日常交流

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 

神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を 安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき 

此く依さし奉りし國中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし 

磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき 

此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て 

高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安國と平けく

知ろし食さむ國中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の罪出でむ 

此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻を 本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞を宣れ


【大祓祝詞】


雪雲の間から顔を出した冬の蒼い月が夜のシジマを照らす。けして広くはない庭の隅に植えられた常緑の松の葉に降る夜を一瞥し、俺は冷たい板張りの床にどかりとそのまま腰掛けた。

着物の間から乾いた夜風が入り込むが、今は却ってこの冷たさがありがたかった。じんじんと熱された体の芯を冷ましてくれるからだ。

一拍置き白い息を吐きだしながら、昼間彼女の父から授かった脇差を鞘から引き抜く。武骨な―………だがどこか繊細さも感じさせる鋼の刀身に昇り始めたばかりの下弦の月が映っていた。刃が下弦の光を浴びて三日月に光る。

「これだけは武士として最後まで手放さぬつもりでしたが……此度の引き出物として婿殿……キョウ殿に差し上げたい。
落ちぶれてしまったのは私の不徳と致すところ……ですが……老い先短い我が身なれば、娘を一人残して逝くのが不憫でならず……そのようなときにキョウ殿のような素晴らしい殿方とのご縁を戴くことができた。これぞ御仏のお導きというもので御座いましょう。最早この世に思い残すことなどございませぬ。どうか儂の娘を……十六夜を何卒よろしくお願い申す」


しわがれた声で途切れ途切れに言葉を紡ぐと、仏や神へ祈る時のように両の手を合わせた壮年の男の皺混じりの顔に幾筋も幾筋も涙が伝い流れていく。

刀は俺達、戦を生業にしている者達にとって魂と呼んで差し支えないものだ。それを差し出しながら日に焼けた畳に額を擦りつけるほど頭を下げる。―……その意味が分からぬほど自分は馬鹿ではない。

今、十六夜の父親は差し出したのだ。文字通り自分の魂を。娘と自分の魂、その両方を天秤にかけ迷わず魂を差し出す事を選んだのだろう。娘の、家族の幸せの為に。

何故赤の他人がそうと言い切れるのか。それは俺は武士だからだ。目の前のこの人と同じ武士だからに他ならない。守るべきものの為に己の魂を賭ける事は並大抵のことではない。この人は誉ある男なのだと、腹の底から理解した。


「俺は十六夜の対価にあんたから物を奪うつもりも、まして魂まで奪うつもりもないんだ。だが―……それじゃあ親父殿の気が済まないでしょう。だからこの脇差はありがたく頂戴させていただきます。親父殿がこうして俺に魂を預けてくれたんだ。俺も魂を賭けて誓います。あんたの家族を守る、と。あんたの魂と共に十六夜と、親父殿の事も守らせてくれ。……親孝行をさせて下さい。義親父殿」


三日月のように冴えわたる刀身に自身の姿が映る。映り込んだ自分の表情は、自分で言うのも何だが優し気で穏やかなものだった。






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「ま、待った!!!」


「ふふふっ、その待ったは何度目だい?キョウ。ほれ、王手飛車取り」


「あああああああああっ!!親父殿!!それは!その手だけは!!」


「あああっ!駄目ですよ!チョビちゃん!今そっちへ行っては……!!」


昨夜遅くからしんしんと降っていた雪も昼前には止み、家の庭にも松にも薄っすらと昨夜のボタ雪が積もっていた。冬の盛りを抜け出し春へと向かいつつある陽の光は優しく暖かなものだ。この様子だと今日中に積もった雪もすっかり解けてしまうだろう。

劣勢を極めている盤上の駒を今からでも巻き返せないかと唸りながら眺めていた、そんな時だった。酷く慌てた十六夜の声とやけに元気なチョビの声が耳に届いたのは。と、そんな声がしたかと思えば次の瞬間には盤上の駒がバラバラに吹き飛んでいく。チョビの体当たりに将棋の駒はあまりに無力だ。まあ、ほぼ負け確だったから有耶無耶になった方がいいと言えばいいのだが。


「二人ともすみません。チョビちゃん元気が余っているみたいで」


「ふふっ、チョビも体を持て余していたんだろう。早朝は雪が降っていて散歩に連れていってやれなかったからな。どれ、チョビ散歩に行こうか。今日は小春日和で暖かいだろう」


「きゃんっ!!」


親父殿の言った「散歩」という言葉が分かるのだろう。チョビはその場で自分のくるんと丸まった尻尾を追うようにぐるりと回ると一際嬉しそうに鳴いた。チョビは散歩とご飯とおやつという言葉が好きだ。

いそいそと門から出て行く親父殿とチョビを十六夜と見送る。チョビもだが親父殿も嬉しそうな顔をしていたな、と、俺も自然と口角が緩むのが分かった。


「チョビは本当に親父殿の事が好きだな。一番懐いている」


「ふふふっ……父上もチョビちゃんのことが大好きなようですから。チョビちゃんとあなたのおかげで父上も元気になったんです。キョウさん」


「……誓ったからな。あの日、親父殿に魂を賭けて貰って、俺も賭けたんだ」


朝や夕なにほころび始めた梅の花が咲く。木々の間に間に春の彩りが揺れていた。芽生える命が汀に満ち、確かに彼女の腹にも宿る。


「体は、大丈夫かい?」


静かに彼女の細い身体を抱き寄せ翼で覆えば、月下美人のかぐわしい香りが鼻腔を擽った、愛しい人の香りだ。

今、世は乱れに乱れている。御館様が治めるこの場所も例外ではない。全てを守ろうとははなから考えちゃいないが、俺は誓ったんだ。この脇差に。誉ある生き方をする事を。必ず家族を守ることを。

「十六夜、お前も家族も必ず守る。守らせてくれ」

綾なす縁に、幸いが降るように。


≪壬生キョウ≫
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