日常交流
「あぁあ……! やっちゃったやっちゃったよー!」
ばたばたと薄い布団を足でけるエテルの顔は、真っ赤に染まっている。枕から顔を上げたものの、思い出したのか今まで以上に赤く染めると、もう一度枕に顔をうずめてぐりぐりと押しつける。
「確かにドジはたくさんしてるけど! 今まで誰かに……キス、したことなんてなかったのに! もう! 私のバカー!」
それだけでなく、謝罪もそこそこに逃げてきてしまったのだ。おかげで、名前すら知らない。わかっているのは容姿と、自分をかばってくれたたくましい腕の感覚。そして――。
「ああー! もう! だからなんで思い出すのー!」
ばったんばったんとするエテルであったが、幸か不幸か仲間たちは全員出払っていて彼女の奇行につっこむ者は誰もない。見られてもそれはそれで言い訳ができないので、よかったのかもしれないが。
「しかもあの後、私は名乗ったけど恥ずかしすぎで逃げてきちゃったし……。どこかで会ったら謝らなきゃ」
そもそもこの不安定な情勢で、いつどこで出会えるのかという考えは、今の彼女にはない。そしてそれを教えてくれる人もいない。
エテルの悶えは、結局仲間が帰ってくるまで続いたのだった。
それからしばらくして。情勢も落ち着き、エテルはふらりと街へと出かけていた。いつか会った時に、彼に詫びの品を選ぶためだ。露店を回ってみて――結局、前に買っておいしかったお菓子にする。贈り物を渡すということ自体ほとんど経験がなく、どうしたらいいのわからなくなる。
「一応綺麗に整えてはもらったけど……これで、良かったのかな」
「誰かへの贈り物にするのかい? そのお菓子」
袋に入ったそれを見ながらエテルがつぶやいた言葉を、店主が拾い上げる。エテルはその言葉にこくりとうなずいて口を開いた。
「そうなんです。でも私贈り物したことがないから、どういうものをあげたらいいのかよくわからなくて」
「お菓子でもいいけど、なんとなく味気ないし……そうだ、こんなのはどうだ?」
「……これは、なんですか? いろいろなひもが編んである?」
「ああ、そうだ。東の外つ国から最近入ってきたもので、組紐というんだ。きれいだろう?」
「そうですね。とてもきれい……!」
「今、ちょっとした贈り物として徐々に売れてきているんだよ。お嬢さん、1つどうだい?」
今ならお菓子も買ってもらったから安くするよ、と言われて、エテルは小さく苦笑した。商売上手な店主だ、こうやっていろいろな人に売っているのだろう。たくさんの種類を出してきた店主にお礼を言いつつ、ひとつひとつを吟味する。
「――あ、これ……」
ふと手に取ったそれが、なんとなく彼を思い出させる色合いだと思った。気づけばそれを握りしめて、店主へと差し出していた。
「この色で、お願いします」
「まいどあり!」
選んだ組紐とお菓子を綺麗に袋に入れてもらい、エテルはほくほくしながら笑顔の店主に見送られて店を後にした。あとは、彼に会った時に渡すだけだ。渡すだけ、なのだが。
「――そういえば、お菓子買っちゃったけど……あんまり、長持ちしないかも?」
焼き菓子とはいえあまり長くは置いておけない。そして、いつ会えるかわからない。今更のようにそこにたどり着いたエテルは、いろいろと抜けきっている自分に笑うしかなかったのだった。
一通り店を回り、そろそろ帰ろうかと思い立つ。時間を確認すれば、そろそろもどらなければいけない時間だ。ちょうどいい、とエテルは人の隙間を縫うように歩き、ふらりと細い路地に入った。この路地を抜けると近道になる。そこを少し足早に歩くと、すぐに別の大通りが見えてくる。
ふと大通りへと目を向けて、エテルはその琥珀色の瞳を大きく見開いた。
「あ――! あの時、の!」
エテルの目に入ったのは、あの時の彼、だった。あの時とは違いラフな格好をしているが、癖のある茶髪や、顔立ちを見間違えるはずがない。――あれだけ、至近距離で見たのだから。
気づけばエテルは、法衣の裾を持ち上げ、走り出していた。偶然にせよ、こんなに早く再会できるとは思っていなかった。それに、この機会を逃してしまえば、次に会える時はいつなのかわからない。もしかしたら会えないかもしれない。
――それは、嫌だと。確かに、そう思ったのだ。
路地を抜けて、大通りへと出る。彼は人ごみに紛れようとしていたが、まだ見える範囲にいた。
「待って、ください――!」
声が届いたのかはわからない。エテルの声はかき消されなかったものの、店や行く人で上書きされ、届く距離ではなかったはずだ。
だが、彼は振り返った。人ごみをかきわけ走ってくるエテルを見たのだろう、その瞳が大きく見開かれる。
「よかった。気づいて――あっ!!?」
「!? あぶねえ!!」
エテルが法衣の裾を踏み、思い切り躓くのと、彼が思わず手を伸ばしたのは同時だった。思わず目をつぶったエテルは、衝撃がいつまでたってもこないことを疑問に思い、おそるおそる目を開ける。その目に映ったのは。
――彼が、自分の下にいる――下敷きになっている――姿だった。
彼が下敷きになっているということは、エテルが馬乗りになっているということであり。視線を下にもっていけば、彼のちょうどお腹に当たる部分に自分が乗っていることがわかる。
要は、転んだ際にエテルが彼を押し倒し――上に乗っかってしまったのだ、ということに思いいたり、エテルは大慌てで飛びのく。
「あああぁあ!!? すいません違うんですすいません!!!」
「だから、落ち着けっての……。なんかデジャビュだな……」
「すいません! 私、本当にドジで……! 何と言ったらいいのか!」
「あー、わかったわかった。わかったから、一回落ち着け。ここじゃ注目浴びすぎる。移動するぞ」
「はっ、はい!」
通行人の注目を集めていることに気付き、エテルはぎゅっと口を結んだ。彼に手を引かれ、手近な路地へと入る。大した距離でなかったが、歩く間に少し心を落ち着けることができ、エテルは深く息を吐いた。
「で。……あー、久しぶり、でいいのか」
「そう、ですね。久しぶりです。先日は本当に申し訳ありませんでした!! あの、これ、先日のお詫びの品です!」
「は? あんた、そんなの準備してたのか。いや、別にいらねえよ」
「それじゃ困るんです! 私が……あんな、こと、してしまったから。これは、私からの気持ちなんです。受け取ってください!」
「……引かない、か。じゃあ、これでチャラな」
彼が何を思っているかは読み取れないが、受け取ってもらえそうだとほっとする。そして袋を開けた彼が、お菓子を取り出した。――転んだ衝撃で、無残な姿になった、焼き菓子を。
「――って、ああぁあ!!? ごめんなさい! さっき転んだせいで……!」
「だからあんたは少し落ち着け。別に、そんなに粉々になったわけじゃないんだから、食える。……ん? まだなんか入ってんのか?」
「あ、はい。……組紐、というものです」
「組紐? これか」
「そうです。なんとなくあなたに似合いそうだなって思って買ったものなので……いやだったら、捨ててもらっても構いません」
「人から貰ったものを捨てるかよ。あんた、本当律儀だな」
くすりと、彼が笑う。その微笑みはどこか柔らかく、あたたかい。どきりと、心臓がはねたような気がした。
「――そうだ、ちゃんと自己紹介してませんでした。私はエテル・ベネディと言います。エテルと呼んでください。前回と、今日と……本当に申し訳ありませんでした」
「もう謝罪は聞き飽きたからいらない。これでチャラだって言ったろ。――俺は、メドラウト。好きに呼べ」
「メドラウトさん……、ですね。どうか、よろしくお願いします」
いろいろありすぎたが、どうにかこうにか謝罪できた。彼――メドラウトと別れた後、いつもよりも気分が上昇したまま、帰途へとつく。
「メドラウトさん……また、会えるかな?」
なんとなくまた、会えそうな気がする。何の根拠もないが、そう思うエテルなのだった。
