第4章 革命


私は善い羊飼いである。善い羊飼いは羊の為に命を捨てる。

羊飼いではなく、羊が自分のものでない雇い人は狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。

すると、狼は羊を奪い、また追い散らす。

彼は雇い人であって、羊の事を心に掛けていないからである。

私は善い羊飼いであり、自分の羊を知っており、私の羊もまた私を知っている。

それは父が私を知っておられ、私も父を知っているのと同じである。

そして、私は羊の為に命を捨てる。

私にはこの囲いに入っていない他の羊もある。私は、その羊達をも導かなければならない。

彼らも私に声を聞き分ける。

こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる。

再びそれを得る為に、私は自分の命を捨てる。

それ故、父は私を愛して下さる。

誰も私から命を奪いはしない。

私が自分から命を捨てる。

私は自由に命を捨て、また、再び自由に命を得る力を有している。私はこの掟を父から受けた。


【ヨハネによる福音書 第10章】






路地の暗がりに一条光が差し込みその部分だけ影を払い薄める。けしていい匂いのする場所ではないが、それでも風の通り道になっているこの場所は吹き溜まりよりは空気が幾分澄んでいる場所だった。

ゲホリ、ごほりと咳払いに混ざりヒューと風が抜けていく。路地を抜けていく風、だけではない。もっと乾いた音が。苦しげな音が。壊れた笛の様な、ガラスを砂で引っ掻いたような音が微かに鼓膜を揺らしていた。


「大丈夫、か?」


焼けた赤れんがの壁に背を持たれ掛け大きく肩を上下させるその子の、自分よりもまだ大きな背中に手を添わせて言葉を紡いだ。答えは別に求めていない。だって、こいつの苦しそうな様子を見ていれば嫌でも分かってしまうから。

風邪を引いた時、よく母さんが俺やルナにしてくれるように母さんの真似をして、花の羽根に触れないように背中を擦った。効くかどうかは知らないけれど……母さんに背中を擦ってもらった時少し息が楽になった、そんな気がしたから。


「飲める、か?」


呼吸が浅く早いものから徐々に、徐々にではあるけれど深く長いものへと変わっていく。背中に添えた手を一度離して水稲の中の水を器に注いでまだ微かに震えているその子の手に持たせた。そう言えば、最初にこの子を助けた時は家まで走って戻って水を汲んで飲ませたっけ。

こくり、と細く白い喉が一度鳴り、ふるりと花の羽根が震え合わせる様に香りが散る。今日一番長い息を吐き出し、まだ青白い顔でそれでもにへらとした笑顔を俺に向けるその子の名前を呼んで、もう一度言葉を紡いだ。


「大丈夫か?」と。


「うん……ごめんね。休んだからだいぶ楽になったよ。……ごめんね、せっかく遊んでたのに……」


「いや、俺が悪かった。体丈夫じゃないの知ってるのに一人だけ先に行って置いていった、か、ら……」


「しょうがないよ、シャアン君、石好きだもんね。……でもそんなに石ばっかり気にしてるとシャアン君も石になっちゃう……げほ……」


「……その様子だとまだ、みたいだな」


もう一度背中を擦って隣に腰掛け手を握り締めた。今度は置いて行かないようにしっかり自分から繋いで。彼女と同じ様に背中をレンガに預けて空を上げれば高い建物の隙間から差し込んだ光が目に入って、少し眩しい。


「……ごめんね、シャアン君」


「慣れたから、別に。それに俺が見つけるって前にも約束したし」


重なった手、繋いだ手越しに震えが伝わって来る。ビクリ、と不意に強張り跳ねた手と視線の先に翻る色を見て察して「ああ」と小さく声を漏らした。「あれなら大丈夫だ」と、漏らした声の後に付け加えて。


「えっ、でも赤い旗の人達は……」


「武器を持って暴力を振るう、か?でも、それは騎士団だって同じだろう?……あの人達が誰の味方なのかは知らないけれど、少なくとも赤い旗を掲げた連中が貧民街で騒ぎを起こした事はないから。むしろ、教会の人間の方が危ないし……それにもっと危ない大人は沢山いる」


受け売りだった。もう数か月家に帰ってきていないアル兄ちゃんが帰って来なくなる前にそう言っていたし、実際この場所で危ないのは赤い旗の連中より人攫いや頭がおかしい貴族連中の方だからそれは本当なんだと思う。けど……


『革命というのは一種の麻薬のようなものだ。判断力を正義や大義と言った言葉によって麻痺させる。そして人は正義によって容易に陶酔できる。何故なら闘争は人の本質だからだ』


『社会とは釣合人形のようなものだ。釣合が取れている間は多少ふらついてもすぐに自力で元に戻ろうとし、実際戻れるが……均衡が一度でも崩れれば?そしてそこにはち切れんばかりに集まった力の行き先はー……さてどこだろうな?』


「……シャアン君……難しい顔してどうしたの?」


「なんでもない。……落ち着いたみたいだな。帰ろうか。赤い旗の連中は貧民街の人間に何もしてこないとは思うけれど夜になると人攫いが来るんだ、ここ」


レンガの隙間から差し込んでいた光が陰り消えていく。日が沈むまで時間があるから夜になるまではまだまだ猶予はあるけれど、空が少しだけ白み始めてる。日が傾き始めた証拠だった。危なくなる前に送っていかないと……

……父さんがなんでそんな事を言ったかは分からない。アル兄ちゃんが帰ってこなくなった理由がわからないのと、一緒で。

俺が子供じゃなければ、大人だったなら……分かったんだろうか。


『満足しているのは誰か、誰も満足などしていない』


≪シャアン・ナザレ≫
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