第10章 変化・第11章 家族

ではどうでしょうか。私達は勝っているのでしょうか?けしてそうではありません。既にはっきり言った通り、皆、罪の下にあるのです。

それは次のように書き記されている通りです。

正しい人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者もいない。皆、道を踏み外し役に立たない者となった。

善い事をする者はいない。一人としていない。彼らの喉は開いた墓、彼らは舌で欺く。唇には蝮の毒があり口には呪いと苦さが満ちている。

彼らの足は人の血を流そうと早く走り、その行く道には破壊と悲惨。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れはない。

さて、私達が承知しているように律法の言うところは全て律法の下にある人達に対して言われたのであり、全ての人の口が封じられ、全世界が神の裁きに服するようになるためです。

何故なら律法に定められた事を行うだけでは、人間は誰一人御前に義とされないからです。律法によっては罪の意識が生じるだけです。


【ローマの人々への手紙 第3章】






「本当にあんたすっ転ぶ天才だな。あそこ草以外何もなかったぞ?」


「す、すみません。こうして馬に乗ったの初めてで乗り方が分からなくて、その……」


「あー……なるほどねー」


頭上に広がる青の半休を白く滲んだ雲が素早く通り過ぎていく。別に俺が馬を早く駆けさせているからじゃない。この時期のこの荒れ野は風が強く吹く。地上付近でこうなんだから上空じゃもっと強く吹いてるんだろう。それが雲を早く動かし、千切れさせている。俺がこの旅を急かせているからではなく、な。


「あの……メドラウトさー……」


「その名前言い辛いだろ?……アナムでいい。そっちの方が短いし……俺もそっちの名前の方が気に入ってる。無理強いはしねえけどな」


規則正しく届く蹄の音に時折、馬の呼吸音が混じる。手綱を握り直すと同時に彼女が座る位置を片腕を使い僅かに調節した。


「しっかし、隊長から直命を受けて王城に行ってみれば……まさかあんたが護衛対象だったとはな」


「すみません……ご迷惑をおかけして」


規則正しい足音とそして草が踏み分けられる音が再び俺の鼓膜を揺すった。けして大きくはない音なのにやけに響いて耳に残るように感じるのは、会話が途切れがちだからなわけでー……。彼女の自分より一回り以上小さな体を後ろで支えながら、彼女に気付かれないように小さく息を一つ吐き出した。……どうにも気まずい。


『臨時政府の司令官殿から命令があった。メドラウト、お前には赤軍の要人の護衛任務を行ってもらう』


『はあ?!カイム、あんた正気か?臨時政府って事は赤軍って事だろ?俺は確かにあんたの部下だが赤軍の犬になったつもりはねーぞ?』


「あの……メドラウトさん……その……」


「なんだ?」


「やはりご迷惑……でしたよね?私魔法は少しは使えますけど戦えるかと言われるそうじゃないですし……」


グルリ、グルリと回る思考がその一言でぴたりと止まった。酷く申し訳なさそうな消え入りそうなエテルの声。微かな震えが腕を通じて伝わって来た。本当に、心の底からそう思い言葉を紡いだのだろう。

そして、そんな彼女に俺はー……


「ぷっ……っはははは!確かにあんたが戦えたらびっくりだわ!」


「な、なんで笑うんですか……!私は真剣に、ですね……!」


「年がら年中転んでドジのお裾分けしてるだろ、お前?」


寒風が俺の馬鹿笑いを遥か彼方へと攫って行く。急に大声を出したからだろう。僅かに動揺する馬を手綱を使い御して宥めた。……いけねえ。護衛が護衛対象を自分の不注意で落馬させるわけにはいかねーだろ、流石に。

しかし、俺が自分のことばかり考えてる間に、こいつは違う人間の事を、俺のことを考えてくれてたんだな。


「……メド?」


「今日はここまでにしよう。ここなら魔獣もでない」


「でもまだお日様は沈んじゃ……」


「沈まれたら困るんだよ。まだ明るいうちに野営の準備をしちまわないと。それにあんた、馬に乗って旅するのは初めてだって言ってただろ?馬に乗るとそれだけで普段使わない場所の筋肉を使うから案外疲弊するんだ。……っと」


彼女を馬の背中に残し、ひとまず自分が先に地面に足を着き相棒の鼻先を軽く撫でた。

旅慣れしてないだろうエテルを休ませる意味もあるが、こいつだって休ませてやらなきゃならない。普段二人乗りなんて殆どしないからな。中々体力がある馬だけど長い道程だ。早め早めに休ませてやる必要がある。ここなら草も沢山あって適当にその辺の草食わせとけば良さそうだしな。


「ほら掴まれ。受け止めるから」


腕を伸ばして、そして抱えた彼女の体はやはりとても軽いものだった。






「め、メド……本当に今日はこうして寝るんですか?」


「ん?ああ。ここらへん何もない草原地帯だろ?夜や明け方はあり得ないぐらい寒くなるんだよ」


ピンと張った皮と羊のフェルトのテントの下、自分の腕と翼の下でもぞりと動き、ぼそりと尋ねる彼女に言葉を返し目を閉じる。居心地が良くないのは百も承知だが、この草原の夜の寒さはそれだけ厳しい。

よく知らない野郎とこうして引っ付いて添い寝するのは彼女にとって羞恥を感じるものだろうが、こればかりは我慢してもらうしかない。俺も寒いのは御免だ。凍死なんてもってのほかだ。


「エテル」


「は、はい……」


「……悪かったな。この前は」


「えっ?」


風がテントの天井を揺らしている。真っ黒な天井を見上げながら言葉を紡いだ。吐き出した先で白く変わる息が視界を僅かに覆う。


「あんたの事情をよく知りもしないくせに知ったような口をきいちまった。悪かったと思ってる」


『最高の独裁者がいつまでも最高の独裁をひくとは限らない。エテル、人は……変わるぞ。どんな賢人でもだ。変わらない保証は……ない』


そう。俺は知らない。彼女が俺について知らないのと同じように。俺も彼女について知らない部分の方が多いんだ。圧倒的に。

知らない人間に自分が尊敬している相手のことをさも知った様に上から目線で好きかって言われる。それはどれだけ屈辱的な事だろうか?まして、自分は赤軍をよくは思っていない側の人間だ。

あの言葉に悪意が全くなかったのかと言われれば、間違いなく否、だ。多かれ少なかれ偏見が含まれている。まあ、それでも撤回するつもりはないのだけれど。


「今更感はあるけどよ。もやもやするのは嫌だから先に謝っておく。……安心しろ。赤軍は好きじゃねーが……あんたの事は嫌いじゃない。守るよ、しっかりな」


夜の帳が落ちていく。開いた目蓋を再び閉じて……そして僅かに彼女の体を引き寄せた。


≪アナム・メドラウト≫
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