第2節 仮面舞踏会
汚れた霊は人から見ると、砂漠を歩き回って休息の場を探すが見つからない。
そこで、『出て来た家に戻ろう』と言う。ところが戻ってみるとそこは空き家になっていて、掃き清められ、整頓されている。
そこで出掛けて、自分よりも悪い他の七つの霊を連れて来て、中に入り込み、そこに住み着く。
こうして、遂にはその人の状態は初めよりも酷くなる。悪い子この時代も同様である。
【マタイによる福音書 第12章】
「静けき~この夜~星は~ひ~かり~……ねえ、サンソン」
「どうされましたか、セティお嬢様?」
蒼い冬の月の光が窓からするりと入り込む。僅かに降り積もった外の純白の綿雪に反射して、雪により清められた光が聖なる夜を彩っている。
自分が仕えている小さな主人が自分の名を呼ぶ声に手を止め、声がする方へと視線を向ければ、そこには満面の笑みを浮かべて小さな腕を大きく広げながら「抱っこー」とせがむ主人がいた。思わず一つ零れた息を追う様に僅かな笑みが自分の口元に浮かぶ。
「ツリーの一番上の星、ですね」
「うん……!セティの背だと届かないのーだから抱っこ~」
小さな紅葉の様な手にベツレヘムの星を持ち、早く早くと待ち望む少女の頭に一度触れて小さな体を持ち上げた。小さく、あたたかな体を抱き抱え、ツリーの一番上へと導いて。
「落ちないように気を付けて下さいね、お嬢様」
「大丈夫だよーだって、セティ、サンソンに抱っこしてもらってるから~」
色とりどりのモールやリボン、釣り下げられたアイシングクッキー、雪を模した綿を乗せたモミの木の上に星が輝く。救いの御子が誕生したその日、天球で輝いていたと伝えられるベツレヘムの星がツリーの上に上った。
「できたーねえ、サンソン……セティが飾った星変じゃないかな?曲がってないかな?」
「ええ、曲がってもいませんし変でもありませんよ、お嬢様。さあ、そろそろケーキの生地が冷えた頃だと思いますが……」
自分の腕の中にいる主人の顔が「ケーキ」という言葉によって再び輝きを増していく。「飾り付け!セティ、飾り付けをお手伝いしたい」とパタパタ、空で楽し気に前後に足を揺らしている少女の白い頬に空いている手で触れて歩を進めた。焼いたケーキの最後の仕上げを二人で行う、その為に。
柔らかで、優しい香りが台所を包んでいた。勿論、冷やしていたケーキの匂いではない。この匂いは今仕込んでいるポトフが煮える匂いだ。白く、細く立ち上った優しい蒸気が部屋をあたためる。
「うーーん……うまくクリーム塗れないよ~……」
「……苦戦されていますね」
「ううん……あのね、真っ直ぐ綺麗になりますようにってお願いしながらクリームを塗っているのにセティ上手くできないの……」
桜色をした唇を尖らせて少々不満気に言葉を紡ぐその様子に自分の口からまた一つ、笑みが落ちた。「サンソン……?」と可愛らしく首を横に倒し傾げた主人の鼻の頭に付いたチョコクリームを自分の指先で拭って。ポカンとした彼女の表情に笑みが更に深いものへ変わっていくのが自分でもよく分かった。
「お鼻ではクリームは食べられませんよ?……それにこのケーキは少しクリームがぼこぼこになったとしても問題はありませんから。はい、お嬢様、では次はこちらをお持ちください」
「……フォーク?もうケーキ食べちゃうの??」
「違いますよ。フォークでケーキに模様を付けるんです。ケーキは食事の後ですよ」
「……あのね、サンソン、お野菜は……」
「安心して下さい。今日は野菜が入ったポトフとキャロットグラッセを沢山用意しましたから」
案の定主人の口から漏れた抗議の言葉に口から漏れ出そうになった笑い声を噛み殺して、彼女の持つクリームナイフを受け取りその代わりにフォークを握らせた。彼女の後ろに立ち手習いで文字を教える時と同じ要領で彼女の手に自分の手を重ね導く様にクリームの上にフォークを滑らせて。フォークが引く線が増えるごとに輝く主人の幼い横顔を一番近くで見つめながら。
「あ~丸太だ~!サンソン、このケーキ木のケーキなの?」
「ええ、そうですよ。異国で食べられているクリスマスの丸太です。そして、仕上げに砂糖の雪を降らせれば……」
少女が塗った木の幹に甘い砂糖の雪が降る。確かに慣れない子供の手で塗られた木の幹には凹凸が目立つが逆にそれが木の節や洞のようにも見える。洗練されたものではないが味わいのある木が白い陶器の皿の上に砂糖の雪化粧を纏い横たわっていた。
「さあ、完成です。では、料理を食べましょうか。チキンも、パンも用意してありますよ」
「……うん!」
親密な時間が流れていた。豪華な贅を尽した料理も煌びやかで絢爛な調度品もこの家には今では数えるほどしかない。例年通りマスカレイドが開かれている大聖堂の賑やかな喧騒もここからは遠い。だが、穏やかで、何ものにも代えられない時が、あった。
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「ねえ、サンソン……今日、サンタさん……来てくれる、かな……」
「どうでしょうか?セティお嬢様がいい子でいらっしゃればあるいは……眠いですか、お嬢様?」
赤々と燃える木の薪がパキリ、と乾いた音を立て灰を僅かに舞わせる。自分の横に腰掛け緩やかに櫂を漕ぎ出した小さな主人の問いに答えて、夢と現を繋ぐ橋の上で惑う彼女の身体を横抱きに抱き抱え音を立てず静かに扉を押した。
雪の覆われた静かな夜は余計に音が響く・穏やかに夢の国へと旅立とうとしている彼女の旅路を無粋な音を立てる事で邪魔したくはなかった。
「ほんと……?セティ……いいこに……してる、から……」
「そうですね。セティお嬢様は素敵な女性です。だから、安心してお休みください。私も傍にいますから」
降りしきる、天から落ちて地に満ちる。白い六花の花びらが御子の誕生と、太陽と昼の再生を祝う様に窓の外で踊っていた。
「サンタさん……お願いした……の……サンソンの……願い……かなえて……」
するり、と小さな身体から力が抜けた。緩やかに胸を上下させ寝息を立て始めた主人の頬に手を添わせ、息を飲んだ。
「そのプレゼントをサンタから貰う事は出来ないな」
何故なら、もう自分は願いを叶えている。既に手にしているものをプレゼントとして持ってくる事をサンタはしないだろう。
「いい夢を……セティ……」
降りしきる、天から落ちて地に満ちる。不浄を浄化する蒼い聖夜の光が。
幼い主人の、何より愛おしい主人の閉じられた目蓋に音なく口付けを一つ落とした。不浄な自分が触れた痕も、今夜ばかりは浄化の光が清めてくれると、そう、信じて。
穏やかで親密なこの時間は夢でも幻でもなく……紛れもない、現。
≪サンソン≫
