それが拒否された。サンソンはセティのことをいつも助けてくれた。だけどセティがいなくなれば、サンソンは自由になれるんだ。サンソンがいなくても、セティは生きていけるようにならなくちゃ。
セティは、自分で決めることができるんだ。
してほしいと願うだけでは、強くなれないんだ。
「怖い……けど、前を向かなきゃ」
サンソンがいなくなっても大丈夫なように、セティが強くならないといけない。さっきの光景が本当だとか偽者だとか、関係ないの。セティが今、このとき、どうすればいいかを考えるの。
「ふむ。前を向く、か。ならば真実を」
「付いていかない」
もう、泣かない。アメリアが言ってたもん、絶対に知らない人に付いてっちゃいけないよって。セティはアメリアの……『お母様』の言葉を信じる。お母様はいつも正しい選択をしていた、けどセティにはこれが正しいかどうかが分からない。自分で決めることなんてなかった。だけどセティは……今、決めるの。
「セティは、付いていかない。だけど、知らなきゃいけないと思うの。だからサンソンを待つんじゃなくて、サンソンに聞くの。知らないおじちゃんの話なんて、知らない!」
これでよかったのかな……お母様?
(アメリア/セティ)
それは綺麗なモノしか映らない、ガラス玉のよう。
何にも染まらない、そうであってほしい、願いを込めて、私はあなたに祈りましょう。
何も知らない、知らなくていい。……何もかも。
「楽しいわ、あなたとお買い物をするの」
歩き慣れた街道を歩きながら、私は彼にそう話しかけた。あれからというものの、彼とは日曜日になると一緒に買い物をする仲になった。落ち込んでいるようにも見えた宝石はいつの間にかそこに光を宿していて、初めて出会った時と比べれば全くの別人のようにも見えた。
「……俺も、楽しいです」
「ふふ、良かったわ」
今日は装飾を眺める以外に、手がちぎれそうなくらい重いものを買ったの。といっても、家族の分の食料なのだけれど……家まで彼が一緒に荷物を持ってくれるようになったの。申し訳ないとは思ったんだけど、こういう時に便りになるのはやっぱり男性なんだなーって改めて実感した。
「ここまでで大丈夫よ、本当にありがとう」
「いえ。……じゃあ、俺はここで」
「あ、そうそう!昨日クッキーを焼いたのよ、よかったらいくつかお渡しするわ!お口に合うかわからないけれど、荷物を持ってくれたお礼に!」
ちょっと待ってて!と声をあげて、荷物を両手に抱えて急いで玄関のドアを開ける。時間をかけるわけにはいかない、急いで準備しなきゃ。そう、急がなきゃならないのに……
「……」
「……アリーヤ」
私の姉にあたる女、彼女がそこにいた。
長い赤の髪を揺らしながら、私の前へとやってくる。彼女の右手には、しっかりとナイフが握られていた。嫌な予感がした、むしろそれしかしなかった。私は咄嗟に手に持った荷物を彼女目掛けて投げ捨てた。重さなんて苦にならない、火事場の馬鹿力とはこのことをいうのかしら。
「っ!」
彼を待たせてしまっている、いや、それよりも彼女は……セティは何もされていないだろうか。アリーヤは何があっても彼女を殺すことはなかった。『夫』との関係の余韻に浸っているだけで、痛めはしても致死のそれは一度もなかった。この家に住む者でそれを向けられるのは、常に私だけだった。
「セティ!」
一目散に向かったのは彼女の部屋ではなく、庭。薔薇が咲き誇るこの場所に彼女はいる、直感がそう告げていた。だけどここにいなければ、私は追い詰められることになる。この庭には逃げ場かないから。
「アメリア!」
直感は的中した、彼女はここにいた。
ホッとした私はそのまま彼女を抱きしめ、頭を撫でてやった。ただいま、そう囁いて。だけど時間がないのも事実、アリーヤはじきにここへ来るだろう。私はそうなる前に、彼女を止めなければいけない。セティには指一本触れさせない。
この子は太陽。決して曇らせたりはしない。私の全てを賭けてでも……!
「オードはどこ!どこにいるの、アメリア!吐きなさい!」
「オード……?私があの人の姿を見たのはもう何ヶ月も前だわ、あなたしか知らないでしょう!?あなたが面倒を見ていたのだから!」
抱きしめているセティの体が震えているのを直に感じながら、私は彼女に負けないよう大声で返事を返していく。オード……形だけの夫を閉じ込め、この人のいいように扱われていた人。おおよそ、堪えきれなくなって逃げたのでしょう。賢明な判断だわ。
「嘘よ……あなたが匿っているのでしょう、アメリア?あの人はいつまあなたのことを愛していたわ、私という人がいながら!」
「いい加減にして、アリーヤ!あなたはどうかしてる……!私は本当に見ていないわ……そう、きっと明日になれば帰ってくる!帰ってくるわよ!」
じりじりと私達の距離を詰めていくアリーヤが、ぴたりとその足を止めた。力尽きたかのように握られたナイフが落ち、地面に刺さる。彼女はそのまま泣き崩れてしまった。
「ああ、オード……オード!私の愛しのオード!どこへ行ってしまったの!私はこんなにもあなたを愛しているのに!」
一方的な愛情を何がなんでもと無理やり押し付けられる。これほど迷惑なことがあるかしら。オード、きっとあなたは苦しかったでしょう。助けられなかった私を許してください……
「……お待たせ、しました」
走り回ったこともあり、髪の毛はぐしゃぐしゃになってしまった。彼を置き去りにしてしまったことも悪かったと思っている、だから家にあったクッキーの七割を袋に詰めて渡すことにした。セティの分が減ってしまうけれど、また焼けば済む話だから大丈夫でしょう。
「……たいへん恐縮ですが……何か、ありましたよね」
「ふふ、やっぱり分かっちゃうよね」
何もなかった、という方に無理がある。私は素直に認めた。だけど、彼に全てを話しても困らせるだけ。詳しくは話さず「ごたごたしちゃって」とだけ呟いた。
「本当にごめんなさい。また来週、改めてお礼をさせてちょうだい」
彼の返事を待たず、私は家へと駆けていく。アリーヤの状態が落ち着かない今、セティにも危害を加えかねない。しばらくは彼女の側から離れないよう心掛けることにしましょう。それとも……
「もう、潮時なのかしら」
彼女が先ほどまで握っていたナイフが、今、私の手元にある。彼女が私を襲ったように、私が彼女を襲えば……セティは幸せになれる。あの子が幸せなのであれば、私はどうなっても……かまわない。
この時から私の考え方は、じわりじわりと歪みはじめていた。
ーーー
ゆっくりと、だけど鮮明に流れていく、きおく。
堂々と掲げられた首、それはアメリアだった。そしてその首を持っているのは、サンソンだった。セティの中で、アメリアから滴る"赤"が、濃く、濃く……染み付いていた。
駄目なの、赤は綺麗な色。セティの目の色、アメリアの目の色。庭に咲く薔薇の色、美味しいイチゴの色。そして……お母様の色。
助けてほしい、だけどセティの中で、それが拒否された。サンソンはセティのことをいつも助けてくれた。だけどセティがいなくなれば、サンソンは自由になれるんだ。サンソンがいなくても、セティは生きていけるようにならなくちゃ。
セティは、自分で決めることができるんだ。
してほしいと願うだけでは、強くなれないんだ。
「怖い……けど、前を向かなきゃ」
サンソンがいなくなっても大丈夫なように、セティが強くならないといけない。さっきの光景が本当だとか偽者だとか、関係ないの。セティが今、このとき、どうすればいいかを考えるの。
「ふむ。前を向く、か。ならば真実を」
「付いていかない」
もう、泣かない。アメリアが言ってたもん、絶対に知らない人に付いてっちゃいけないよって。セティはアメリアの……『お母様』の言葉を信じる。お母様はいつも正しい選択をしていた、けどセティにはこれが正しいかどうかが分からない。自分で決めることなんてなかった。だけどセティは……今、決めるの。
「セティは、付いていかない。だけど、知らなきゃいけないと思うの。だからサンソンを待つんじゃなくて、サンソンに聞くの。知らないおじちゃんの話なんて、知らない!」
これでよかったのかな……お母様?
(アメリア/セティ)
