第1章 百年祭
さて、群衆がなおも押し寄せて来たので、御子は語り始めた。
「今の時代は邪な時代である。徴を求めるがヨナの徴以外はどんな徴も与えられない。ヨナがニネベの人々に対して徴になったように、人の子も今の時代に対して徴となる」
「裁きの時には南の女王が今の時代の人々と共に立ち上がり、この人々を罪に定める。彼女はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである」
「しかし、見よ。ここにソロモンに勝るものがある。裁きの時にはニネベの人々が今の時代の人々と共に立ち上がり、今の時代の人を罪に定める。何故なら、ニネベの人々はヨナの言葉を聞いて悔い改めたからである。しかし、見よ。ここにヨナに勝るものがある」
「灯火を灯して隠れた所や升の下に置く人はいない。燭台の上に置いて入ってくる人達に明かりが見えるようにする」
「目は体の灯火である。目が健やかであれば全身が明るい。しかし、目を患えば体は闇となる。だから、あなたのうちにある光が闇にならないよう、気を付けなさい」
「もし、あなたの全身が明るく、少しでも闇の部分がなければ、灯火がその輝きであなたを照らす時の様に、全身が明かりに満ちたものとなる」
【ルカによる福音書 第11章】
窓の枠が切り取る風景の向こう側を散り始めた薄紅色の花弁が舞っている。白い陽光に彩られた世界をハラリ、ヒラリと静かに、あるいは一斉に吹雪の様に吹き上げて通りを春色に染めていた。
そんな浮足立った景色を窓の外ではなく内から見つめ肺に溜まった空気を吐き出しながら体を弛緩させ、早くも艶出しのニスが禿げ始めた木製のテーブルへ頭をつけ突っ伏した。息が苦しくない様にとそのままの姿勢で顔のみ横へと向ければさっきまでと変わらない風景が窓の向こう側にあるわけでー……吐き出したばかりだと言うのに再び肺に溜まった空気を吐き出して一人ごちる。「祭りがそんなに楽しいかね」と少々理不尽な言葉を。
誰に言うわけでもない聞かせるわけでもない言葉を呟いて、せめてもと出勤前に買い用意しておいた豆入りの白いまんじゅうを一つ頬張り緑色した異国の茶で流し込んだ。薄情にも祭りへと繰り出していた奴らの事を考えながら。
ここは国内最大規模の正規ギルドだ。ギルドマスターであるルーベラはまあ、式典だ何やら出席しなきゃいけねー用事が山ほどあるだろうから仕方がねーとして、だ。新人のドM野郎なんて「んじゃ!マッサージ行って来るわ!……はぁん!!!」とか祭りと全く関係ない台詞を残して真っ先に消えたからな!
あんのドM!最後のはぁん……!!ってなんだよ!はぁん!って!!朝一から野郎の喘ぎ声なんて聞きたくねーよ!!聞いちまったじゃねーか!!
ペシッ!と一つ乾いた音が短く響く。苛々のあまり尻尾で無意識に床を叩けば、それと同時に僅かに埃が舞った。尻尾に付いた埃とその部分だけ綺麗になった床を一瞥して体を椅子から離し立ち上がり息をまた溢す。掃除でもした方が気が紛れる、そんな算段をつけて。
今日の俺の仕事はギルドでの待機業務で楽と言えば楽な仕事なんだが……何もしないっていうのもそれはそれで暇疲れするわけで。掃除でもしないよりは有効に時間が使えるってもんだろ。……まあ、ここ荒っぽい連中が多いから掃除してもすぐ散らかるだろうけどな。
「暇してるねー豆ー」
「ん?そういうお前こそ今日は祭りに行かねーのか?」
「そのお前って言うの止めてほしいんだけど」
「ん。善処するわ」
不意に鼓膜を揺すった聞き慣れた声にモップを片手に振り返れば思った通り、ギルドメンバーの一人がいて、そんな彼に唇に弧を描き軽い口調で言葉を紡げば、これまた俺が思った通りの反応が一つ返って来る。
この呼び方を地味に嫌がってる事は知ってはいるが俺だってお前に”豆”呼ばわりされたわけだし?!確かに普段コスパがいいから豆スープよく作ってるし、今食べてた饅頭の中に黒豆入ってたけどこれはたまたまだからな!!不可抗力だ!売れ残ってたのがこれだけだったんだよ!
目には目を。歯には歯を。豆と言われたらお前呼ばわりの刑、ってわけだ。
「はあ……まあいいや。天青、お客さん。直接、天青に依頼したい事があるっていうから案内してきたんだよ」
「はあ!?依頼!?祭りなのにか!?……ってか、依頼ならギルマス通じてー……」
「久しぶりだな、天青」
一つ、凛とした声が空気を揺さぶる。決して大きな声ではないはずにも拘らずよく通る声が、埃が散る空気に波紋を描いていた。
「じゃあ俺はこれで。こう見えて結構忙しいんだ。最近キナ臭い話ばかり聞くし、有事の時に動けるように情報仕入れないと」
「……貴公のおかげで彼に会う事が出来た。礼を言わせてほしい」
「んー?お礼を言われるってほどじゃないかな。じゃ、また後でね。”豆”」
女の動きに合わせてサラリ、と動く。猛禽の鳥の様なアンバーの瞳を流れる様な黒髪で隠して深々と腰を折り礼をする昔の仲間と今の仲間を交互に見つめながら後ろ手で大きく首筋を掻いた。間違いなく今日一番大きな溜息を生み出すと共に。
「どーいう風の吹き回しだ。ケイト」
「……カタリナ、だ。今の貴公に私の愛称を呼ぶ事を許した覚えはない」
「へいへい。んじゃ、カタリナさんよ、一体俺に今更何の用だ?騎士団にならもう戻らねーぞ」
「そんな事の為にわざわざ貴公を訪ねると思うか?」
淹れ直した緑色をした茶から細く白い湯気が立ち上る。なけなしのポケットマネーをはたいて買った豆が入った饅頭を茶請け代わりに茶と共に差し出せば、彼女はそれを一瞥だけし、手は出さず改めて姿勢を正しこちらを真っ直ぐに見つめていた。「血が流れる」そう厳しい表情で一言紡いで。
「血?」
「ああ。それも決して少なくない量の血が。……各地で各派閥のイデオロギーが急速に高まっているのは貴公達も知っているだろう?このまま行くと確実に血が流れる。遠くない近い未来に、だ」
「それはまた……冗談にしては笑えない冗談だ。……教皇と配下の神殿騎士団絡みか?」
「さあ、どうだろう。あの方々が一枚噛んでいるかいないかは分からないがー……どちらにせよここまで肥大化してしまったものは押え付けられるものではない。扇動しているいないは問題ではない。大事なのはこれから起こる事象だ」
「……それは確かなんだな?」
嫌な……非常に重い沈黙が轍を作り澱を産む。沈黙の轍に遮られたのだろうか、先程まであれ程鼓膜を揺らしていた通りのざわめきがどこか遠い世界からのものの様に感じる。言葉を紡ぐ代わりに一つ首を縦に振った女の反応に握る拳に自然と力が籠った。
「ルーベラに伝えた方がいいか?」
「無論。その為にここに来た。教会や王室を通じて依頼を出すわけには行かないし、私も一応は騎士団に名を連ねている以上正式な書状を出せなくてな。……くれぐれも内密に頼む」
「お前はこれからどうするんだ、カタリナ」
「守るべきものを守りに行く。血で血を洗う事態になる事だけは何が何でも避けなければ。負の連鎖は止めなくてはならない。……私はね、天青。見たくないのよ、民の血が流れるのを。だって、そうでしょう?その為に兵士がいるんだもの。血を流すのも、見るのも、汚れるのも私達だけでいいの」
『私はこの国を愛している。皆を愛したい。守りたい』
いつか黄昏と山百合の咽返る様な野戦場の草原でこの女が呟いた言葉が脳裏に蘇り駆けて行った。教会でも王家でもない。祖国そのものを憂いるこいつらしい言の葉が。……何も変わっちゃいねえな、ケイトは。
徐々に小さくなっていく鉄で身を固めた女の背中を、枯れた一対の羽根を見送り俺自身も立ち上がった。
槍の手入れ、いつも以上に入念にしておいた方がいいかもしれねえな。
≪天青≫
「今の時代は邪な時代である。徴を求めるがヨナの徴以外はどんな徴も与えられない。ヨナがニネベの人々に対して徴になったように、人の子も今の時代に対して徴となる」
「裁きの時には南の女王が今の時代の人々と共に立ち上がり、この人々を罪に定める。彼女はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである」
「しかし、見よ。ここにソロモンに勝るものがある。裁きの時にはニネベの人々が今の時代の人々と共に立ち上がり、今の時代の人を罪に定める。何故なら、ニネベの人々はヨナの言葉を聞いて悔い改めたからである。しかし、見よ。ここにヨナに勝るものがある」
「灯火を灯して隠れた所や升の下に置く人はいない。燭台の上に置いて入ってくる人達に明かりが見えるようにする」
「目は体の灯火である。目が健やかであれば全身が明るい。しかし、目を患えば体は闇となる。だから、あなたのうちにある光が闇にならないよう、気を付けなさい」
「もし、あなたの全身が明るく、少しでも闇の部分がなければ、灯火がその輝きであなたを照らす時の様に、全身が明かりに満ちたものとなる」
【ルカによる福音書 第11章】
窓の枠が切り取る風景の向こう側を散り始めた薄紅色の花弁が舞っている。白い陽光に彩られた世界をハラリ、ヒラリと静かに、あるいは一斉に吹雪の様に吹き上げて通りを春色に染めていた。
そんな浮足立った景色を窓の外ではなく内から見つめ肺に溜まった空気を吐き出しながら体を弛緩させ、早くも艶出しのニスが禿げ始めた木製のテーブルへ頭をつけ突っ伏した。息が苦しくない様にとそのままの姿勢で顔のみ横へと向ければさっきまでと変わらない風景が窓の向こう側にあるわけでー……吐き出したばかりだと言うのに再び肺に溜まった空気を吐き出して一人ごちる。「祭りがそんなに楽しいかね」と少々理不尽な言葉を。
誰に言うわけでもない聞かせるわけでもない言葉を呟いて、せめてもと出勤前に買い用意しておいた豆入りの白いまんじゅうを一つ頬張り緑色した異国の茶で流し込んだ。薄情にも祭りへと繰り出していた奴らの事を考えながら。
ここは国内最大規模の正規ギルドだ。ギルドマスターであるルーベラはまあ、式典だ何やら出席しなきゃいけねー用事が山ほどあるだろうから仕方がねーとして、だ。新人のドM野郎なんて「んじゃ!マッサージ行って来るわ!……はぁん!!!」とか祭りと全く関係ない台詞を残して真っ先に消えたからな!
あんのドM!最後のはぁん……!!ってなんだよ!はぁん!って!!朝一から野郎の喘ぎ声なんて聞きたくねーよ!!聞いちまったじゃねーか!!
ペシッ!と一つ乾いた音が短く響く。苛々のあまり尻尾で無意識に床を叩けば、それと同時に僅かに埃が舞った。尻尾に付いた埃とその部分だけ綺麗になった床を一瞥して体を椅子から離し立ち上がり息をまた溢す。掃除でもした方が気が紛れる、そんな算段をつけて。
今日の俺の仕事はギルドでの待機業務で楽と言えば楽な仕事なんだが……何もしないっていうのもそれはそれで暇疲れするわけで。掃除でもしないよりは有効に時間が使えるってもんだろ。……まあ、ここ荒っぽい連中が多いから掃除してもすぐ散らかるだろうけどな。
「暇してるねー豆ー」
「ん?そういうお前こそ今日は祭りに行かねーのか?」
「そのお前って言うの止めてほしいんだけど」
「ん。善処するわ」
不意に鼓膜を揺すった聞き慣れた声にモップを片手に振り返れば思った通り、ギルドメンバーの一人がいて、そんな彼に唇に弧を描き軽い口調で言葉を紡げば、これまた俺が思った通りの反応が一つ返って来る。
この呼び方を地味に嫌がってる事は知ってはいるが俺だってお前に”豆”呼ばわりされたわけだし?!確かに普段コスパがいいから豆スープよく作ってるし、今食べてた饅頭の中に黒豆入ってたけどこれはたまたまだからな!!不可抗力だ!売れ残ってたのがこれだけだったんだよ!
目には目を。歯には歯を。豆と言われたらお前呼ばわりの刑、ってわけだ。
「はあ……まあいいや。天青、お客さん。直接、天青に依頼したい事があるっていうから案内してきたんだよ」
「はあ!?依頼!?祭りなのにか!?……ってか、依頼ならギルマス通じてー……」
「久しぶりだな、天青」
一つ、凛とした声が空気を揺さぶる。決して大きな声ではないはずにも拘らずよく通る声が、埃が散る空気に波紋を描いていた。
「じゃあ俺はこれで。こう見えて結構忙しいんだ。最近キナ臭い話ばかり聞くし、有事の時に動けるように情報仕入れないと」
「……貴公のおかげで彼に会う事が出来た。礼を言わせてほしい」
「んー?お礼を言われるってほどじゃないかな。じゃ、また後でね。”豆”」
女の動きに合わせてサラリ、と動く。猛禽の鳥の様なアンバーの瞳を流れる様な黒髪で隠して深々と腰を折り礼をする昔の仲間と今の仲間を交互に見つめながら後ろ手で大きく首筋を掻いた。間違いなく今日一番大きな溜息を生み出すと共に。
「どーいう風の吹き回しだ。ケイト」
「……カタリナ、だ。今の貴公に私の愛称を呼ぶ事を許した覚えはない」
「へいへい。んじゃ、カタリナさんよ、一体俺に今更何の用だ?騎士団にならもう戻らねーぞ」
「そんな事の為にわざわざ貴公を訪ねると思うか?」
淹れ直した緑色をした茶から細く白い湯気が立ち上る。なけなしのポケットマネーをはたいて買った豆が入った饅頭を茶請け代わりに茶と共に差し出せば、彼女はそれを一瞥だけし、手は出さず改めて姿勢を正しこちらを真っ直ぐに見つめていた。「血が流れる」そう厳しい表情で一言紡いで。
「血?」
「ああ。それも決して少なくない量の血が。……各地で各派閥のイデオロギーが急速に高まっているのは貴公達も知っているだろう?このまま行くと確実に血が流れる。遠くない近い未来に、だ」
「それはまた……冗談にしては笑えない冗談だ。……教皇と配下の神殿騎士団絡みか?」
「さあ、どうだろう。あの方々が一枚噛んでいるかいないかは分からないがー……どちらにせよここまで肥大化してしまったものは押え付けられるものではない。扇動しているいないは問題ではない。大事なのはこれから起こる事象だ」
「……それは確かなんだな?」
嫌な……非常に重い沈黙が轍を作り澱を産む。沈黙の轍に遮られたのだろうか、先程まであれ程鼓膜を揺らしていた通りのざわめきがどこか遠い世界からのものの様に感じる。言葉を紡ぐ代わりに一つ首を縦に振った女の反応に握る拳に自然と力が籠った。
「ルーベラに伝えた方がいいか?」
「無論。その為にここに来た。教会や王室を通じて依頼を出すわけには行かないし、私も一応は騎士団に名を連ねている以上正式な書状を出せなくてな。……くれぐれも内密に頼む」
「お前はこれからどうするんだ、カタリナ」
「守るべきものを守りに行く。血で血を洗う事態になる事だけは何が何でも避けなければ。負の連鎖は止めなくてはならない。……私はね、天青。見たくないのよ、民の血が流れるのを。だって、そうでしょう?その為に兵士がいるんだもの。血を流すのも、見るのも、汚れるのも私達だけでいいの」
『私はこの国を愛している。皆を愛したい。守りたい』
いつか黄昏と山百合の咽返る様な野戦場の草原でこの女が呟いた言葉が脳裏に蘇り駆けて行った。教会でも王家でもない。祖国そのものを憂いるこいつらしい言の葉が。……何も変わっちゃいねえな、ケイトは。
徐々に小さくなっていく鉄で身を固めた女の背中を、枯れた一対の羽根を見送り俺自身も立ち上がった。
槍の手入れ、いつも以上に入念にしておいた方がいいかもしれねえな。
≪天青≫
