第10章 変化・第11章 家族
もし御子と結ばれる事によって、それがあなた方にとって励ましとなり、また神に愛されている事が慰めとなり、あなた方に霊による交わりがあり、人に対する思いやりの心があるならどうか互いに同じ思いを抱き、同じ愛を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私を喜びで満たして下さい。
対抗意識を持ったり、見栄を張ったりせず、へりくだって互いの相手を自分より優れたものと思いなさい。
各々、自分の事だけでなく、他人の事にも目を向けなさい。
ですから、私の愛する人達、これまでいつもそうであったように、私が共にいる時だけでなく、共にいない今は尚更の事、従う者であって下さい。恐れ慄きながら自分の救いを力を尽くして達成しなさい。
あなた方のうちに働きかけてご自分の善しとするところを望ませ、実行に移させるのは神だからです。何事も、不平を言ったり理屈をこねたりしないで行いなさい。
あなた方が咎められることのない、潔白な者となり、歪み、捻じ曲がった世代にありながらも、非の打ち所のない神の子となる為です。そして、命の言葉を自分のものとする事によって人々の中でこの世の輝く星のように光り輝きます。
このことは私の誇りになります。無駄に骨を折ったのではない事になるからです。あなた方が信仰を持って奉げる奉仕の犠牲に、私の血を共に注ぐ事になったとしても、私達は喜びます。
あなた方一同と共に喜びます。同じようにあなた方も喜んでください。私と共に喜んでください。
【フィリピの人々への手紙 第2章】
「あっ……」
「これか?欲しいのは?」
午後の完全に間延びし弛緩した空気が落ち着いた雰囲気の店内を包み込んでいた。通りの向こう側で音楽を奏でている者がいるのだろう、開けられた窓から風と共に耳慣れない旋律の音が入り込む。
つま先をうんと立て、細い腕とピンと伸ばして最上段の棚に陳列された商品を取ろうと悪戦苦闘している女性に、女性の代わりにそれを取り受け渡せば、驚いたように自分を見上げる彼女と目が合った……ような気がした。
気がした。というのも自分からは果たしてそれが本当かどうかが分からないのだ。彼女の瞳はきつく巻かれた白い布に覆われ、その下に隠されている。
この時世だ。盲目は珍しくないとは言わないが見るのは初めてではない。にも拘らずやけに目を惹かれたのは彼女が身に着けている服がこの国のものではなく遠い異国の物だから……だろうか。まあ、店内の狭い通路を塞がれていたというのも大きいが……
「……?もしかして隣の商品だったか?」
「あっ……いいえ……これ、です……」
瞬間、沈黙が蟠った。一言言葉を紡いだ後、俯き口を硬く噤んでしまった彼女に再び尋ねれば、びくりと体を震わせ、氷解したように首を大きく左右に振り、消え入りそうな声で女は呟いた。……再び俯かれて固まってしまった。通れない。
「……すまないが、そこをどいてもらえると助かるんだが……」
「あっ、ああああああっ……す、すみません……どういたしましょう……!こうなったら土下座をすべきなのでしょうか……!あああああああ……!お茶が……!ここ、このお店しか緑茶は取り扱ってませんのに……!」
渡したばかりの見慣れぬ茶が入った袋がばさりと音を立てて床へと落ちる。木の床の上で派手に広がった紅茶とは違う緑色をした茶葉とオロオロと狼狽える女とを交互に見つめ、自然にこう、思った。
色々と大丈夫か、この女。と。
「す、すみません……落ちたものの片付けを手伝ってもらった上に駄目にした緑茶の代わりにこのようないい茶葉までいただいてしまって……」
「……いや、俺がお前を驚かせたのが原因だからな。詫びをしただけだ」
「ですが……」
「これ以上謝られると悪い事をしたようで居心地が悪い。もしお前が俺に悪い事をしたと思うなら素直にそれを受け取ってもらえた方が俺は嬉しい」
「は、はい……」
どちらが言い出したわけではなく店を共に出て、石畳の通りを並んで歩いていた。自分達が歩く真横を強い緑を纏った風が吹き抜けていく。盛夏は過ぎたが秋と呼ぶにはまだ早い。そんな風が傍らを通り、女の長い黒髪を靡かせてた。
「さっきは……」
「は、はい!」
「さっき落とした茶はお前の国でよく飲まれているものか?」
「はい……りょ……緑茶と申し……ます……」
「緑茶……紅茶とは色も匂いも違っていたから異国の物だとは思っていたが……悪かった。一つしか置いていなかったのにそれを駄目にしてしまった」
床にぶちまけた分の代金は彼女があの後支払っていたが……飲めるわけもない。明らかに気落ちしている彼女が少々……いやかなりいたたまれなく思えて自分が買った紅茶の半分を代わりに持たせたが……それは彼女が最初に買おうとしていた茶とは違うものだ。
「あっ……大丈夫です、わ……緑茶は確かに好きですが……この国のお茶も前々から飲んでみたいとは思っていたのです……ただ、その……自分一人では中々踏ん切りがつかなくて、自分一人では買えないでいて……えっと、あなたは……」
「モロクだ」
「モロク、さん……ですね……モロクさんはこの紅茶がお好きなんですか……?」
盛夏よりも高く澄んだ青から白い光が降り注ぐ。その光に僅かに緑の風が震えていた。
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「もう夕方……か……」
落日の血の色によく似た朱色が執務室の中に入り込み昼とは違う色で部屋の中を染め上げている。いつの間にか自分は睡魔に負けていたようだ。
まだ薄ぼんやりとする視界の外では山から吹き降りて来たのかハラリ、と白い雪が落日の中で徐々に濃くなる影と共に舞っていた。
ここは北方にほど近い土地に位置している。昨今の事態の深刻さは自分も理解しているつもりだ。だからこそかかる方策を取り、領地の国境付近の守りを固めて来たが……
間違った方策をしたとは思ってはいない。俺も自分の領民の不満を抑えることで精いっぱいだ。他の受け皿になってやる事はできない。が、あまりに不信の気持ちを抱いて狭量になり過ぎてはいないだろうか?と、そう思わなくもない。自分自身、人の痛みというものに疎いと自覚しているから尚の事。
深刻な事態に瀕しているからこそ思慮と人間味を持ち、落ち着いて事に当たらねばならないのではないだろうか……?と。
ぐるり、ぐるりと答えのでない問答を繰り返す頭に鈍い痛みが走り、眉間が疼いた。
施すのは簡単だ。問題はその後。恩恵を施しているうちは意のままになるだろうが……いや、それすらも……
長く、深い息が零れて落ちる。夢を見ていたせいだろうか?あの晩夏の午後に出会った名も知らず別れた彼女は今はどこにいるのだろうかと考える自分がいた。
「無事だといいが……あの女は今でも茶をぶちまけているんだろうか……?それとも自分の国へと帰っただろうか?……その方がいいかもしれないな」
執務室の戸が叩かれ数回鳴る。散漫になっていた意識をその音で取り戻し、姿勢を正しペンを握り直した。「入れ」という言葉と共に。
≪モロク・アモン≫
