日常交流


灯火を灯して隠れたところや升の下に置く人はいない。燭台を上に置いて入ってくる人達に明かりが見えるようにする。

目は体の灯火である。目が健やかであれば全身が明るい。しかし、目を患えば体は闇となる。

だから、あなたのうちにある光が闇にならないよう気を付けなさい。もし、あなたの全身が明るく、少しも闇の部分がなければ灯火がその輝きであなたを照らす時のように全身が灯りに満ちたものとなる。


【ルカによる福音書 第11章】






「……父上」


「……なんだ藪から棒に改まっちまって……」


「ずっっっっと聞きたかったんだが、父上はなんであんなに四六時中やかましい台風みてーな母上と結婚したんだ?何で娶ろうと思ったんだ?うっせーのに」


庭の梅の木の蕾が膨らみ始めたばかりの冬の始まりのある日のことだ。

からりと晴れた冬の青空に一つ、盛大なむせ声が響く。小春日和の暖かな陽の光で包まれた縁側に父と二人腰掛けて青い空を仰ぎながら馬鹿げた質問をした遠い日の事を、ふっと思い出した。



「今日はとても暖かいですね、旦那様。小春日和ですよ」


「ん。確かにここはあたたけーな。千代、屋敷での生活にも慣れたか?……これが取りたいのか?」


「あっ、ありがとうございます!旦那様!」


「相変わらずちっせーな、千代は。ほれ、裁縫箱。高い所にある物が取りたい時は素直に台を持ってくるか……じゃなきゃ俺を頼れ、な?」


ピョンピョン、とニ・三度野ウサギのようにその場で跳ねてから恨めしそうにする千代の後ろ姿に、自分の唇が自然と弧を描くのが分かる。もう少し涙ぐましい努力を続ける千代の姿をニヤニヤ見ていても良かったんだが―……

そのままにしておくと無理矢理取ろと彼女が足掻いた結果箪笥が倒れてくるかもしれねえからな。そうなる前に止める判断はけして間違いではない、と俺は思う。実際一回危ない事があったからな。


「旦那様!今日のお仕事はもうおしまいなんですか?」


「午前の分は、な。まだ午後の分は残ってる。でも今は休憩だ。ずーーーーーーーーーっと根詰めてたら肩が凝っちまう。久賀が手伝ってくれてるからこれでもマシな方なんだろうけどな」


自分の首の後ろに添うように手の平を当てて首を横に倒せば、コキリと小気味がいい音が鳴った。戦闘狂いというほど血の気は多くはないが、四六時中書類や数字と睨めっこをするよりかは身体を動かす方が性に合う人間なのだとつくづく思う。弟の久賀がいる分全部一人でやっていた父上よりはラクなんだろうが―……改めて親の凄さが身に染みる。


「ふふっ……だいぶお疲れのご様子ですね、旦那様。あと半刻もすれば白いご飯も炊きあがりますから。……ここで少しお休みになられてはいかがですか?」


「そうさせてもらうわ。縁側気持ち良さそうだしな。千代、ほれここだ」


軽く自分が座った真横の板を叩けば、意味が分かったのだろう。にこりと笑みを浮かべて千代は俺の隣に腰掛けた。

呼べば答えてくれる。名を呼べば微笑んでくれる。千代にとっては息を吸うように当たり前のことなんだろうが、その仕草や態度が可愛らしいものとして自分の目に映るのはやはり惚れた弱みというやつだろうか。

お互い名しか知らないような状況での結婚だったが、悪いもんじゃない。いや、むしろとてもいいもんだ。と、隣で針仕事を始めた千代の優し気な横顔を見つめながら噛み締める。穏やかで暖かい、陽だまりのような、時間。



「……どうかされましたか?」


「いや、器用なもんだと思ってな。……今縫ってるのは鉢巻か?」


「はい。為広様がご無事でありますように、と願掛けをしながら刺繍をしていたんです。ふふっ……私は加護縫いは出来ないのでその真似事ですけれど―……旦那様!?」


「お前ってほんっっっっっっとうに!可愛いな!!!」


愛おしさが溢れる。感情が溢れるままに彼女の華奢な身体を抱き締めれば、苦しいと訴えよように軽く胸を叩かれた。その仕草すら愛おしくて、可愛らしくて、堪らない。


「おっと、悪いわるい。つい、な」


「少しだけ苦しかったですけれど……大丈夫ですよ、旦那様」


お互い名前しか知らない状態で結婚した。それは間違いない。だが、少なくとも今の俺は心底この小さな女に惚れている。


「そうだ。千代に渡したいものがあったんだ。こういうものを買うのも贈るのも初めてだから、なんだか恥ずかしいんだけどな……喜んでもらえると嬉しい」


照れを隠すように”それ”が入っている小箱をずいっ、と千代の前に差し出した。今の流行り廃りなんてわからねえ。それ以前にどんな物を贈れば女は喜ぶのか、それすら知らねえ。

が、思ったんだ。久賀と夜市の見回りをしている時、吸い寄せられるようにそれを手に取っていたんだ。『これを髪に飾った千代が見たい』と、そう思った。


「これは―……白梅の簪……でしょうか?」


「千代の黒い髪に似合うと思ってな。気に入らなかったら付けなくていいぞ?俺が勝手に千代に贈りたいって思っただけだからな」


母上となんで夫婦になったか、か。そりゃあれだな。あれが灯火の目をしていたからだ。目は体の灯火だ。目が健やかなら全身は明るい。だが、目を患えば体は闇になっちまう。あいつはな、お前達の母は俺にとっての灯火なんだ。灯火が輝きで照らすと全身が灯りに満ちたもんになる。いつかきっと分かる時が来る。お前や久賀が大人になった時に、な。


父は母を灯火と呼んだ。なら俺は?俺にとっての灯火、それは―……


≪平塚 為広≫
56/69ページ
スキ