第7章 過去・追憶

 貴方の瞳が透き通っているのは、風景を余すところなくその心に焼き付けるため。
 貴方の声が透き通っているのは、心を癒し心を焦がす世界を讃美し伝達する言葉を紡ぐため。
 貴方の足が強いのは、どこまでも自由な鳥のようにどこへでも行くため。
 /『異教の邦で聞いた唄』


 「追憶にも作法がある、そうは思いませんか?」
 香草の香りがそこかしこに染みついた庵で、シャンは目の前の友人に訪ねた。
 「ん?」
 友人は、銀糸のような髪を揺らし首を傾げた。彼の名をアイオーン・グノーシスという。占星術師、らしいがシャンにとっての印象は、酒好きでいつも酩酊に浸っている職業不詳の青年という印象だ。実は青年という表現も正しくはなく、自分よりも遥かに年上だと聞く。実際、アルコールに思考を溺れさせていながらも、含蓄に富んだ鋭い知性を煌めかせるので、嘘ではないだろうと思う。だから酒を呑んでいない彼はきっと怖いな、とシャンは思っている。
 「追憶と作法、か。何故お前はそう思う」
 一瞬瞼を閉じ、ゆっくりと開いたアイオーンの瞳に好奇の光が瞬いた。
 「記憶とは生き物が生き物として成立するための条件だと考えます」
 ―貴方は神をなんだと思う―
 「ふむ、そうだな。生き物は学びそれを糧に生きる。何も覚えなければ毒を喰らい、捕食者に腹を晒し死に絶えるからな」
 「記憶は生命に必要不可欠な要素であり、僕たちのような生き物にはさらに別の要素も含まれてきます」
 「そうだな。それを人は“想い出”と称することもある」
 アイオーンは一口酒を含んだ。この友人と話していると時折、自分が小さな子供になったように感じる時がある。的確にこちらの考えや言葉を引き出し導かれているように思えるのだ。彼の弟子達とも面識があるが、彼は導き手として最高の人間だろう。
 「そうです。それが良いモノであっても悪いモノであっても、それは等しく想い出という呼び名で、味わう行為を追憶と呼び、秘されるべき行為であり、行なう事にも干渉する事にも作法がある、いえあるべきなのだと、そうは思いませんか?」
 「秘すれば花なり。即ち、秘密でいる間は穢れない花でいられる。またはその逆。扱いにはそれ相応の手段があり、礼儀がある。作法と言えば作法だな」
 「儀式に順序があるように、聖地への巡礼に道順があるように、追憶にも相応の順序が必要なのです。決して引き出されるべきものではありません」
 金の目が弧を描く様が、陽炎のように揺らめいて消えた。
 アイオーンは青色の双眸を細めた。
 「ほう、何やら実感が籠っているな」
 「異教徒ですから、思う所も色々あるのですよ」
 ふうん、とアイオーンは酒を口に運ぶ。
 「ところで、シャン、お前全然飲んでないじゃないか。遠慮はいらない。兎に角飲め。明日とも知れぬ命だ」
 「“死は最も近くにいる友である”と誰かが言っていました」
 「お前の故郷の話か?」
 「さあ?」
 シャンが首を傾げたところで、ドアがノックされた。
 「あの、すみません」
 幼いながらも芯のある声が控えめに聞こえてきた。それはシャンにとって馴染みのある声だ。そしてそれ以上に友人と縁深い人物でもある。
 「げ」
 「ふふ、そろそろ覚えられてしまったみたいですね、おとーさん?」
 「お前絶対そう思ってないだろ」
 「分かりませんよ?」
 扉を開けるとアイオーンの弟子である少女が立っていた。息を切らせて全身で息をしながらも
 「シャンさん!し、しょうは」
 と目的を果たそうとするあたり、真面目な子だなあと思う。
 「ええ、シュシュリアさんのご想像通り中にいますよ。その前に、お茶でもいかがですか」
 「えっあの」
 「息を切らせた女の子をそのままにできませんから、そちらにお掛けになってください」
 シュシュリアを客に案内する席へ座らせ、薬草茶を淹れ先日貰った蜜を垂らす。
 「どうぞ」
 シュシュリアは両手で包むように茶器を持ち一口啜った。
 「甘くておいしいです」
 「それはなにより」
 喉が渇いていたのか、早々に飲み終えると申し訳なさそうな目でこちらを見る。
 「ご案内します」
 シャンは先程アイオーンと呑んでいた部屋に案内したが、既に誰もいなかった。
 「おや、」
 「師匠いない……!また逃げられました」
 「申し訳ありません。そのようですね」
 「まだ、遠くへは行っていないはずです!」
 きっ、と顔を上げてシュシュリアは庵を飛び出していった。「お茶、ご馳走様でした!」と丁寧な挨拶を残して。
 「アイオーンさん、愛されてるなあ。きっとこれは“良い想い出”になるね。シェン」
 シャンはくすり、と笑った。
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