第3節 温泉
では、どうなのでしょうか。私達は勝っているのでしょうか?けしてそうではありません。既にはっきりと言った通り、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。それは、次の様に書き記されている通りです。
正しい者はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者もいない。皆、道を踏み外し、役に立たない者となった。善い事をする者はいない。一人てしていない。
彼らの喉は開いた破瓜、彼らは舌で欺く。唇には蝮の毒があり、口には呪いと苦さが満ちている。
彼らの足は血を流そうと早く走り、その行く道には破壊と悲惨。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れはない。
さて、私達が承知しているように律法の言うところでは全ての人の口が封じられ、全世界が神の裁きに服する様になる為です。何故なら律法に定められた事を行うだけでは人間は誰一人御前に義とされていないからです。
律法によっては罪の意識が生じるだけです。
【ローマの人々への手紙 第3章】
「温泉、気持ちいいね~ね、バム」
同心円を描いて幾重にも幾重にも水面に波紋が広がって行く。立ち上りくゆり混じる白い湯気、それを吸い込む紫紺の深い夜の空を見上げ腕を伸ばしながら、自分の後ろで湯に浸かっている彼の名前を呼んだ。
「バム、私の話ちゃんと聞いてる?それとも無理強いしちゃったことまだ怒ってる?だから喋ってくれないの?」
「……」
「……もう!怒ってるか怒ってないかぐらい言ってよー」
パシャリ、と水を打ったような音が生まれ、響いた。グルリ、と自分の身体を反転させ両手でバムの頬を挟めば少し驚いた様に左目を見開いたバムがいて、中々見られない彼のその表情に私の顔も釣られる様に綻んでしまう。
「入る前にも思ったけどバムの髪、やっぱり長いよね。纏めるのちょっと大変だったんだから」
「そう、か?」
「ふふっ……でも楽しかったからいいわ。ほら、私の髪はバムみたいにそこまで長くないから。だからね、私バムの髪に触るの好きよ」
「……ハルモニア?」
「あああぁ……ち、違うの……!ちょっとね、ちょっと昨日見た夢がちょっと変な夢だったから……バム……バムってどこかに島を持ってたりとかする?私有地みたいな感じで……」
バシャリ、と先程より一回り大きな音が浴室内に響いた。再び体を反転させて視線の先を彼から前へと戻し、瞬間、蘇った夢を打ち消すように左右に首を振る。ちらりと、横目で後ろを窺えば……意味がまるで分からないと言いたげな怪訝なバムの瞳と目が合った。
……うん。いつものバム、だね。バナナなんて持ってないし、木に登って「ニンゲン……カエレ……」なんて言ってないもの……!
「大丈夫か……さっきから顔色が……」
「だ、大丈夫!大丈夫よ!いつものバムだから平気!」
ふうっ……と肺の奥から息を吐き出せば湯気と一緒に吐き出したばかりの息が混ざり合って上っていく。それを見送り体の力を抜いて委ねる様にバムの胸へ背中を預け、お湯の中で彼の手を手探りで探して指を絡めて握り締めた。微かな硫黄の香りとお湯に浮かんだ湯の花が体を擽り、するりと暖かさと共に入り込む。
大浴場の方では何か大きな騒ぎがあったみたいだけど個室があるここはそちらからは離れていて時々ざわざわとした音が聞こえる他は静かでとても穏やか。……アルファとメガの二人はお風呂に途中で飽きて大浴場の方に上がって行っちゃったけれど……大丈夫かしら。まあ、ここは正規ギルドが運営するお風呂だから何かあったらギルドの皆さんが対応してくれるとは思うんだけど……
「……ハルは髪を伸ばさないのか?」
「髪?……どうしたの、バム、急に?」
「何となく……ハルがさっき髪について言ってたから、気になったんだ」
不意に後ろ髪に生じた少しだけくすぐったい様な優しい感覚に目蓋を数度瞬かせ、答えを返す代わりに私からも尋ねればバムは歯切れ悪く呟き口を閉ざし黙り込んでしまった。
……ううん。黙ったんじゃなくて一生懸命言葉を捜して考えてくれてる。他の皆は知らなくても私は知ってるの。だって……
「バム」
「……」
サラリ、と乳白色のお湯が素肌を滑り、珠の様な雫となり落ちて行く。バムの胸に預けていた背中をゆっくりと離し身体を反転させて上体を伸ばして彼の薄い唇に自分の唇を重ねて微笑んだ。自然と。そうするのが当然の様に思えたの。
「バム、大好きよ」
「いきなり何を……」
「ふふっ……バムはちゃんと気持ちを言わないと心配になっちゃうでしょ?だから、ね」
自分の肩よりも少し先まで伸びた髪がお湯で濡れた肌を擽って行く。バムに出会った時よりも少しだけ伸びた私の髪。想いと一緒に伸びた、私の髪。
「バムより長くなるのもすぐかも、ね」
「……?」
「内緒。……バム、愛してる」
私の口が紡ぐのは真実ばかりじゃないけれど……でも、今あなたに感じるこの気持ちは、嘘じゃない。
≪ハルモニア・コンコルディア≫
