第6章 日常

そして、御子は人の子が多く苦しみを受け、長老や祭司長や律法学者達に排斥され、殺され、そして三日の後に復活するはずである事を弟子達に教え始められた。しかもあからさまに話された。

すると、弟子の一人が御子を脇にお連れして諌め始めた。御子は振り返って弟子達を見、弟子を叱って仰せになった。

「悪魔よ引き下がれ。あなたの思いは神のものではなく人間のものである」

それから、御子は弟子達と共に群衆を呼び寄せて仰せになった。

私の後に従いたい者は自分の命を捨て、自分の十字架を担って私に従いなさい。自分の命を救おうと望む者はそれを失い、私の為、また福音の為に命を失う者はそれを救う。

例え全世界を手に入れたとしても自分の命を失うなら何の益があろうか。また自分の命を買い戻す為に人は何を支払えばよいか。

紙を捨てた罪深いこの時代において私と私の言葉を恥じる者に対しては、人の子もまた父の栄光に包まれて聖なる使い達と共に来る時にその者を恥じるであろう。

また、御子は仰せになった。

あなた方によく言っておく。ここに立っている人々のうちには神の国が力を持って到来するのを見るまで死を味合わない者達がいる。


【マルコによる福音書 第8章】






「ピエール、か。お前が出てくるとはな。……そこを通せ、と言ったところで無駄だな」


「ああ、君達二人は国家転覆を目論む大罪人。そして私は秩序を司る王宮の騎士だ。国を乱す者達をむざむざ放っておくことはできない」



「そうかならば……押し通るッ!!!アルフォート、駆け抜けるぞ!!!!死にたくなければ切り抜けてみろッ!!」


セデルの鋭い声が朝靄が包む荒野に響き渡る。その声にガラリと瓦解しかけていた精神を引き上げられ自我を繋ぎ、槍を手にした。


”虐殺者アルフォート”


王宮騎士が口にしたその呼び名がグルリ、と思考を巡る。言い様のない嫌悪感が吐き気と共にせり上がった。


「違う!!俺は……俺は何も知らない!!何も知らなかった!!ゴイムの虐殺の扇動者は俺じゃない!!!」


「嘘を吐くなッ!!先の虐殺の首謀者は君だ、アルフォート!旧教徒の過激派を扇動し卑劣極まりないテロを誘発し戦闘員だけでなく非戦闘員までも死傷した!!これが暫定政府が出した声明だ!!!」


「違う!信じてくれ!俺は何もしていない!何も知らなかったんだ!!!」


「仮にそうだったとしても知らないというのはそれだけで罪だッ!!!それを聞いて犠牲者は納得するのか!!?奪ったのは君だ!!」


「……ッ!!」


右耳のすぐ隣を一本の矢が音なく通り過ぎていく。固い乾いた土に突き刺さったそれは後半歩ずれていたら確実に自分の耳を持って行っていただろう。あり得たかもしれない現実にゾワリ、と背筋が凍りついた。


「風よ、奔れッ!!!」


セデルの声と共に彼が放った剣撃が枯れた草を薙ぎ、先程矢を放ったばかりの射手を捕え真後ろに吹き飛ばす。二つに折れた弓が半円を描く様に空に舞って、重力の軛に引かれ落ちて行く。緩く上下する射手の胸が彼が死者ではなく生者であることを告げていた。……あの距離から射手本人じゃなく弓の方を狙ったのか……

硬い金属と金属が打ち合う音が刹那、朝靄を揺らす。


「手出し無用だッ!」


背後にいる彼の部下に騎士の怒号が飛んだのは射手が倒れた直後の事だった。


「セデル!!」


「来るな、アルフォートッ!!一騎打ち、か。お前らしいなピエール。騎士として愚直過ぎるぐらい愚直なお前らしい。が、いいのか?私ばかりにかまけているとアルフォートを取り逃すぞ?」


「彼はそんな事をする人間じゃない……勘だが。それにそれは君の方がよく知ってるんじゃないのかい、セデル。……それに私は部下達に手を出すなと言ったが逃がせと命令は下していない。仮に彼が逃げ出そうとしても私の部下が必ず捕える」


打ち合い打ち結ぶ剣戟の音に阻まれ、途切れ途切れでしか俺の耳に二人の会話は聞こえてこない。が、言葉を交わす二人の表情はよく見えた。それは笑みだった。

剣先と槍が何度もぶつかり合い、ぶつかる度に重い音と共に火花が散っていく。

楽しんでいる。この二人は命のやり取りを楽しんでいる。そう感じた。言葉ではなく剣の切っ先で互いに語り合っている。……それが互いの信念か矜持なのか意地なのかまでは……分からないが。

セデルがピエールと呼んだ騎士の部下も俺と似たようなものを感じ取っているのだろうか……最初に一度矢を撃って以降、誰も手を出してこない。……違う、出してこないんじゃない。出せないんだ。魅入られてしまっているから。

朝の靄が晴れ、朝焼けの火に似た光が荒野を燃やす。銀の鎧とくすんだ青の鎧が瞬間煌めいて、二人の男が纏った外套が交差する。

二人とも頭がイカレている。そう思った。だってそうだろう?一瞬後には首が胴体から離れているかもしれないってのにあの二人は笑っているんだ。……だがそれに魅入られている俺達も同類なのかもしれー……


「……ッ!!セデル!!!上だッ!!!」


だから気付くのが遅くなったんだ。空から急降下する捕食者の存在に。

邪竜。それは一部でそう呼ばれる存在だった。竜と名は付いているが知性と心を持った竜とは違う。見た目が竜に似ているから竜と呼ばれているがあれは”竜”ではなく魔物の一種だ……ッ!!!

俺の叫び声でセデルもピエールとかいう騎士も、他の騎士共も邪竜の存在に気が付いたがー……!相手がいるのは空だ!そしてこの場で唯一の弓兵はまだ気を失い伸びている。それ以前にセデルが弓ぶっ壊しちまってるし……!!

このままじゃ武器が届かず一方的に嬲られー……


「えっ……」


一本の銀の矢が蒼穹に銀の軌跡を描いて飛んでいく。それは邪竜の瞳を正確に射抜いた。瞬刻遅れて耳をつんざく様な邪竜の雄たけびが響き渡り大気を、大地を揺らした。


「……どういう事か説明してもらおうか」


「大丈夫ですか!?セデル!アルさん!!」


朝の白い光を背に金の髪と深い青の髪が淡く色付き輝いていた。風を受け靡く髪、聞き覚えがあるぐらいある声に瞳が縦に開いていく。見前違えるはずがない。聞き違えるはずがない。確かに二人はアトリエに置いてきた。なのに、どうして……


「……話は後だ。まずはあのデカ物を撃ち落とさないと話にならない。お前には聞きたいことが山ほどある」


「……という事です。セデル。それは私も一緒よ。……矢は足ります?破魔の矢なら沢山ありますから」


「すまない。もらうぞ、ノルン」


金の髪の女がつがえた矢が再び空を切り軌跡を描く。邪を払い破魔の力を宿した銀の矢が。


《アルフォート》
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