第10章 変化・第11章 家族


愛に偽りがあってはなりません。悪を忌み嫌い、善から離れてはなりません。互いに姉弟愛を持って心から愛し、競って尊敬し合いなさい。熱心で怠らず、心を燃やし、主に仕え、希望を持って喜び、苦難を耐え忍び、弛まず祈りに励みなさい。

聖なる人々の貧しさを自分のものと考えて力を貸し、手厚く人をもてなしなさい。

あなたを迫害する者の上に祝福を願いなさい。祝福を願うのであって呪いを求めてはなりません。喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々の仲間になりなさい。

自分は賢い者だと自惚れてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、全ての人の前で善い事を行うように心掛けなさい。

出来る事なら、あなた方の力の及ぶ限り、全ての人と平和に暮らしなさい。

愛する皆さん、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「主は仰せになる、『復讐は私のする事、私が報復する』」と書かれているからです。

しかし、次のようにも書かれています。「敵が飢えているなら食べさせよ、渇いているなら飲ませよ。そのようにする事で、あなたは敵の頭に燃える炭火を積むからである」

悪に負けてはなりません。むしろ善を持って悪に勝ちなさい。


【ローマの人々への手紙 第12章】






私は冬が好きです。

痛いくらい、はち切れんばかりに張り詰めた糸のような朝の空気、足元からしんしんと這い上り体温を奪っていく冷気が好きだった。ふう、と一つ息を吐き出せば、体内で燃えている命の灯火の煙が漏れ出して、吐き出した傍から天へと向かい昇っていく。

世界と私と、恥ずかしげもなく、あまりにあからさまに命のやり取りをしていた。

世界の全てが冬の間に降り積もった雪の白さとまだ夜明けが遠い空の黒とで二分していた。モノトーンに単純化されて、限界まで切り詰められていく。

冬が、好きだった。

命が自分の中でまだ燃えているとありありと私に感じさせてくれるから。

……本当にそうかしら?刹那、深淵から湧く問いにゆるり、瞼を降ろす。それは真逆ではないかしら?と、私の声が私に問い掛けていた。

それは秘められた死への憧憬ではないかしら?無機質に還りたいという切なる願望ではないかしら?と。

その問いに少しだけ首を傾げ、私は瞼を緩慢な動作で持ち上げた。私からの問いに戸惑ったように微笑んで。

実際のところ私は……降りしきる雪の中ならどこまでも歩いて行ける。そう思うのです。足跡も残さず、跡形もなく消えてしまえる。そんな風に心の奥底で感じているのです。もうずっと……ずっと以前から。

夜明け前の雪原が蒼い光を受けて染まっていく。一面の白が蒼き清浄な光によって清められてー……その蒼の光の先へ行ったなら、向こう側へ行ったならー……そうしたら、会えるでしょうか?懐かしい人達に。儚くなれば、会えますか?


「り、ふ……?」


昨夜降り積もったばかりの真新しい雪へ一歩足を踏み出した、はずだった。先程まで見えていた蒼い光が私の視界から消えて一面、黒に覆われる。一歩踏み出したはずの足は実際には動かずぴたりと揃って、先程と変わらない位置にあった。


「こんなところにいたのか。……部屋にいないはずだ」


「雪を、見ていました」


「雪?こんなに体を冷やしてか?裸足のままでか?氷みたいじゃないか」


「夜明け前ですから。寒いのは当然です。私、冬が好きですわ。命の灯火を感じられるから。私、好きですわ。蒼い月が隠す朝焼けの光が」


頭から被せられた厚手のコートから顔を出し、そして背を伸ばしてコートを本来の持ち主へと返した。私の体には大き過ぎるコートを彼の肩へ掛けて、一歩、彼と自分との距離を詰める。彼の左胸に片耳を押し当ててそのまま目を瞑り、言葉を紡いで。

冬が、好きです。

緊張がどんどん薄れていく。世界が緩やかに弛緩していく。彼の、リーフの体温で。ゆるやかに溶けていく……解けて、崩れていく。

この人の体温が私から冷気を遠ざけていた。私見た冷たい憧憬が……瓦解していく。


「リーフ」


「……なんだ」


「もう少しこのまま。あなたの傍にいてもいいでしょうか?あなたの腕の中にいても、いいでしょうか?」


彼からの返事はない。けれど、大きな手が、その答え。何度もなんども……まだ結い上げていない私の髪をあやすように梳いてくれるこの人の大きな手が。


「リーフ」


「……」


「私、あなたの手が……好き、です」


体温が朝焼けを隠していた。






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「お昼前には起こしますから寝てください、リーフ」


「……そうするが、毎度膝枕をしなくても俺は寝れるぞ」


朝早くくべた薪が火に爆ぜる。僅かに音を立ててみすぼらしい灰へ姿を変えていくそれを、瞬間見つめ、そしてすぐに彼へと向き直った。

ぽんぽんと合図するように自分の膝を数度叩けば、何を言っても無駄だと観念したのだろう。彼の口から細く長い息が一つ、零れて落ちる。


「……あんたがそう言うなら。重かったら起こしてくれてもいいし床にでも落としてくれ」


「ええ。心配しなくても私はここにいますわ。だから、安心してください、リーフ」


彼の頭を自分の膝の上に導いて、瞼で隠された翡翠の双眸を覆うように自分の手を重ねた。彼が浅い眠りの途中で起きないように眠りのまじないを彼に分からないように呟いて。

彼の強張った体から徐々に力が抜けていく。浅く早い寝息から深く遅い寝息へ変わっていく。すっかり弛緩した彼の腕。その腕の先にある手と自分の手とを絡めた。重ねる、ではなく一本一本、離れないように指を交えて、絡めて。


「……弱い主人で、ごめんなさい。あなたを解放してあげたいのに……」


矛盾していると、自分でも分かっていたの。


敵が飢えているなら食べさせよ、渇いているなら飲ませよ。そのようにする事で、あなたは敵の頭に燃える炭火を積むからである。


『……起きたのか。傷口が痛むだろう。安静にしておけ』


『あっ……ああっ……ああああっ……あっちにいって……いかない、行かないで……いや……いやよ……なんで、どうしてですか?どうしてそんな酷い事……が……どうして……いや、いかな……いかないで下さい。怖い……いや、触れないで……一人に、一人にしないで……リーフ……リーフ……いかないで……下さい』


《タチアナ・トビアス》
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