第2章 ゴイムの虐殺
私は、この人々の為だけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々の為にもお願いします。
どうか、全てのものを一つにして下さい。父よ、あなたが私のうちにおられ、私があなたのうちにいるように、彼らも私のうちにいる様にして下さい。
あなた方が私をお遣わしになった事を、世が信じる様になる為です。
また、私はあなたからいただきた栄光を彼らに与えました。私達が一つである様に、彼らも一つになる為です。
私が彼らのうちにおり、あなた方が私のうちにおられるのは、彼らが完全に一つになる為です。
また、あなたが私をお遣わしになった事、そして、あなたが私を愛して下さった様に、彼らをも愛して下さった事を、世が知る様になる為です。
父よ、あなたが私にお与えになった人々が私のいる所に、共にいる様にして下さい。世界の造られる前から、あなたが私を愛して、お与え下さった、私の栄光を彼らに見せる為です。
正しい父よ、世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っています。
そして、この人々も、あなたが私をお遣わしになった事を知っています。
私は、彼らにあなたの名を知らせました。また、これからも知らせます。
私を愛して下さったあなたの愛が、彼らにもあり、また、私も彼らのうちにいるようになる為です。
【ヨハネによる福音書 第17章】
何が正しくて、何が悪い事なのかー……それは俺には分からない。ただー……
重く立ち込めた鉛の空から大粒の雫が一つ、また一つと大地の軛に引かれて地へと落ちる。融解した鉛の様に、一枚繋がりの空の板から一つ、一つ、はじめはゆっくりと糸の様な細さで、次第に轟轟と唸る滝へと姿を変えて。まだらに塗れた地面が一面濡れるまでさほど時間は掛からなかった。
「……待て、ルフィール!」
足元同様に塗れた髪が皮膚に貼り付く。常時であれば不快で堪らないはずのそれも今は不快だとは感じなかった。……それ以上に、それとは比べ物にならない吐き気を催すような邪悪が目の前で繰り広げられていたからだ。
「止めようっていうのか?」
滝の様な雨の中で煌煌と燃える焔があった。やっと追い付いたその焔の肩を片手で掴み名を紡げば、赤々と闘志と燃やし、日常を脅かす者達への憤怒で染まった両の瞳が俺の姿を映していた。焔が、炎が俺を見つめていた。俺が見つめているのと同じ様に。
炎に映る鏡像の自分を見つめながら首を緩く横へと振った。「止める?そんなダサい真似出来ると思うか?」そう言葉を続けながら。
「数は?」
「分かんねえ。何人かは既にぶっ飛ばしたし、ぶっ飛んだんだがー……アル、これ!」
放物線を描いて一振りの剣ー……ではなく廃材が落ちて来る。ルフィールの手で放られたそれを空で掴み、握り締めた。……なるほど、これを使えって事か。父さんにある程度体術は仕込まれているが……俺は槍術の方が得意だからな。
「槍とは程遠いが少しは役に立つだろ、堅そうだし」
「まあな。でっ?ぶっ飛んでったっていうのは?」
「文字通りの意味だ。吹き飛んだんだよ。自分もろとも。……大方爆弾か何かでも体に巻き付けてたんだろう」
背中越しに返って来たルフィールの歯切れの悪い言葉に自分の眉間にも自然と皺が寄っていくのが分かった。視線を動かし改めてあたりを見回せばー……なるほど、確かに脳脱してるな、これは。
この雨で臭いや血は流され洗われているが逸脱した脳や内臓まではその質量からか流されていない。四散して石畳の通りや日干しレンガの壁に飛び散ったと思われる染みが其処彼処を汚していた。
「……チョコは帰して正解だったな。これをあいつに見せるのはー……酷すぎる」
「確かに、な。って、帰したぁ!?おいおい、一人で大丈夫かよ?チョコリエール」
「……あっちはこっちほど混乱していなかったし、チョコは賢いから真っ直ぐ明けの明星亭へ帰ったはずだ。大丈夫だろ……たぶん」
「はー……ぜんっぜん安心できねーんだけど、それ」
手にした廃材が降りしきる雨を、そして空を、暴徒の体を薙ぎ払う。同時に伝わって来た痺れと振動を柄を強く握る事で相殺し、打ち払いながら、前を見据え怒号を飛ばした。
「話はあとだ!!ルフィール!ここで食い止めなきゃチョコ達が危ないッ!!やるぞッ!!」
「おう!!!」
バキリ、と、どちらが踏んだか分からない木の枝の折れる乾いた音が、雨の音に、瞬間混じり、霧散していった。
風が唸る。雨が地を強く打ち付ける。今日何度となく聞いた人の呻き声が豪雨の中で波紋を描く。
「くっ……次から次へと……ぶん殴ってるはずなのに、一体、どこから……ッ!」
「触発されたっていうところだろ。弾けたんだ。……それだけ新教の台頭をよく思っていない連中がいたって事か……」
出来たばかりの血豆が裂ける。ささくれ刺さる木片を厭わずに棒を振るい、そして痛みで自身を奮い立たせた。迫る暴徒の両脛が砕ける鈍い音が鼓膜を揺する。上がる息を、頬を伝い入る雨を飲み込んで、疲労と痛みで星が散り、途切れそうになる視界をなんとか繋いだ。
俺とルフィールと、名も知らないおそらくどこかのギルドに所属しているであろう奴らで暴徒を叩きこれ以上の進軍を防いではいるがー……数が違い過ぎる。……豪雨で良かった。この雨では火薬は持ち出せないし、こうも視界が悪いとなれば相当の手練れでなければ弓矢を当てる事もままならないだろう。晴れていたならだいぶ前に押し切られ突破されていたはずだ。
そう……現状はまだ押し切られていない。だが、多勢に無勢のままじゃ突破されるのも時間の問題ー……
「アルッ!!」
刹那、叫び声が響いた。親友が俺を呼ぶ声だ。一体、何がー……?振り返って、理解した。何故、親友が血相を変えて俺の名を呼んだのか、その理由に。この視界不良の中で、それでも物見やぐらの上から射手が俺目掛けて矢を放った、その事に。
時間がクルリ、からりと動いて行く。ないはずの秒針が時を刻む音が、心音と共に体中を巡って行く。
溢れていた怒号が、呻き声が止まる。あれほど、つんざく様に響き、残響していた音が。まるで、東雲の様な静寂が、痛いぐらいの沈黙が俺の周囲にあった。
頭では分かっている。避けなければ死ぬ、と。だが、同時に今更足を動かし、体を捻ったところで間に合うものではない、と、冷静に告げる冷ややかな自分もいた。
次に瞬いた瞬間、俺はー……
来る衝撃にビクリッ、と全身の肉が、痙攣し固まった。
「アルフォートッ!!」
「あ、兄貴!?ど、どうしてここに!?」
「それは……」
ドサリ、と音を立てて身体が落ちた。俺、ではない。物見やぐらの上から矢をつがえこちらを狙っていた弓兵が、だ。何かに貫かれて、だらりと弛緩した身体はそのまま地面へ激突し中身をぶちまけた。
義理の兄弟である兄貴に首根っこを掴まえられそのまま後ろに放り出されて、尻餅をついたまま顔を上げれば、そこには赤があった。視界いっぱいに赤が広がり、靡いていた。
赤い、赤い旗だ。鉛の空を覆う様に一つ、そしてもう一つ、無数に旗が咲く。
「兄ー……という事は、君は彼の義理の弟か?」
「あ、あんたは……」
「話はあとだ。まずは民と、そして君達の安全を確保するのが先決だからね。”全隊へ通達する!民間人の安全を確保を優先し、暴徒を速やかに鎮圧せよ!進めーッ!!”」
双頭の蛇が絡み合い、槌と鎌が交差する。
旗を、そして旗と同じ紋章を背負った男の背中を、そして瞬く間に暴徒達を鎮圧していくその集団を、俺はルフィールと兄貴と共に見つめていた。
何も、出来ずに。
何が正しくて何が悪い事かー……それは分からない。だが、この時、俺の前で示されたものは”正義”以外の何物でもなかった。
≪アルフォート≫
どうか、全てのものを一つにして下さい。父よ、あなたが私のうちにおられ、私があなたのうちにいるように、彼らも私のうちにいる様にして下さい。
あなた方が私をお遣わしになった事を、世が信じる様になる為です。
また、私はあなたからいただきた栄光を彼らに与えました。私達が一つである様に、彼らも一つになる為です。
私が彼らのうちにおり、あなた方が私のうちにおられるのは、彼らが完全に一つになる為です。
また、あなたが私をお遣わしになった事、そして、あなたが私を愛して下さった様に、彼らをも愛して下さった事を、世が知る様になる為です。
父よ、あなたが私にお与えになった人々が私のいる所に、共にいる様にして下さい。世界の造られる前から、あなたが私を愛して、お与え下さった、私の栄光を彼らに見せる為です。
正しい父よ、世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っています。
そして、この人々も、あなたが私をお遣わしになった事を知っています。
私は、彼らにあなたの名を知らせました。また、これからも知らせます。
私を愛して下さったあなたの愛が、彼らにもあり、また、私も彼らのうちにいるようになる為です。
【ヨハネによる福音書 第17章】
何が正しくて、何が悪い事なのかー……それは俺には分からない。ただー……
重く立ち込めた鉛の空から大粒の雫が一つ、また一つと大地の軛に引かれて地へと落ちる。融解した鉛の様に、一枚繋がりの空の板から一つ、一つ、はじめはゆっくりと糸の様な細さで、次第に轟轟と唸る滝へと姿を変えて。まだらに塗れた地面が一面濡れるまでさほど時間は掛からなかった。
「……待て、ルフィール!」
足元同様に塗れた髪が皮膚に貼り付く。常時であれば不快で堪らないはずのそれも今は不快だとは感じなかった。……それ以上に、それとは比べ物にならない吐き気を催すような邪悪が目の前で繰り広げられていたからだ。
「止めようっていうのか?」
滝の様な雨の中で煌煌と燃える焔があった。やっと追い付いたその焔の肩を片手で掴み名を紡げば、赤々と闘志と燃やし、日常を脅かす者達への憤怒で染まった両の瞳が俺の姿を映していた。焔が、炎が俺を見つめていた。俺が見つめているのと同じ様に。
炎に映る鏡像の自分を見つめながら首を緩く横へと振った。「止める?そんなダサい真似出来ると思うか?」そう言葉を続けながら。
「数は?」
「分かんねえ。何人かは既にぶっ飛ばしたし、ぶっ飛んだんだがー……アル、これ!」
放物線を描いて一振りの剣ー……ではなく廃材が落ちて来る。ルフィールの手で放られたそれを空で掴み、握り締めた。……なるほど、これを使えって事か。父さんにある程度体術は仕込まれているが……俺は槍術の方が得意だからな。
「槍とは程遠いが少しは役に立つだろ、堅そうだし」
「まあな。でっ?ぶっ飛んでったっていうのは?」
「文字通りの意味だ。吹き飛んだんだよ。自分もろとも。……大方爆弾か何かでも体に巻き付けてたんだろう」
背中越しに返って来たルフィールの歯切れの悪い言葉に自分の眉間にも自然と皺が寄っていくのが分かった。視線を動かし改めてあたりを見回せばー……なるほど、確かに脳脱してるな、これは。
この雨で臭いや血は流され洗われているが逸脱した脳や内臓まではその質量からか流されていない。四散して石畳の通りや日干しレンガの壁に飛び散ったと思われる染みが其処彼処を汚していた。
「……チョコは帰して正解だったな。これをあいつに見せるのはー……酷すぎる」
「確かに、な。って、帰したぁ!?おいおい、一人で大丈夫かよ?チョコリエール」
「……あっちはこっちほど混乱していなかったし、チョコは賢いから真っ直ぐ明けの明星亭へ帰ったはずだ。大丈夫だろ……たぶん」
「はー……ぜんっぜん安心できねーんだけど、それ」
手にした廃材が降りしきる雨を、そして空を、暴徒の体を薙ぎ払う。同時に伝わって来た痺れと振動を柄を強く握る事で相殺し、打ち払いながら、前を見据え怒号を飛ばした。
「話はあとだ!!ルフィール!ここで食い止めなきゃチョコ達が危ないッ!!やるぞッ!!」
「おう!!!」
バキリ、と、どちらが踏んだか分からない木の枝の折れる乾いた音が、雨の音に、瞬間混じり、霧散していった。
風が唸る。雨が地を強く打ち付ける。今日何度となく聞いた人の呻き声が豪雨の中で波紋を描く。
「くっ……次から次へと……ぶん殴ってるはずなのに、一体、どこから……ッ!」
「触発されたっていうところだろ。弾けたんだ。……それだけ新教の台頭をよく思っていない連中がいたって事か……」
出来たばかりの血豆が裂ける。ささくれ刺さる木片を厭わずに棒を振るい、そして痛みで自身を奮い立たせた。迫る暴徒の両脛が砕ける鈍い音が鼓膜を揺する。上がる息を、頬を伝い入る雨を飲み込んで、疲労と痛みで星が散り、途切れそうになる視界をなんとか繋いだ。
俺とルフィールと、名も知らないおそらくどこかのギルドに所属しているであろう奴らで暴徒を叩きこれ以上の進軍を防いではいるがー……数が違い過ぎる。……豪雨で良かった。この雨では火薬は持ち出せないし、こうも視界が悪いとなれば相当の手練れでなければ弓矢を当てる事もままならないだろう。晴れていたならだいぶ前に押し切られ突破されていたはずだ。
そう……現状はまだ押し切られていない。だが、多勢に無勢のままじゃ突破されるのも時間の問題ー……
「アルッ!!」
刹那、叫び声が響いた。親友が俺を呼ぶ声だ。一体、何がー……?振り返って、理解した。何故、親友が血相を変えて俺の名を呼んだのか、その理由に。この視界不良の中で、それでも物見やぐらの上から射手が俺目掛けて矢を放った、その事に。
時間がクルリ、からりと動いて行く。ないはずの秒針が時を刻む音が、心音と共に体中を巡って行く。
溢れていた怒号が、呻き声が止まる。あれほど、つんざく様に響き、残響していた音が。まるで、東雲の様な静寂が、痛いぐらいの沈黙が俺の周囲にあった。
頭では分かっている。避けなければ死ぬ、と。だが、同時に今更足を動かし、体を捻ったところで間に合うものではない、と、冷静に告げる冷ややかな自分もいた。
次に瞬いた瞬間、俺はー……
来る衝撃にビクリッ、と全身の肉が、痙攣し固まった。
「アルフォートッ!!」
「あ、兄貴!?ど、どうしてここに!?」
「それは……」
ドサリ、と音を立てて身体が落ちた。俺、ではない。物見やぐらの上から矢をつがえこちらを狙っていた弓兵が、だ。何かに貫かれて、だらりと弛緩した身体はそのまま地面へ激突し中身をぶちまけた。
義理の兄弟である兄貴に首根っこを掴まえられそのまま後ろに放り出されて、尻餅をついたまま顔を上げれば、そこには赤があった。視界いっぱいに赤が広がり、靡いていた。
赤い、赤い旗だ。鉛の空を覆う様に一つ、そしてもう一つ、無数に旗が咲く。
「兄ー……という事は、君は彼の義理の弟か?」
「あ、あんたは……」
「話はあとだ。まずは民と、そして君達の安全を確保するのが先決だからね。”全隊へ通達する!民間人の安全を確保を優先し、暴徒を速やかに鎮圧せよ!進めーッ!!”」
双頭の蛇が絡み合い、槌と鎌が交差する。
旗を、そして旗と同じ紋章を背負った男の背中を、そして瞬く間に暴徒達を鎮圧していくその集団を、俺はルフィールと兄貴と共に見つめていた。
何も、出来ずに。
何が正しくて何が悪い事かー……それは分からない。だが、この時、俺の前で示されたものは”正義”以外の何物でもなかった。
≪アルフォート≫
