第10章 変化・第11章 家族
健やかなるときも病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命がある限り、真心を尽くす事を誓いますか?
「ハル……?ハル……なの……ハルモニア……ああ、ハルモニア……」
「うん。ミルファス姉さん。私だよ、ハルだよ」
そっと扉を押し明けた。先達の侍女たちが現れるよりも早く現われ、そしてそのまま文字通り私の体に抱き付く姉さんの体を両手を広げて受け止める。ポツリ……と、私の肩の上に屋敷の中にも関わらず雨が降っていた。
「……姉さん、痩せちゃったね。ちゃんと寝てるの?」
「ハル……ハル……あなた……今まで……どこへ……どこを探しても……あなたを見つけることが私……できなくて……それどころか……あなたは死んだって聞いてしまって……そんなの嘘だって思っても……あなたはどこにもいなくて……」
「……姉さん。大丈夫。私、ここにいる。大丈夫。私、温かいでしょ?大丈夫。姉さん、今日は姉さんに話したい事があって来たの。あっ、勿論姉さんに預けた二人のお迎えにも、ね。だから今日は、私の大切な人も一緒に連れて来た」
「……たいせつな……ひと……?」
瞳が自然な弧を描く。大粒の涙を私とは真逆の色をした瞳に湛えてー……そのまま呆けた様に私が紡いだ言葉の一文を鸚鵡返しに繰り返す姉さんの濡れた頬を片手でそっと撫でた。
私の大切な人の姿を写した姉さんの瞳が大きく縦に見開いて行く。また一つ大きな雫が溢れて、落ちた。
「ノイモーント卿……」
姉さんの部屋の壁に掛けられた時計が時を刻んでいた。あの時ー……私がこの屋敷によく出入りした頃と変わらずに寸分狂わずに。
「その人形……あの時の……ずっと飾ってたんだね、姉さん」
古びた品のある時計の下に揃いで置かれた懐かしい人形。着ている白い服は少し日と時に褪せてしまったけれど見間違えるはずもない。だって、私はこの人形でよく遊んでいたんだもの。姉さんと二人で。子供の頃の話だけど、今でもありありと思い出せる。記憶の引出しから引き出すのは造作もなかった。
「ああ……どうしても捨てる事ができなくて……この年でって思うでしょ?でも、この人形は私とハルの思い出だから……」
姉さんの整った薄い唇から一つ息が小さく漏れる。優しく遠くを見つめる姉さんの視線に、姉さんも今、私と同じ場所、時に帰っているのだという事が分かった。私と姉さんがハルモニアとミルファスから妹と姉になったあの日を私が見ているように姉さんの記憶も過去へと駆けていく。優しい過去へと。
「それで……二人の話というのは……」
姉さんの髪が部屋に差し込んだ陽光を受けて淡く煌めき、輝く。金の糸のように。こてり、と首を横へ傾げた姉さんの動きに合わせるように煌めく金の糸も揺れて、動いた。
姉さんの言葉に私の隣に腰掛けているバムの身体が僅か……ほんの僅か強張った。私に分かる程度、微かに。どこか虚ろを写している彼の瞳。そんな彼の手の上に私は自分の手を重ねたの。唇と、眦にゆるい弧を引いて。
大丈夫。そう言葉を紡ぐ代わりに。
「私の事。私達の事。私が姉さんにアルファとメガを預けてまで犯した罪の事。私が犯した赦されない罪の事。姉さんには……知っておいてもらいたいから」
ごうごうと紅蓮の炎が私の肉と骨を焼いた。……そんな感覚が薬を飲んだ直後私を襲った。そして、激しい痛みと熱が去った後、私に残されたのは虚無。虚ろ。寄る岸辺もない底のない……孤独な深淵。
そこには復讐心も憎しみも何もない。ただ一人、私は無を漂っていた。
私は……私は愛に病んでいた。
「……今の話は……」
「全部実際にあった本当の話。代償もある。やっとね起き上がれるようになったの。姉さん……私は愛に病んでいた。愛に血を流させた」
口火を切ってからもうどれぐらいの時間が経っただろうか。部屋に差し込む光の色はいつの間にか薄い白から深い夕間暮れの色へと変わり、時計の針が差す文字盤の位置もだいぶ進んでいる。
「姉さん。私、姉さんたちをおいていこうとした。姉さんやアルファやメガや、アンジェリカ……何よりこの人を傷付けた。これは私の罪。私が蒔いたの。悪い茨の種を。そして芽吹かせてしまった」
そう、私は全てわかった上で、それでも卑劣な手段を選んだ。
愛を武器に愛を傷付けた。自分のエゴの為に。
「私、姉さんが好きよ。姉さんは私の本当の姉さんじゃないけれど本当の姉さんだと思ってる。だから私は姉さんに謝らないといけないの」
私は……私が姉さんにとって大事な人間だと知っていながら、それでも姉さんをおいていったから。
「姉さん……ごめんなさい。私は……私は姉さんの大事な人間なのに自分の命を使ってしまった。それをしたら姉さんが悲しむと知っていながら命を投げ出した。今、姉さん苦しんでるよね?分かるよ。だって、姉さんは優しい人だから。他の皆は知らなくても私は知ってる。姉さんは人の痛みが分かる人だもの。きっと今、姉さんは後悔してる。私をあの日止めなかったことを。自分が止めていれば、って。違う?」
「ああ……ハル……私は……私は!!」
姉さんの声が震える。真新しい染みがいくつもいくつも……テーブルの上に生まれていた。腰掛けていたソファーから腰を浮かせ、酷く小さな姉さんの肩を抱きしめる。
「だからね、姉さんに言いに来たの。もう姉さんが後悔しないように。姉さん……自分を守る為には相手に嫌われる事になろうとも強い言葉も時には必要よ。あなたが愛する人があなたを傷付けないとも限らない。私が姉さんをこうして傷付けてしまったように。私の独り善がりのエゴがあなたを傷付けてしまったように」
ああ……この人はやっぱり私の姉さんだ。市中の人達が言うような残酷な人じゃ、ない。変わらない。二人でおままごとの式をした時と……私とこの人が姉妹になったあの人。
嗚咽交じりの声が……黄昏を滲ませていた。
「……もう行くの?」
「うん。アルファとメガずーーーっと預けっぱなしだったでしょ?それにこの屋敷……」
「それに……?」
「ううん。なんでもないわ。でも一つ聞いていいかな?」
散りばめられた銀の星屑たちが夜の帳を彩り瞬いていた。昼間沢山はしゃいで遊び疲れてしまったらしいアルファとメガを先に馬車の中で寝かせて、改めてバムと二人姉さんと向かい合う。
「あんな鏡、この屋敷にあった?昔はなかったよね?」
「かがみ……?ああ……いいでしょう?古い古い異国の品物らしいの。ハルも気に入ったの?」
「……そういうわけじゃ、ないんだけど……ちょっと気になって……」
「そう……。ねえ、ハル。私からも一つ聞いていいかしら?」
「なあに?姉さん?」
「ハル……あなたにとって……ノイモーント卿は……どんな存在?」
健やかなるときも病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命がある限り、真心を尽くす事を誓いますか?
『ねえ、ハル。ハルは将来どんな人と結婚したい?私はね、私は優しい人がいいな』
『うーんとねえ……私はねえ~……』
誓いの言葉が脳裏を過る。瞳を瞬間伏せて、私は腕を……指を絡めた。バムの指と。
「彼はね……私が幸せにしてあげたいと思う人よ」
『私は……私が幸せにしてあげたいって思える人がいいな!』
≪ハルモニア・コンコルディア≫
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命がある限り、真心を尽くす事を誓いますか?
「ハル……?ハル……なの……ハルモニア……ああ、ハルモニア……」
「うん。ミルファス姉さん。私だよ、ハルだよ」
そっと扉を押し明けた。先達の侍女たちが現れるよりも早く現われ、そしてそのまま文字通り私の体に抱き付く姉さんの体を両手を広げて受け止める。ポツリ……と、私の肩の上に屋敷の中にも関わらず雨が降っていた。
「……姉さん、痩せちゃったね。ちゃんと寝てるの?」
「ハル……ハル……あなた……今まで……どこへ……どこを探しても……あなたを見つけることが私……できなくて……それどころか……あなたは死んだって聞いてしまって……そんなの嘘だって思っても……あなたはどこにもいなくて……」
「……姉さん。大丈夫。私、ここにいる。大丈夫。私、温かいでしょ?大丈夫。姉さん、今日は姉さんに話したい事があって来たの。あっ、勿論姉さんに預けた二人のお迎えにも、ね。だから今日は、私の大切な人も一緒に連れて来た」
「……たいせつな……ひと……?」
瞳が自然な弧を描く。大粒の涙を私とは真逆の色をした瞳に湛えてー……そのまま呆けた様に私が紡いだ言葉の一文を鸚鵡返しに繰り返す姉さんの濡れた頬を片手でそっと撫でた。
私の大切な人の姿を写した姉さんの瞳が大きく縦に見開いて行く。また一つ大きな雫が溢れて、落ちた。
「ノイモーント卿……」
姉さんの部屋の壁に掛けられた時計が時を刻んでいた。あの時ー……私がこの屋敷によく出入りした頃と変わらずに寸分狂わずに。
「その人形……あの時の……ずっと飾ってたんだね、姉さん」
古びた品のある時計の下に揃いで置かれた懐かしい人形。着ている白い服は少し日と時に褪せてしまったけれど見間違えるはずもない。だって、私はこの人形でよく遊んでいたんだもの。姉さんと二人で。子供の頃の話だけど、今でもありありと思い出せる。記憶の引出しから引き出すのは造作もなかった。
「ああ……どうしても捨てる事ができなくて……この年でって思うでしょ?でも、この人形は私とハルの思い出だから……」
姉さんの整った薄い唇から一つ息が小さく漏れる。優しく遠くを見つめる姉さんの視線に、姉さんも今、私と同じ場所、時に帰っているのだという事が分かった。私と姉さんがハルモニアとミルファスから妹と姉になったあの日を私が見ているように姉さんの記憶も過去へと駆けていく。優しい過去へと。
「それで……二人の話というのは……」
姉さんの髪が部屋に差し込んだ陽光を受けて淡く煌めき、輝く。金の糸のように。こてり、と首を横へ傾げた姉さんの動きに合わせるように煌めく金の糸も揺れて、動いた。
姉さんの言葉に私の隣に腰掛けているバムの身体が僅か……ほんの僅か強張った。私に分かる程度、微かに。どこか虚ろを写している彼の瞳。そんな彼の手の上に私は自分の手を重ねたの。唇と、眦にゆるい弧を引いて。
大丈夫。そう言葉を紡ぐ代わりに。
「私の事。私達の事。私が姉さんにアルファとメガを預けてまで犯した罪の事。私が犯した赦されない罪の事。姉さんには……知っておいてもらいたいから」
ごうごうと紅蓮の炎が私の肉と骨を焼いた。……そんな感覚が薬を飲んだ直後私を襲った。そして、激しい痛みと熱が去った後、私に残されたのは虚無。虚ろ。寄る岸辺もない底のない……孤独な深淵。
そこには復讐心も憎しみも何もない。ただ一人、私は無を漂っていた。
私は……私は愛に病んでいた。
「……今の話は……」
「全部実際にあった本当の話。代償もある。やっとね起き上がれるようになったの。姉さん……私は愛に病んでいた。愛に血を流させた」
口火を切ってからもうどれぐらいの時間が経っただろうか。部屋に差し込む光の色はいつの間にか薄い白から深い夕間暮れの色へと変わり、時計の針が差す文字盤の位置もだいぶ進んでいる。
「姉さん。私、姉さんたちをおいていこうとした。姉さんやアルファやメガや、アンジェリカ……何よりこの人を傷付けた。これは私の罪。私が蒔いたの。悪い茨の種を。そして芽吹かせてしまった」
そう、私は全てわかった上で、それでも卑劣な手段を選んだ。
愛を武器に愛を傷付けた。自分のエゴの為に。
「私、姉さんが好きよ。姉さんは私の本当の姉さんじゃないけれど本当の姉さんだと思ってる。だから私は姉さんに謝らないといけないの」
私は……私が姉さんにとって大事な人間だと知っていながら、それでも姉さんをおいていったから。
「姉さん……ごめんなさい。私は……私は姉さんの大事な人間なのに自分の命を使ってしまった。それをしたら姉さんが悲しむと知っていながら命を投げ出した。今、姉さん苦しんでるよね?分かるよ。だって、姉さんは優しい人だから。他の皆は知らなくても私は知ってる。姉さんは人の痛みが分かる人だもの。きっと今、姉さんは後悔してる。私をあの日止めなかったことを。自分が止めていれば、って。違う?」
「ああ……ハル……私は……私は!!」
姉さんの声が震える。真新しい染みがいくつもいくつも……テーブルの上に生まれていた。腰掛けていたソファーから腰を浮かせ、酷く小さな姉さんの肩を抱きしめる。
「だからね、姉さんに言いに来たの。もう姉さんが後悔しないように。姉さん……自分を守る為には相手に嫌われる事になろうとも強い言葉も時には必要よ。あなたが愛する人があなたを傷付けないとも限らない。私が姉さんをこうして傷付けてしまったように。私の独り善がりのエゴがあなたを傷付けてしまったように」
ああ……この人はやっぱり私の姉さんだ。市中の人達が言うような残酷な人じゃ、ない。変わらない。二人でおままごとの式をした時と……私とこの人が姉妹になったあの人。
嗚咽交じりの声が……黄昏を滲ませていた。
「……もう行くの?」
「うん。アルファとメガずーーーっと預けっぱなしだったでしょ?それにこの屋敷……」
「それに……?」
「ううん。なんでもないわ。でも一つ聞いていいかな?」
散りばめられた銀の星屑たちが夜の帳を彩り瞬いていた。昼間沢山はしゃいで遊び疲れてしまったらしいアルファとメガを先に馬車の中で寝かせて、改めてバムと二人姉さんと向かい合う。
「あんな鏡、この屋敷にあった?昔はなかったよね?」
「かがみ……?ああ……いいでしょう?古い古い異国の品物らしいの。ハルも気に入ったの?」
「……そういうわけじゃ、ないんだけど……ちょっと気になって……」
「そう……。ねえ、ハル。私からも一つ聞いていいかしら?」
「なあに?姉さん?」
「ハル……あなたにとって……ノイモーント卿は……どんな存在?」
健やかなるときも病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命がある限り、真心を尽くす事を誓いますか?
『ねえ、ハル。ハルは将来どんな人と結婚したい?私はね、私は優しい人がいいな』
『うーんとねえ……私はねえ~……』
誓いの言葉が脳裏を過る。瞳を瞬間伏せて、私は腕を……指を絡めた。バムの指と。
「彼はね……私が幸せにしてあげたいと思う人よ」
『私は……私が幸せにしてあげたいって思える人がいいな!』
≪ハルモニア・コンコルディア≫
