第3節 温泉
「天青さん天青さん!私にもなにかお手伝いさせてください!」
唐突にかけられた声に目の前に立つ青年は一瞬だけ目を丸くしてこちらを見つめ返してきた。
「ああ!?手伝いだぁ?お前本当に大丈夫かよ?」
「大丈夫です!ギルドの皆さんがお仕事しているのに私がなにもしないわけにはいかないですから!」
「…つってもなぁ…。」
ガシガシと後頭部をかいて、周囲を見渡す彼はふと何かに視線を止めてそちらの方へと歩いて行く。
その先にあったのは、氷水が入ったたらいに浸された数本の牛乳瓶。
「牛乳売りの仕事なら残ってたっけな。
これぐらいだったらお前でもできるだろ。」
そう言って彼は氷水から牛乳瓶を取りだし、それらを手際よく木箱に並べていく。
「ほら、俺が持っててやるから風呂あがりの客に売りにいくぞ。」
「えっ?大丈夫ですよ!私そのくらいだったら持てますよ!」
「バァカ。お前がこれを持って歩いたら木箱を持ったまま転ぶに決まってるだろ。
いいからこれは俺に任せてお前は牛乳を売り込むことに集中しな。」
そう言うと天青さんは木箱を持って先に行ってしまった。
言葉は不器用だけど、彼なりの優しさなのだろうと私は受け止めて私は彼の後についていった。
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温泉を楽しんだお客様たちがギルドが用意した休憩所に集っている。
皆思い思いに語らっていたり、ギルドが用意した麦酒を煽っていたり。
皆心から温泉を楽しんでいるようだ。
「ほら、お前は酒を飲めねぇ客に牛乳を売るんだ。
ぼーっとしてるんじゃねぇよ。」
「あっ…!はい…!えっと…ぎ…牛乳はいかがで…す…か…?」
いざその場に立って客寄せをすると、段々恥ずかしくなってきて声が小さくなっていく。
隣に立つ天青さんはハァとため息を一つつくと、少しだけ声を荒げて私を叱る。
「それじゃ聞こえねえだろ。
もっと声出さねぇと酔っぱらいのおっさんの笑い声にかき消されちまうだろ。」
「はぃ…!ごめんなさい…!
えっと…牛乳はいかがですか?氷水で冷やしたつめたい牛乳です!」
さっきよりも大きな声で呼び掛けると、一人の女性がこちらに向かって歩いてきた。
「牛乳一つください!」
「あ…ありがとうございます!牛乳一本ですね!」
お金を受け取り、お釣りを渡し、天青さんの木箱から牛乳を取り出そうと手を伸ばす。
が…
パリン…!!
「あっ…」
掴んだ牛乳瓶は私の手の中で砕けた。
その瞬間、中に満たされていた牛乳が吹き溢れて私の衣服を濡らした。
「…!?あっ…あっ…!ごめんなさい…新しい瓶をすぐ用意しますからっ…!!」
お客様を待たせてはいけないとすぐ別の牛乳瓶に手を伸ばす。
頭の中がぐちゃぐちゃになって手先しか見ていなかったが、私は相当焦っていたのだろう。
瓶に触れる直前で天青さんに手を捕まれそれを制止された。
「おい、落ち着け。それじゃまた割っちまう。
ゆっくりでいいからいつもより力を抜いて瓶を掴むんだよ。」
「あっ…はい…すみません。」
言われた通りに瓶を持つ。
今度は割れずにお客様に渡すことができた。
でも商品を一つ無駄にしてしまいました。
彼が止めてくれなかったらおそらく全ての商品をダメにしていたに違いない。
私は改めて天青さんに謝罪を述べた。
「すみません…天青さんが止めてくれなかったら、多分全部ダメにしてました。」
「ああ、おそらくな。」
ああ…やっぱり彼もそう思ってたんだと改めて自分の不甲斐なさを実感せずにいられなくなって無意識に足元の方へと視線が落ちていく。
すると彼は暫し間を置いてから軽く叩くようにポンポンと右手を私の頭に置いて「でもちゃんと売れたじゃねぇか」と言葉を紡いだ。
天青さんの言葉に驚いて顔を上げると、彼は私の方は見ずにいつも通りぶっきらぼうな態度のまま頭を軽く撫でていた。
「ううっ…本当にごめんなさい…!」
彼の不器用な優しさに思わずじわりと涙が滲んだ。
「もう謝んのはいいから、とりあえず瓶持ってた方の手ぇ見せてみろ。」
「あっ…はい。」
言われるままに右手を差し出す。
すると彼は私の手をとり、何かを確認するかのように掌をじっと見つめた。
「あの…どうかしましたか?」
「ああ?見てわかんねぇか?傷を確認してんだよ。瓶の破片なんか刺さってたらまずいだろ。」
「あっ…そうか。」
とは言うものの、こんな距離で彼の顔を見るのは初めての事で、何でもないやり取りなのは理解しているが、なんだか少し恥ずかしくなってきて、たまらず視線を反らしてしまった。
やがて天青さんは私の手を離し、いつもと変わらない態度で言葉を口にした。
「傷は無ぇみたいだし、破片も刺さってねぇから大丈夫だろ。
とりあえずお前は風呂入ってきな。
牛乳臭くなっちまうからな。」
そう言ってぐしゃぐしゃと頭を撫でて牛乳瓶の箱を抱えて去って行ったのだ。
その後噴き出した間欠泉に驚いて温泉の壁を壊してしまったのですが…
それはまた別のお話。
