第6章 日常

さて、いいですか。惜しんで僅かしか蒔かない者は、僅かしか刈り入れず、惜しみなく豊かに蒔く者は豊かに刈り入れられるのです。

各々嫌々ながらにとか、してはならないからとか、いうようにではなく心の中でこうしようと思った通りに人に与えるべきです。快く与える人を神は愛して下さるからです。

あなた方が全ての点でいつも必要なものは何もかも十分に持ち合わせ、あらゆる善い行いに満ち溢れた者となるように、神はあらゆる恵みを溢れるばかりに与える事がお出来になるのです。

「彼は惜しみなく分け、貧しい人に与えた。その慈しみはとこしえに続く」

と、聖書に書かれている通りです。種蒔く者に種と食べるためのパンを与えて下さる方は、あなた方に蒔く種を与え、増やし、またあなた方の慈しみが結ぶ実を益々大きくして下さいます。

あなた方は全ての点で豊かにさせていただき惜しみなく人に物を与えるようになり、その行いは私達を通して神への感謝の念を生じさせるのです。

何故ならこの様な「援助」の奉仕は聖なる人達の必要を補うのではなく、神に対する厚い感謝の念によって益々溢れるばかりになるからです。

彼らはこの奉仕が本物であると分かって、あなた方が福音を従順のうちに公に言い表し、彼らに、また、全ての人に惜しみなく物を分け与えている事について神を褒め称えるでしょう。

そして、あなた方に与えられたあり余る恵みの故に、あなた方を慕ってあなた方の為に祈る時、神を褒め称える事でしょう。

神に感謝します。言葉では言い表せないほどの贈り物の為に。


【コリントの人々への第二の手紙 第8章】






風が降り積もった雪を飛ばす。夜の雲の中に隠れていた星々のか細い灯火が月のない夜に灯り、そして、雲は徐々に明けるかわたれの光で染まりつつあった。


「お姉様……お姉様……」



「どうして……泣いて、いるのですか……?」


降りしきる雪……降りしきる。白い六花の花が冬の夜の中、淡い煌めきの衣を纏いながら咲いている。蒼い夜が次第に白み薄暮の光で充ちて行く。朝が来る。六花を散らした冬の衣を引き摺って。

とうの昔に泣き腫らした赤い瞳からそれでもとめどなく流れる涙が幾筋も幾重にも頬を伝い落ちて行く。

笑わなくてはならない。分かっているの。でも、思っていても、思うごとに涙が何度でも滲んでくるのです。

ひたり、と手の平が私の頬に触れた。死の病床に伏した姉の弱々しい指先が私の瞳から零れ落ちる涙を掬う。「相変わらずね、あなたは」と、笑えない私の代わりに姉の薄くひび割れ色を失くした唇がゆるりと弧を描いていた。

今、沈黙を伴って降っている雪の様に、お姉さまの苦しみを白で覆い尽して、全て抱きしめてあげたい。全てを包んであげたい。私が包まなくては。

そう思っていたはずだった。だけどそれは傲慢な思いでしかなくてー……私に全てを受け止める神の力はないのだと嫌でも痛感させられてしまう。



「だい……じょうぶ、です……」


「大丈夫……だったらなんでそんな苦しそうな顔をしてるのですか……大丈夫な人はそんな顔絶対にしません……なのに……」


「大、丈夫。もうすぐ私は苦しむ事が出来なくなります。それに、苦しみは全て、私にとって甘美なもの、です……」


ああ……子を慈しむ母というのは、子らを見守る主の憐れみといたわりとはこの様な気持ちを指してそういうのでしょうか。

病者の塗油をお姉さまが受けてもう二月ほどが経つ。別れの時が間近まで迫ってきているというのが私にもわかった。私にでも分かるのですからお姉様に分からないはずがないのに。……なのにどうしてお姉様は今笑っているのでしょうか?

朔の日天球を覆う宵闇のビロードの様に。あるいは風一つない日の午後の湖面の様に。どうして穏やかな表情で私を見つめていらっしゃるのですか?


「は、あ……っう……」


「お姉様……お姉様!私、私何かしたい!お姉様の為に何か……!」


お姉様の生気が失せた顔が苦悶で歪む。脈が乱れ、息が一際荒れ出す。溢れた涙で私の世界が溺れて、沈んだ。



「……雪、を……」


「えっ……」


「雪を一匙、くだ、さい。それで、十分、です……雪が、欲しい……」


風舞う空に霙交じりの氷雨が舞う。薄暮の空に昴が浮かんでいた。光集め咲いた青い花びらが子午線の虚ろに散って行く。薔薇色の、空へと。






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「でも驚きましたわ。まさかあんなところで人が倒れているとは思わなくて……あ、あら……どこにいかれたのかしら……さっきまで後ろに……」


「あの……」


「もう大丈夫なのでしょうか……でもお水しかお渡しできていないから無理をしてまたどこかで倒れていては……」


「います……!後ろにいます!!!」


「ひゃあっ!!」


風舞う空に声が響く。自分の背後近くから聞えて来た大声に反射的に肩が大きく縦に跳ね上がった。慌てて振り返れば崩れ落ちる様に膝を付く人の姿があって、急いで手を伸ばし地面に体が倒れ込む寸前で何とか崩れ落ちる体を支え、抱えた。


「だ、大丈夫ですか……」


「お、大声を出したので眩暈がしただけですので……それよりすみません……驚かせてしまいました、よね……」


「少しだけ。……支えがあれば立てますか?もし無理なようでしたら教会から人を呼んできますので……」


抱えたまま彼へと尋ねればふるり、と首が横に振れて「あ、歩けます……」と小さく返事があった。その言葉にほっと胸を撫で下ろし息を吐く。こうして体を支える事は私一人でも出来るけれどおぶって行くことは出来ないので……

教会はすぐそこだけれど行き倒れていた異国の服を着た方を、短時間とはいえ置き去りにするのは出来ればしたくないから。


「良かった……教会の入り口まであと少しですからもう少しだけ我慢して下さい」


「すみません。水を恵んでいただいた上に……ご迷惑をおかけして……」


「迷惑なんてそんな……それに私はそんな大層な事は出来ません。私にできる事はいつでも小さな事です。だから、あなたが気に病む必要はありません」



……私は艱難を受ける事を誇る。艱難は根気と忍耐を生んでくれる。根気は徳を鍛錬し、鍛錬を受けた徳は希望を生んでくれる。……お姉様がそうであったように。


「あの……」


「はい?ああ、手ですか?先程みたいに私が見失わないように、です。教会に着くまでの短い間ですから……荒れた手ですが繋いでいて下さいね」


『私が天へと昇ったら私は地上に善を成すために天での時を過ごしましょう』


薄暮の朝の空があの日と同じ様に薔薇色に染まっていた。


≪テレーズ・リジュー≫
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