第6章 日常

あなた方のうち誰かが仲間との争いを起こした場合、聖なる人々に訴えようとするのですか?それとも、あなた方は、聖なる人々が世を裁く事になるのを知らないのですか。

また、世があなた方によって裁かれるというのに、あなた方には些細な事を裁く力もないのでしょうか?私達が御使いを裁く事になるのを知らないのですか。

まして、この世の生活に関わる事を裁くのは言うまでもありません。

それなのに、あなた方はこの世に関わる事で争いが生じると、教会が取るに足らないと見做している人々を裁く者の席に着かせるのですか。

私がこの様な事を言うのはあなた方を恥じ入らせる為なのです。あなた方の中には兄弟間の問題を裁く事の出来る様な知恵のある者が一人もいないというほどにまでなっているのですか。

それで、兄弟が兄弟を訴え、しかも、信仰のない者の前でそうするのですか?そもそもあなた方が互いに訴え合っているという事自体、すでにあなた方の敗北です。

何故、むしろ奪い取られるままにしておかないのですか。それどころか、あなた方は不正な事をしたり、奪い取ったりしています。しかし、兄弟達に対してそうしているのです。

正しくない者が、約束された恵みとして神の国を受け継げない事を、あなた方は知らないのですか?


【コリントの人々への手紙 第5章】






青くけぶった空を見上げながら一人声にならない苛立ちを息に混ぜ吐き出し、乾いた硬い土を足先で抉り蹴飛ばした。都境に革命軍が集結しているようだからそちらへ向かえと俺達の部隊にとある枢機卿から命令が下ったのが半月ほど前だ。それから確かに戦闘は数度あったがどれもこれも小規模の小競り合い程度のもんだ。半月経つというのに俺達の部隊は消耗らしい消耗をしていない。それはあちらも同じだろう。……解せない。


「……やはり不満か、メドラウト?」


「カムイ。そもそもお前なんで断んなかったんだ?どう考えたって舐められてんだろ、これ。まだ大規模な衝突が起きてないからいいようなもののー……前線に隊一つって死にに行けと言われてるも同じじゃねーか。元が平民や没落貴族ばかりの部隊だからって舐めやがって……」


「まあ、そう言うな。主戦場はここではなく王都だ。今頃枢機卿どもが指揮する軍は革命軍に蹂躙されているだろう。客観的に見てどちらに勢いがあるか、流れがあるか……考えるまでもないからな」


「はあ!?王都が主戦場!?そうならない為に俺達がここに派遣されたんだろう!?」


「さっき王都からの早馬があった。昨日、大規模な戦闘が始まったらしい。大方ここらへんにいるのは陽動部隊だろう。その証拠に攻めるには攻めて来るが積極的に踏み込んでこない」


カムイ……部隊長の口から淡々と告げられる言葉に長い、長い息を肺の底から吐き出してドカリ、と腰を下ろす。俺の様子を横目で見るとカイムは僅かに口元に弧を描き声を微かに漏らしたようだった。


「やけに落ち着いてんな。あんたもしかして知ってなのか、最初からこうなる事を」


「さあな。それに、落ち着くもないも今更俺達に出来る事はないもない。ここから王都まで早馬を駆けさせて丸一日以上だ。隊を率いて行くとなるとどれだけ少なく見積もっても数日は掛かる。俺達が今すぐ動こうにも王都に着く頃には勝敗は決している。それに……」


乾季で立ち枯れた草ばかりの茶けた平原が視界の先、どこまでもどこまでも広がっていた。見渡せるのに、見通せないだだっ広い平原が。

「それに?」鸚鵡返しに尋ねた。鈍色の鎧を纏った背の高い男に。僅かに浮かんでいた男の笑みが刹那、より深いものへと変わっていく。


「これであの枢機卿の豚共も分かっただろう。戦場に観覧席はない。卓上の上で、安全圏で物事を画策する事に慣れ過ぎて忘れていた事を今頃思い出しているだろう。戦場で死ぬのは貴族でも聖職者でも兵士でも平民でもない。敗者だ」


ゾクリ、と背筋が粟立った。その言葉に、その瞳に。

この震えはなんだ?王都で起きている大事を聞かされたからか?戸惑っているのか?それとも、革命軍が全権を掌握した後の自分達の処遇を無意識に考えているのだろうか?……違う、この震えは……俺が今感じた恐怖はそれじゃない。


「とは言え、何もしないというわけにもいかないがな。形だけでも動いておかないと後々響く」


「……上が倒れたら響くも何もないだろう」


「裏切った、という事実が残ると厄介だ。いや、そもそも裏切ってなどいないが……仮にも騎士団に名を連ねている部隊が全く動かないとなると不実だという印象が残る。忠義が深すぎる部隊と同様不忠義な部隊も排除の対象になるからな。だって、そうだろう?変わった上からすれば今度はいつ自分達を裏切るか分かったもんじゃない」


ゆるりと瞳が弧を描いた。俺じゃない。カイムの瞳が、だ。悪戯を成功させた子供の様に笑って紡がれた言葉に後ろ手で頭を大きく掻く。……さっきまでゾッとするような顔をしていたかと思えば今はこの笑顔だ。本当にカイムは読めないし、食えない。


「どこへ行くんだ?」


「陣を畳む必要があんだろ?あんたは本陣に戻っててくれ。別動隊で散ってる連中には俺がとっ捕まえて言っておくわ」


ゆるやか……とは思っていなかったが、俺が思っていた以上に流れは速いらしい。






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「んっとに、あいつらどこまで行ったんだ……」


カイムと別れたばかりにの時はまだ天の中央付近にあったはずの日が西へ西へと落ちて行く。空の色はまだ茜に染まってはいないが既に白み始めていた。色が変わり始めるのも時間の問題だろう。

乗っていた馬から降り背筋を伸ばす。少しこいつを休ませたらまた走らせねえと……


「きゃぁああああっ!!!」


「なっ!?」


瞬間、声が響いた。若い女の声だ。反射的に振り返ればあたたかい何かが身体にぶつかって、そのまま後ろ向きに倒される。これも反射だろうか、その何かに腕を回して抱え込んだ。

茜空に変わるまではまだあと少し時間はあるはずなのに、視線の先で茜よりも濃い色が陰り始めた陽光の中で輝き、広がっていた。

……って、今、口に何か、触れなかったか……?


「あああああ、あのののののの!!!!?」


「!!!!!」


声に手を放せば、対の琥珀色の瞳が俺を見つめていた。両手で真っ赤な顔と口を覆うそいつの姿に何が起きたのか察して自分も片手で顔を覆う。耳まで熱い気がするのは気のせいじゃない。……ああああ!って、そうじゃねえよなあ……


「ああああ、あののの!!!ち、違うんですぅうう!!!!!わ、わざとではあああ……!!!」


「あー……落ち着けっての。その、あれだ……怪我はねえか?」


この女がどこの誰か、なんでこんな場所にいるのか聞くのはそれを確かめてからでも遅くはないはずだ。






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「ここは……」


「どうした、メドラウト」


「いや、なんでもねえ、カイム」


馬の嘶く声が響く。あの日は茶けた草で覆われていた平原も徐々に芽吹き始めた緑で衣替えをしているようだった。ヒースがそよいで、揺れている。


「それより急がねえといけないんだろ?ならさっさと行こうぜ」


青く澄んだ空が、広がっていた。


≪アナム・メドラウト≫
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