第3章 持たざる者は持てる者
私達に対して心を開いて下さい。私達は誰に害を加えた事がなく、誰をも破滅させたことがなく、誰をも騙した事がありません。
あなた方を咎める様に、こう言うのではありません。何故なら、前にも言ったように、あなた方は私達の心の中で生きていて、私達と生死を共にする様になっているからです。
私は、あなた方に対して全く打ち解けた思いでおり、あなた方を大いに誇りに感じています。
私は慰めに満たされており、どんな苦しみに遭ってでも、この上なく喜びに溢れているのです。
【コリントの人々への第二の手紙 第7章】
「カタリナ隊長……!隊長ってば!!本当に、本当に出陣するつもりなんですか!!?」
「昨晩の軍議で言っただろう。教皇府がそう決定を下した以上、我々が取れる行動は一つしかない。予定通り、明朝早く王都を出る」
朝と呼ぶには少しばかり強く、昼と呼ぶには少々頼りない陽光が天から降り注ぐ。石の回廊に光と影という相反する要素をもたらす空に浮かぶ宮を手の平越しに仰ぎながら振り返らずに彼女の問い掛けに答えを返した。
「でも……!今王都を離れるなんて……!」
「私の隊が離れても王都には大小様々な隊が存在しているではないか。私達を含めたいくつかの隊が都を離れたとしても支障は出ないだろう」
翳した手を降ろし振り返れば、やはり今の説明では納得しかねたのだろう……鋭い光を宿した一対の褐色の瞳が真っ直ぐ射貫く様に私を見据えている。不服、不満、疑念ー……それらが綯い交ぜ絡み合った視線が私だけを捕らえ像を結んでいる事が良く見て取れた。
一つ、吐き出された息が昼前の気だるげな空気を揺らし動かす。今、息を吐き出したのは私かヴァージニアか、それとも昼前の空に浮かぶ白い月かー……ゆるりと混ざり溶け散っていく目に見えない吐息を見送り言葉を紡いだ。
「……今期の天候はヴァージニア、貴公も知っているだろう。長く続いた雨のせいで刈り取る前に穂が腐ってしまったんだそうだ。今はまだ昨年度までの備蓄のおかげで兵糧も王都に住まう民を賄う分の穀物は確保できているがー……これ以上不作が長引けばそれも時間の問題だ。だから、情報の真偽を問わず兵をあの街に宛がわなくてはならない。寂れたとは言え、あの港町は交易する際は欠く事の出来ない拠点の一つだ。国内生産だけで追い付けないとなると他国との交易に頼らざるを得ないだろう?あの港町を反乱軍に取られるわけにはいかない」
「……本当に?本当にそれだけ?専守防衛が目的なら僕も文句は言わないよ。だけど、先日の暴動で職や住む場所を奪われた民が地方にも大勢いるじゃないか!いつ彼らが難民として流入してきてもおかしくない!そうなればー……王都は……!……答えてよ、カタリナ!僕達の本当の任務はー……!」
「やめてっ!!!!!」
シジマがたゆたっていた。ゆらゆら、と、頼りなげに。私が醜く吐露した真情を包み込む様に。
「……取り乱してごめんなさい。大丈夫、そんな事……私がさせないから。そんな事、私が、許さない、から……」
--------------------
空はどこまでも青くどこまでも高く。悠久の昔から変わらぬ風はいつもの様に私の真横をするりと足早に抜けて立ち去っていった。
深い、深い……蒼穹。青の深淵の畔まで繋がっているように見える空の下に私はいた。その場所にいた。辛うじて焼け残った白い教会の目の前に一人佇んでいた。
キシリ、と耳障りな音を立てて扉が開く。息を大きく吸い込み吸い込んだ分吐き出して、軽く押しただけでいとも簡単に口を開けた扉から内へと一歩歩を踏み出して。
『貴公は器用だな。手ならまだしもこんな場所に傷を作るなんて』
『ええ、ちょっと悪い芽を摘んでいたもので。その時に引っ掛かれてしまいました』
『悪い芽……?ああ、庭の剪定をしていたのか……そちらの傷は自分で処置してくれ。流石にこの場所で服を脱がせるわけにもいかないだろう』
声が、記憶が残響し、私を誘う。
たった数カ月。あの雨の日からたった数カ月しか経っていないのに遠く感じてしまうのはあまりに密度が濃い日々を送っていたからなのだろうか?思えばあの雨の日の傷が癒えてからというもの休みらしい休みはなかったな。まあ、それは私に限らず騎士団員全てに言えることだが。
癒えた身体であの日より重い足取りで踵を返した。祭壇に掛けられたシンプルな十字と守るべきものがいなくなった教会に背を向けて扉を潜って。
ハラリ、言の葉が散る様に種子が落ちた。私が掘り返した柔らかな土の上へと。パラリ、ハラリと私の手から離れて大地へ還っていく。
何の種かは分からない。街の花屋で目に付いたものを適当に掴んで買ったからだ。咲く花の色も形も匂いも、何もかもが分からない。
もっとも売り子に花の名前を教えてもらったところでその手の知識に疎い私が分かるわけはないのだが。
「……咲く、かな」
答えてくれる人がいない問いを呟き、土を被せた。……愚問、よね。
「自分の背中の羽根一枚、咲かせる事が出来ないのに何を言ってるのかしら……私」
自重、あるいは自嘲。二つが綯い交ぜになった笑みが僅かに眦と唇を動かす。
咲く、という確証もそれどころか自信もないけれど……咲いて欲しいと願う自分がいた。あの日見た春が咲いていた庭をもう一度見たくてー……あの日別れた三人がここに帰って来た時あの日の記憶を思い出さない様に。咲いた花が少しでも慰めになってくれるように。
『……いいか、カタリナ。これは教皇勅命だ』
『し、しかし、サフォー様……!難民といえど民ではありませんか!このまま戦乱が長引けば更なる疲弊を招き大勢の難民が都へと押し寄せるでしょう……!』
『そして、流入した難民によって王都に飢饉が訪れる。今の状態では難民を受け入れるだけの余裕がないからな。ここで食い止めなければ更に多くの人間が命を落とすだろう。……その街には難民の他にも反乱軍が集結している。……当てにしているぞ。カタリナ・アレクサンドリア』
「私は……私の剣は……」
≪カタリナ・アレクサンドリア≫
あなた方を咎める様に、こう言うのではありません。何故なら、前にも言ったように、あなた方は私達の心の中で生きていて、私達と生死を共にする様になっているからです。
私は、あなた方に対して全く打ち解けた思いでおり、あなた方を大いに誇りに感じています。
私は慰めに満たされており、どんな苦しみに遭ってでも、この上なく喜びに溢れているのです。
【コリントの人々への第二の手紙 第7章】
「カタリナ隊長……!隊長ってば!!本当に、本当に出陣するつもりなんですか!!?」
「昨晩の軍議で言っただろう。教皇府がそう決定を下した以上、我々が取れる行動は一つしかない。予定通り、明朝早く王都を出る」
朝と呼ぶには少しばかり強く、昼と呼ぶには少々頼りない陽光が天から降り注ぐ。石の回廊に光と影という相反する要素をもたらす空に浮かぶ宮を手の平越しに仰ぎながら振り返らずに彼女の問い掛けに答えを返した。
「でも……!今王都を離れるなんて……!」
「私の隊が離れても王都には大小様々な隊が存在しているではないか。私達を含めたいくつかの隊が都を離れたとしても支障は出ないだろう」
翳した手を降ろし振り返れば、やはり今の説明では納得しかねたのだろう……鋭い光を宿した一対の褐色の瞳が真っ直ぐ射貫く様に私を見据えている。不服、不満、疑念ー……それらが綯い交ぜ絡み合った視線が私だけを捕らえ像を結んでいる事が良く見て取れた。
一つ、吐き出された息が昼前の気だるげな空気を揺らし動かす。今、息を吐き出したのは私かヴァージニアか、それとも昼前の空に浮かぶ白い月かー……ゆるりと混ざり溶け散っていく目に見えない吐息を見送り言葉を紡いだ。
「……今期の天候はヴァージニア、貴公も知っているだろう。長く続いた雨のせいで刈り取る前に穂が腐ってしまったんだそうだ。今はまだ昨年度までの備蓄のおかげで兵糧も王都に住まう民を賄う分の穀物は確保できているがー……これ以上不作が長引けばそれも時間の問題だ。だから、情報の真偽を問わず兵をあの街に宛がわなくてはならない。寂れたとは言え、あの港町は交易する際は欠く事の出来ない拠点の一つだ。国内生産だけで追い付けないとなると他国との交易に頼らざるを得ないだろう?あの港町を反乱軍に取られるわけにはいかない」
「……本当に?本当にそれだけ?専守防衛が目的なら僕も文句は言わないよ。だけど、先日の暴動で職や住む場所を奪われた民が地方にも大勢いるじゃないか!いつ彼らが難民として流入してきてもおかしくない!そうなればー……王都は……!……答えてよ、カタリナ!僕達の本当の任務はー……!」
「やめてっ!!!!!」
シジマがたゆたっていた。ゆらゆら、と、頼りなげに。私が醜く吐露した真情を包み込む様に。
「……取り乱してごめんなさい。大丈夫、そんな事……私がさせないから。そんな事、私が、許さない、から……」
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空はどこまでも青くどこまでも高く。悠久の昔から変わらぬ風はいつもの様に私の真横をするりと足早に抜けて立ち去っていった。
深い、深い……蒼穹。青の深淵の畔まで繋がっているように見える空の下に私はいた。その場所にいた。辛うじて焼け残った白い教会の目の前に一人佇んでいた。
キシリ、と耳障りな音を立てて扉が開く。息を大きく吸い込み吸い込んだ分吐き出して、軽く押しただけでいとも簡単に口を開けた扉から内へと一歩歩を踏み出して。
『貴公は器用だな。手ならまだしもこんな場所に傷を作るなんて』
『ええ、ちょっと悪い芽を摘んでいたもので。その時に引っ掛かれてしまいました』
『悪い芽……?ああ、庭の剪定をしていたのか……そちらの傷は自分で処置してくれ。流石にこの場所で服を脱がせるわけにもいかないだろう』
声が、記憶が残響し、私を誘う。
たった数カ月。あの雨の日からたった数カ月しか経っていないのに遠く感じてしまうのはあまりに密度が濃い日々を送っていたからなのだろうか?思えばあの雨の日の傷が癒えてからというもの休みらしい休みはなかったな。まあ、それは私に限らず騎士団員全てに言えることだが。
癒えた身体であの日より重い足取りで踵を返した。祭壇に掛けられたシンプルな十字と守るべきものがいなくなった教会に背を向けて扉を潜って。
ハラリ、言の葉が散る様に種子が落ちた。私が掘り返した柔らかな土の上へと。パラリ、ハラリと私の手から離れて大地へ還っていく。
何の種かは分からない。街の花屋で目に付いたものを適当に掴んで買ったからだ。咲く花の色も形も匂いも、何もかもが分からない。
もっとも売り子に花の名前を教えてもらったところでその手の知識に疎い私が分かるわけはないのだが。
「……咲く、かな」
答えてくれる人がいない問いを呟き、土を被せた。……愚問、よね。
「自分の背中の羽根一枚、咲かせる事が出来ないのに何を言ってるのかしら……私」
自重、あるいは自嘲。二つが綯い交ぜになった笑みが僅かに眦と唇を動かす。
咲く、という確証もそれどころか自信もないけれど……咲いて欲しいと願う自分がいた。あの日見た春が咲いていた庭をもう一度見たくてー……あの日別れた三人がここに帰って来た時あの日の記憶を思い出さない様に。咲いた花が少しでも慰めになってくれるように。
『……いいか、カタリナ。これは教皇勅命だ』
『し、しかし、サフォー様……!難民といえど民ではありませんか!このまま戦乱が長引けば更なる疲弊を招き大勢の難民が都へと押し寄せるでしょう……!』
『そして、流入した難民によって王都に飢饉が訪れる。今の状態では難民を受け入れるだけの余裕がないからな。ここで食い止めなければ更に多くの人間が命を落とすだろう。……その街には難民の他にも反乱軍が集結している。……当てにしているぞ。カタリナ・アレクサンドリア』
「私は……私の剣は……」
≪カタリナ・アレクサンドリア≫
