日常交流

あなた方は持っている確信を、自分の為に神の前に持ち続けなさい。行うおうと決心した事について、心に疑いを持たない人は幸いです。疑いを持ちながら食べている人は、確信に基づいていないので罪に定められます。確信に基づいていない事は全て、罪なのです。

私達強い者は、強くない人達の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。私達、一人ひとりは互いに役立つように、隣人を満足させるべきです。

御子も自分の満足を求められませんでした。むしろ、「あなたを謗る者の謗りが私の上に降りかかった」っと書き記されている通りです。

前の時代に書かれた事は全て、私達への教訓として書かれたもので、聖書が与える忍耐と励ましによって、私達が希望を持ち続ける為です。

忍耐と励ましの源である神が、あなた方に御子に倣って互いに同じ思いを抱かせて下さいますように。

それは、心を合わせ声を揃えて、私達の主、御子の神であり父である方を讃える為です。


【ローマの人々への第一の手紙 第15章】






「……まだ眠いの、ウェイ?」


「少し……まだ……ちょっと……」


東の空から顔を出した太陽が夜の底で震えていた空気を少しずつ暖めていく。窓から吹き込む朝の衣を身に纏った風が、少し陽の光に褪せた白のレースのカーテンを躍らせ絡ませていた。

まだ夢の世界に自分の半分が残ったままなのだろう。前後に櫂を漕ぎ、重たく垂れ下がりくっつきそうになる目蓋を両手で擦り欠伸をしたその子の様子に、思わず小さな笑みが自分の口元から零れて落ちる。


「隣町に丁度サーカスの集団が来ているみたいよ、あとで覗いてみましょう」


「はあい……」


すっかり指通りが良くなった流れるような細く柔らかな髪を、一房、一房、下から上に向って丁寧に櫛で梳く私の耳に彼女が再び溢した欠伸の音が届く。

信頼の現われ……なのだろうか。酷く無防備に私に体を預けてくれる彼女を見ていると、じわりとした暖かなものが胸に広がっていくのが自分でも分かる。土に水を撒いた時のように、空っぽのお腹に一匙、温かなスープを入れた時のように。

この子を保護し、初めて安宿で朝を迎えた時には、こんな日が来るようになるなんて思わなかった。

あの日、私をナイフを握り私を傷付けようとした少女の手に今握られているのは、彼女が一番気に入っている二本の黄色のリボンで、あの日声を上げて大粒の涙を流していた少女が今浮かべている涙は、大きな欠伸をした後のもの。


「ウェイ、今日のリボンはそれにする?」


「はい、お姉様!今日はこのリボンがいいですわ!」


「ふふっ……今日はじゃなくて今日も、じゃないかしら?」


ほんのり指先が薄桃色に色付く彼女の手からするり、と黄色のリボンを受け取り、艶やかな彼女の髪を結び束ねた。後れ毛がないように櫛を使いまとめ、高い位置でまずは一つ。


「むう……お姉様、三日前はピンクのリボンでした。それに昨日は黄色でしたけど、いつもとは違う三つ編みでしたわ。毎日同じじゃありません」


「ふふっ……そうね」


可愛らしく丸い頬っぺたを膨らませて、唇を尖らせた少女と鏡越しに視線が交じり合う。少し拗ねた様子を見せる彼女に再び自分の口から笑みが零れて落ちる。


「はい、できました。どうかしら?」


もう一本、彼女が持っていたリボンを受け取り先程束ねたものと同じ高さで結び、終わりの合図として背中をポン、っと一度軽く叩き押した。結んだばかりの金の髪がふわりと揺れる。


「さあ、顔を洗って来て。それが終わったらご飯にしましょう」


「は~い!」


パタパタと軽快にスリッパの音を響かせて部屋を出て行く彼女の背中を見送り、一つ息を吐き出した。あの日、雪の中で見た汚れて固まり針のようだった彼女の髪は、今では柔らかな糸のように揺らめき、彼女の背中で踊っている。


「……」


すっと、鏡台の一番上の引出しに手を伸ばし、小さな引出しを引き出した。その中から木箱を取り出し、蓋を持ち上げる。敷き詰めた綿の上でそれは鈍色に煌めき、輝いていた。

折れたナイフの刃と木の柄が朝の光の中、異質で硬質な光を放つ。

これは、彼女を、ウェイを保護した時に彼女が唯一身に着けていたものだ。彼女が意識を失ったその後で雪の上に転がったそれを布で包み拾った。

私が折ってしまった彼女の本当の家族と彼女とを繋いでくれる―……かもしれないただ一つの手がかりを。

私がウェイと初めて会った時、彼女はまさに浮浪者の孤児という出で立ちをしていた。髪はゴミや脂でバリバリに固まり、身体を薬湯で洗ってやれば泥と共に大量の垢が出た。……その時見てしまった。彼女のまだ幼い体に刻まれた古い傷跡を、真新しい傷跡も。……彼女が決して恵まれない生活を送って来たという事は明白だった。

それに……と、一度目蓋を伏せ窓の外へと視線を向ける。彼女の瞳と同じ色をした空を見上げる私の頬を風が見えない手を使い撫でていく。

おそらく彼女の中には天使と獣が同居している。今は私の部隊で訓練と称して自分でコントロールする術を学ばせようとしているが―……時折、彼女が見せる破壊衝動は全てを壊し害して、自分自身も虚無へ還りたいという強い死への憧憬から来るものなのだろうか。だとするならば何故?小さな子供でしかない彼女がそのような憧憬を抱くようになったのだろうか?

何故?どういったきっかけで?誰のせいで?私は―……


「カタリナお姉様~?」


「はーい。今行くわ。ウェイ、パンにイチゴのジャムを塗っておいて。二人で焼いて食べましょう」


ふるりと考えを払うように首を左右へと振り、木箱の蓋を閉じた。元の場所へと静かにしまって。ウェイが待つ部屋へ繋がる階段を一段ずつ降りる。

……彼女がどうしてそのような獣を自分の中で飼う事になったのか、それは私にもわからない。けれど、もし、彼女が飢えているというのならば与えてやりたいと今はそう思っている。家族がいない寂しさは何より自分自身よく分かる感情だから。

愛してあげたいの、あの子を。

いつかウェイが大きくなった時、彼女が本当の家族を探しに行きたいというその時まで折れたナイフは私が預かるつもりだ。本当の家族に会える時まで私が彼女の家族になろう。偽り、だけれど。

ナイフの代わりにリボンを、身の危険の代わりに安全を、虚無への憧憬ではなく生への憧憬を、渇きの代わりに愛情を。

ふかふかとしたパンから立ち上る香ばしい香りが、黄金色のオムレツの上でトロリと溶けたバターが、野菜を入れて煮込んだスープから立ち上る湯気が朝を彩っていた。


「できた!じゃあ、食べましょうか。今日は隣町まで行くから沢山食べておかないとね」


幸せに、なれますように。


≪カタリナ・アレクサンドリア≫
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