第2節 仮面舞踏会
さて、救いの御子がヘロデ王の時代にベツレヘムでお生まれになった時、東方の賢者達が王都に来て尋ねた。
「お生まれになった王はどこにおられますか。私達はその方の星が昇るのを見たので、拝みに来ました」
これを聞いた王は狼狽えた。王都の人々もみな同じであった。
王は祭司長や民の律法学者達全て集めて救世主はどこに生まれるのかと問いただした。
彼らは答えた。
「ベツレヘムです。預言者が次のように書き記しています。『ベツレヘムよ、お前は氏族の中で決して小さなものではない。お前から一人の統治者が出て私の民を牧するからである』」
そこで、王は密かに賢者達を呼び寄せて、星が現われた時期を確かめた。そして、彼らをベツレヘムに送り出すにあたって言った。
「行って、その幼子を丹念に探し、見つけたら、私に知らせてくれ。私も拝みに行きたいから」
王の言葉を聞いて、彼らは出掛けた。すると、彼らがかつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、幼子のいる場所まで来て止まった。
彼らはその星を見て、非常に喜んだ。家の中に入ってみると、幼子が聖母と共におられた。彼らは平伏して幼子を礼拝した。
そして、宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として奉げた。
その後、夢の中で王の元に戻らないようにとお告げを受けたので、他の道を通って自分達の国へ帰って行った。
【マタイによる福音書 第1章】
冬は嫌いだ。嫌な事があったから……ではない。あれが起きたのは7月17日ー……真夏の夜の悪夢だったから。
では、何故?答えは単純明快。冬は楽しい思い出が多過ぎるから。
痛いくらい張り詰めた冬の朝の空気がヒリヒリと剥き出しになっている肌を突き刺す。革のブーツをすり抜け足元からしんしんと這い上って来る冷気、自分の体の中で燃える命の炎をひしひしと、そしてありありと感じさせられてしまう。
吐き出した先から白い蒸気となった息が日の光の中で、大気を舞う氷の粒と混ざり煌めいていた。
このまま魅入られてしまったら、さあ、はたして私はどうなってしまうのだろう。柄にもなくそんな事を思った。
今しがた吐き出した息の様に大気と混ざり霧散していくのだろうか。それとも昨夜降った雪の様に凍てついた大地の上に落ちて静かに横たわるのだろうか。そして、春には流れてー……循環して……
どこへ?そして誰の元へ?
そこまで考えてふるり、と一度首を横へ振った。馬鹿げている。やはり、柄でもない。
悴み赤くなり始めた指先に息を吹きかけ手を数度握り、開いた。早くしないとサボっていたと司祭連中に睨まれてしまう。……いや、まあ、実際今の今までサボっていたのだが。現に私と一緒の仕事をしていた他の修道女達は自分の分を終らせて次の場所へとさっさと移動してしまっている。薄情者め。
自分が逆の立場だったら?勿論、自分の分が終わったら手伝わずに戻るわ。だって、仕事量は均等に分配されているもの。自分の分をやらない人が悪いのよ。
「お前は……姿が見えないと思って探してみれば……まだこんなところの掃除をしていたのか。他の皆は今夜の支度を始めたぞ」
カテドラルの鐘が大きく前後に揺れ動く。見るともなしに見上げればそんな光景と共に、カテドラルから白い法衣の裾を翻し現われた一人の聖職者の姿が視界の端に映った。白が青に映える。
「今日は御子の生誕祭だ。例年通りミサが行われると同時にサロンを兼ねたマスカレイドが開かれるのはお前も知っているだろう?準備をしなくてもいいのか?」
呆れたような仕草で溜息を一つ吐き出し唇を動かす今の私の保護者のその様子にパチリ、と目蓋を瞬かせた。他に誰もいないから間違いなく私に向って何かを言っているという事は分かるのだが、生憎私は聾唖(ろうあ)だ。さて、どうすればいいだろうか……今はペンも紙も持ち合わせていない。ああ……そうだわ……
「ん……なんだ箒で文字なんかー……『これで今何を言ったか雪の上に書いて』……そういうことか……」
彼の瞳が私が書いたばかりの雪文字をなぞるように動いていく。合点がいったのだろう。頷き手を差し出した彼に今まで自分が握っていた箒の柄を手渡した。……うん。手の平に描くよりこっちの方が分かりやすいわよね。
……少し、残念、だけど。
瞬間、瞳が盾に開いた気がした。刹那、湧いた気持ちに頭を振る。いやいや……今何を考えたの?私?
++++++++++++++++++
「はあ……やってらんねー」
「まめ~豆は行かないのか~カテドラルの仮面舞踏会」
「……お前今年のくじ引きの結果知ってるよな?なっ?それで言ってんだろ?喧嘩なら買うぞオラァ!!」
ギルドの少々立て付けの悪くなった窓の隙間からひゅるり、と一陣冷気を帯びた風が吹き込む。冷気の腕に撫でられた背が粟立ち大きく震えた。赤々と燃える暖炉にくべた薪がパキリ、と乾いた声で鳴き、僅かに火の粉が舞っていた。
「すげーよな。酒も食べ物も食べ放題飲み放題。仮面付けてるから身分も何も分からない無礼講だ。衣装も貴族連中が慈善事業のいっかんとか言って庶民にも提供するし」
「で、俺みてーなくじ引きで負けた貧乏くじ野郎が騎士団の連中と一緒にわり食って警備係になる、と。あー……寒空の下ずっと棒立ちとか拷問かよ……」
「ご愁傷さま。んじゃ、俺行ってくるわ。今夜こそ彼女を見つけてだな」
「まったぁあああく心のこもってない言葉ありがとよーふられっちまえ。フラれて来い」
パキリ、パキリ……火の粉が舞う。欠伸をする為に開けた口に入り込んだ灰はとてつもなく苦かった。
「仮面舞踏会ねえ……」
カテドラルの鐘が鳴る。時を告げる鐘だ。あと数刻もすれば宮廷楽士達がきらびやかな曲を演奏し出すだろう。
世界の全てが白と黒のモノトーンに単純化されるこの時期には不釣り合いなベツレヘムの星の輝きが王都を包み込む。
これはガス抜き、だった。御子の生誕を祝うという建前の元行われるガス抜きだ。
一晩、きらびやかな世界の中で過ごす事で下層階級の者達は一時的に留飲を下げる事が出来るし、貴族連中も施しという行為を通じて仮初の善意に酔う事が出来る。あるいは支配するという自分の立ち位置を改めて確認し優越感に浸る者もいるかもしれない。そして、経済は回る。政府としても願ったりかなったりだろう。
「全く……うまく噛み合うもんだ」
不純な動機だらけの催し物だ。だが、嫌悪感は湧かない。何故か?考えてもみろ誰が不幸になっている?誰一人としてなっていないじゃないか。
感情?動機?んなもんどーだっていい。結果が全て、だ。
「”食べ、飲め、そして陽気になろう。今は飲む時だ。今は気ままに踊る時だ。我々は明日、死ぬのだから”、ってか?」
大きく伸びをし凝り固まっていた筋肉を解す。警備の俺でも今夜ばかりはいつもより豪華な食事にありつけるかもしれないしな。
「まあ、十中八九、宴の残りもんだろうけどなあ」
≪ヘレン・トビアス/天青≫
「お生まれになった王はどこにおられますか。私達はその方の星が昇るのを見たので、拝みに来ました」
これを聞いた王は狼狽えた。王都の人々もみな同じであった。
王は祭司長や民の律法学者達全て集めて救世主はどこに生まれるのかと問いただした。
彼らは答えた。
「ベツレヘムです。預言者が次のように書き記しています。『ベツレヘムよ、お前は氏族の中で決して小さなものではない。お前から一人の統治者が出て私の民を牧するからである』」
そこで、王は密かに賢者達を呼び寄せて、星が現われた時期を確かめた。そして、彼らをベツレヘムに送り出すにあたって言った。
「行って、その幼子を丹念に探し、見つけたら、私に知らせてくれ。私も拝みに行きたいから」
王の言葉を聞いて、彼らは出掛けた。すると、彼らがかつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、幼子のいる場所まで来て止まった。
彼らはその星を見て、非常に喜んだ。家の中に入ってみると、幼子が聖母と共におられた。彼らは平伏して幼子を礼拝した。
そして、宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として奉げた。
その後、夢の中で王の元に戻らないようにとお告げを受けたので、他の道を通って自分達の国へ帰って行った。
【マタイによる福音書 第1章】
冬は嫌いだ。嫌な事があったから……ではない。あれが起きたのは7月17日ー……真夏の夜の悪夢だったから。
では、何故?答えは単純明快。冬は楽しい思い出が多過ぎるから。
痛いくらい張り詰めた冬の朝の空気がヒリヒリと剥き出しになっている肌を突き刺す。革のブーツをすり抜け足元からしんしんと這い上って来る冷気、自分の体の中で燃える命の炎をひしひしと、そしてありありと感じさせられてしまう。
吐き出した先から白い蒸気となった息が日の光の中で、大気を舞う氷の粒と混ざり煌めいていた。
このまま魅入られてしまったら、さあ、はたして私はどうなってしまうのだろう。柄にもなくそんな事を思った。
今しがた吐き出した息の様に大気と混ざり霧散していくのだろうか。それとも昨夜降った雪の様に凍てついた大地の上に落ちて静かに横たわるのだろうか。そして、春には流れてー……循環して……
どこへ?そして誰の元へ?
そこまで考えてふるり、と一度首を横へ振った。馬鹿げている。やはり、柄でもない。
悴み赤くなり始めた指先に息を吹きかけ手を数度握り、開いた。早くしないとサボっていたと司祭連中に睨まれてしまう。……いや、まあ、実際今の今までサボっていたのだが。現に私と一緒の仕事をしていた他の修道女達は自分の分を終らせて次の場所へとさっさと移動してしまっている。薄情者め。
自分が逆の立場だったら?勿論、自分の分が終わったら手伝わずに戻るわ。だって、仕事量は均等に分配されているもの。自分の分をやらない人が悪いのよ。
「お前は……姿が見えないと思って探してみれば……まだこんなところの掃除をしていたのか。他の皆は今夜の支度を始めたぞ」
カテドラルの鐘が大きく前後に揺れ動く。見るともなしに見上げればそんな光景と共に、カテドラルから白い法衣の裾を翻し現われた一人の聖職者の姿が視界の端に映った。白が青に映える。
「今日は御子の生誕祭だ。例年通りミサが行われると同時にサロンを兼ねたマスカレイドが開かれるのはお前も知っているだろう?準備をしなくてもいいのか?」
呆れたような仕草で溜息を一つ吐き出し唇を動かす今の私の保護者のその様子にパチリ、と目蓋を瞬かせた。他に誰もいないから間違いなく私に向って何かを言っているという事は分かるのだが、生憎私は聾唖(ろうあ)だ。さて、どうすればいいだろうか……今はペンも紙も持ち合わせていない。ああ……そうだわ……
「ん……なんだ箒で文字なんかー……『これで今何を言ったか雪の上に書いて』……そういうことか……」
彼の瞳が私が書いたばかりの雪文字をなぞるように動いていく。合点がいったのだろう。頷き手を差し出した彼に今まで自分が握っていた箒の柄を手渡した。……うん。手の平に描くよりこっちの方が分かりやすいわよね。
……少し、残念、だけど。
瞬間、瞳が盾に開いた気がした。刹那、湧いた気持ちに頭を振る。いやいや……今何を考えたの?私?
++++++++++++++++++
「はあ……やってらんねー」
「まめ~豆は行かないのか~カテドラルの仮面舞踏会」
「……お前今年のくじ引きの結果知ってるよな?なっ?それで言ってんだろ?喧嘩なら買うぞオラァ!!」
ギルドの少々立て付けの悪くなった窓の隙間からひゅるり、と一陣冷気を帯びた風が吹き込む。冷気の腕に撫でられた背が粟立ち大きく震えた。赤々と燃える暖炉にくべた薪がパキリ、と乾いた声で鳴き、僅かに火の粉が舞っていた。
「すげーよな。酒も食べ物も食べ放題飲み放題。仮面付けてるから身分も何も分からない無礼講だ。衣装も貴族連中が慈善事業のいっかんとか言って庶民にも提供するし」
「で、俺みてーなくじ引きで負けた貧乏くじ野郎が騎士団の連中と一緒にわり食って警備係になる、と。あー……寒空の下ずっと棒立ちとか拷問かよ……」
「ご愁傷さま。んじゃ、俺行ってくるわ。今夜こそ彼女を見つけてだな」
「まったぁあああく心のこもってない言葉ありがとよーふられっちまえ。フラれて来い」
パキリ、パキリ……火の粉が舞う。欠伸をする為に開けた口に入り込んだ灰はとてつもなく苦かった。
「仮面舞踏会ねえ……」
カテドラルの鐘が鳴る。時を告げる鐘だ。あと数刻もすれば宮廷楽士達がきらびやかな曲を演奏し出すだろう。
世界の全てが白と黒のモノトーンに単純化されるこの時期には不釣り合いなベツレヘムの星の輝きが王都を包み込む。
これはガス抜き、だった。御子の生誕を祝うという建前の元行われるガス抜きだ。
一晩、きらびやかな世界の中で過ごす事で下層階級の者達は一時的に留飲を下げる事が出来るし、貴族連中も施しという行為を通じて仮初の善意に酔う事が出来る。あるいは支配するという自分の立ち位置を改めて確認し優越感に浸る者もいるかもしれない。そして、経済は回る。政府としても願ったりかなったりだろう。
「全く……うまく噛み合うもんだ」
不純な動機だらけの催し物だ。だが、嫌悪感は湧かない。何故か?考えてもみろ誰が不幸になっている?誰一人としてなっていないじゃないか。
感情?動機?んなもんどーだっていい。結果が全て、だ。
「”食べ、飲め、そして陽気になろう。今は飲む時だ。今は気ままに踊る時だ。我々は明日、死ぬのだから”、ってか?」
大きく伸びをし凝り固まっていた筋肉を解す。警備の俺でも今夜ばかりはいつもより豪華な食事にありつけるかもしれないしな。
「まあ、十中八九、宴の残りもんだろうけどなあ」
≪ヘレン・トビアス/天青≫
