第1章 百年祭


初めに御言葉があった。御言葉は神であった。

御言葉は初め神と共にあった。全てのものは、御言葉によって出来た。

出来たもので、御言葉によらず出来たものは何一つなかった。

御言葉の内に命があった。この命は人間の光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。

御言葉はこの世にあった。この世は御言葉によって出来たが、この世は御言葉を認めなかった。

御言葉は自分の民の所に来たが、民は受け入れなかった。

しかし、御言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。

彼らは、血によってではなく、人間の意思によってでも、男の意思によってでもなく、神によって生まれた。

御言葉は人間となり、我々の間に住むようになった。

我々はこの方を栄光を見た。

父の元から来た独り子としての栄光である。

独り子は恵みと真理に満ちていた。


【ヨハネによる福音書 第1章】






「おい。いい加減起きろ。床で寝られると掃除の邪魔なんだよ、おっさん」


「ん……なんだ、小僧……俺が誰だと……」


「安酒かっ食らってチャンポンして暴れまくってた迷惑なおっさんだろ。覚えたくなくても覚えた。んじゃ、答えたんだからさっさと出ていってくれないか?」


薄い板張りの床がキシリ、と悲鳴を上げる。抱き枕か何かのつもりだったのか寝ている間片時も離さなかった空の瓶をの握り締めるとその男はのそりと起き上がって俺を強く睨み付けた。

そんな男を一瞥し肺の底に溜まった空気を吐き出し散らして、酒臭いこの場所の空気で置換する。息を吐く直前、半身体を横にずらして。

俺の体にぶち当たり転がるはずだった瓶は横を切ってそのまま壁にぶつかり砕けて落ちていく。割れた瓶の底に僅かに残っていた粗悪な酒が周囲に飛散し舞って強い香りの花を咲かせていた。


「ケッ……胸糞悪い。誰がこんな酒場に金なんか落とすか、ボケ……」


「さいで。んじゃ、出口はあっちなんで」


手に持った一方方向に穂先が曲がった箒で外へと通じる扉を指し示し早く出る様にと促せば、男は罵倒の言葉の代わりに唾を床に吐き出してよろよろと覚束ない足取りで扉を潜り去っていく。

ようやっと出ていった迷惑な客の背中……ではなく床に増えてしまった真新しい汚れを見つめて本日二度目となる長い息を肺から吐き出し後ろ手で強く頭を掻いた。今更と言われてしまえば今更なぐらいには床もテーブルも汚れ散らかっているが、それとこれとは話は別だ。店を汚されて面白いと好意的に捉える店員などいないだろう。掃除の量、増えちまったじゃねーか。

コツリ、足音が響いた。昨夜の乱痴気騒ぎとは変わり水を打ったように静まり返った早朝の酒場を包むシジマがその足音により揺れる。

硝子のない木の雨戸だけがはまった窓の隙間から微かに差し込んだ朝の光が男の丁寧に編込まれた金の髪に吸い込まれ、淡く煌めいていた。俺の姿を視界で捉え、対になるヘーゼルの瞳に三日月を浮かべると男はゆっくりと言葉を紡いだ。「おはよう」と。


「随分派手な音がしたようだが?」


「俺じゃねえよ」


「ああ、知ってるさ。知ってて聞いた」


床を掃くでも拭くでもない。雨戸を開けるでもない。

カウンターの奥の椅子に当然とばかり腰掛けたその男を瞬間見つめて大きく肩を下へと落とした。まあ、最初から期待していたわけでもないが。


「どうだ?あの男は金を落としていったか?」


「……それも知ってて言ってんだろ?」


一部色が変色している壁を横目で見やり言葉ではなく笑みを持って俺が口にした質問に解を返した男に再び大きく息を吐く。……当然、だろうな。その表情の意味は。


「心配しなくてもそう遠くないうちにあの男の体は二度と酒が飲めない体になるだろう。まあ、その前に目が潰れるだろうが、な。そうカリカリするな、アル」


「それ知っててあの酒を出すあんたが怖えーよ、俺は」


「何を怖がる必要がある?禁酒法が施行され、そんな時世の中、金も出さず横暴な態度で酒を要求するような貧民にはあれでも上等すぎるぐらい上等だと思うが?」


「……そんなにまでして飲みたいもんか?」


「そんなもんさ。酒だけじゃない。パン一枚の為に人は人を殺せるし、殺す。自らの幸せを最上のものとして人は行動するからな。それを悪だとは思わんが」


「……相変わらずだな、シャヘル」


「あっ、ミゲルさん。ご無沙汰しています」


カラリ、音が鳴った。扉に付いた来客を教える鐘が音を立て静寂を動かす。

不意に生じた音とその音に少し遅れて現われた人の名を呼んで俺はゴミをまとめた袋を両手に持ち上げた。


「久しいな、アルフォート」


僅かに細められた灰色の瞳、その人の赤い髪が焔の様に揺らめいていた。この店の主人とは似ても似つかない色をした双子の弟だと言う人の横を両手にゴミを抱えて通り過ぎて、その人が潜って来たばかりの扉を今度は俺が潜って外へと出て。


「じゃあゴミ出ししてくるよ、父さん」


「ああ、行って来い。お前が帰って来る頃には母さんが作っている朝食も出来上がっているだろうしな。今日から百年祭だ。沢山料理を作ると張り切っていたぞ?」


その言葉に腹に飼っている虫が反応し大きな音を奏でた。……早く帰ってこよう。俺に強く思わせるには十分過ぎる言葉だった。母さんが作る飯は本当に美味しいから。


「いってきます」


場末の昼でも殆ど光が差し込まない酒場と娼館が立ち並ぶ路地裏を海から湧く朝靄が包んでいた。そんな靄のはるか向こう、山の様にそびえ立つ王城を刹那睨み踵を返して。

百年祭。今回で8回目となる建国を祝う百年越しの、祭り。どこか浮足立った空気が国を包んでいた。

とは言え、何も変わらない日常が繰り返される。それは知っている。だがー……何らかの変化を渇望する自分も、またー……






「……いつまで偽りの家族ごっこを続けるつもりだ、シャヘル」


「さあ?それを決めるのは俺ではない。全ては因果の流れの中に。運命と神が人智を超越し人の子を玩ぶのが理であるならば、人の子が積み上げたものを持って運命と神に対峙するのは因果」


「……躯が転がるぞ。あいつの前に」


「それが因果と言うものだ。人は、あいつもお前も、そして俺自身も生き方すら自由に選ぶ事はできない。……出来なかっただろう?なあ、ミゲル?」


≪アルフォート≫
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