日常交流

そして、弟子達に仰せになった。「あなた達はこの喩えが分からないのか。そんな事で、どうして全ての喩えが理解できようか。種を蒔く人は御言葉を蒔くのである。御言葉が巻かれた道端のものとは、こういう人達の事である。即ち、御言葉を聞くとすぐに悪魔が来て、彼らのうちに蒔かれた御言葉を取り去ってしまう」

「岩地に蒔かれたものとは、御言葉を聞くとすぐに喜んで受け入れるが、彼らには根がなく、一時的なもので、後になって御言葉の為に艱難や迫害が起こるとすぐに躓いてしまう人達の事である」

「また茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くがこの世の思い煩いや富の誘惑、またその他の色々な欲望が彼らの内に入って来て、御言葉を覆い塞ぎ、実を結ばない人達の事である」

「そして善い土地に蒔かれたものとは御言葉を聞いて受け入れ、ある者は三十倍、ある者は六十倍、またある者は百倍の実を結ぶ人たちの事である」

また、仰せになった。「神の国は大地に種を蒔くようなものである。種を蒔く人が夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出し成長する。しかし、種を蒔いた人はどうしてそうなるのかを知らない。大地は自ら働き、初めに苗、次に穂、次に穂の中に豊かな実を生じる。実が熟すと種を蒔いた人は直ちに鎌を入れる。刈り入れの時が来たからである」

また仰せになった。「神の国とは何になぞらえようか。また、どんな例えで言い表そうか。それは一粒の芥子種の様なものである。芥子種は土に蒔かれる時は地上のどんな種よりも小さいが、蒔かれると同時に伸びてどんな野菜よりも大きくなり、その陰に空の鳥が宿るほど大きな枝を張る」


【マルコによる福音書 第4章】






幻燈……それとも星の……海?あたたかな光の一筋も差さない深海の底……?

私の足元を何かが攫った。波打ち際に裸足で立った時の様に時の砂ごと私を攫う。

……怖くなかったと言えば嘘になる。だってここは一面寄る岸辺もない星の海に覆われていたから。けれど……一度は綴じた目蓋を恐る恐る開ければ遠く微かに青く輝く何かが見えた。あれは……


「……花?どうして……?海の底なのに?」


目を凝らしてよく見ればそれは花だった。ユミユリやサンゴの類ではない。若い星々の集まりでもない。地上でよく見る、あの、花。青く小さな花の群生がふるり、と震えていた。それは、酷く心細げで、儚げで……今にも誰に目にも届かない深淵の奥に溶けて、消えて行ってしまいそうだった。


「お前はどうしてこんなところに?どうして寂しく咲いているの?」


花弁がぶるり、と震える。私の問いに答えるように。……花が答えるなんてそんな事あるはずないのに、そう思った。答えていると。ハラリ、と一房私の背で咲いていたー……いや、私の背で枯れていた花が落ちる。


「……これが欲しいの?枯れてるけど……それでもいい?」


無風の中、薙ぎの中で青い花が揺れている。幸せそうな、それでいてどこか哀しげな、不思議な笑みを浮かべているように見えた。

何者にも邪魔されない静けさがあった。花が頭を垂らし花弁を閉じ眠りに就いていく。何者にも侵される事のない静かな眠りへと。優しい沈黙を褥に、安らぎに満たされる様に。

ふっ、と視線を上げれば先へ先へと印の様に青い花達が咲いていた。いくつも、いくつも。何故だかその瞬間、私の周りで固まっていた時間が緩やかに解けて、音もなく溶けだして行くような……そんな気がした。


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「カタリナ隊長、ウェイは?」


「……ようやく寝てくれたみたい。このところ行軍続きでウェイの気も立ってるのかもしれないわね。ジニーも夜警、お疲れ様。変わるわ。あなたも仮眠を取って」


「僕はまだ交代してから一刻ぐらいしか時間がたってないから大丈夫だよ。カタリナ隊長こそちゃんと寝て来たの?」


よく乾燥した木の枝が火のよって爆ぜ、無数の小さな火の粉の群れが踊るように舞っている。幻燈の様に夜を照らしている火越しに仲間……ジニーを見つめゆるゆると首を数度横へと振った。


「ウェイと一緒に寝てたけど……途中で起きちゃって……目を瞑っていてももう眠れそうにないからいっそ起きていようかと思って……」


「ちょっと、大丈夫なの、それ。明日の行軍に響かない?隊長が倒れたら誰が隊の指揮をするのさ」


「あら?私は自分の部隊をそんな軟弱集団に鍛えたつもりはないわ。……この先何があるか分からないもの。何があるか分からない。その時頭が潰されたから動けないでは困るの。……誰かがすぐに次の頭にならなくちゃ……」


赤い、あたたかな火が足元からしんしんと這い上って来る冷気を私達から遠ざける。その火をぼんやりと見つめながら幕屋の中に残して来たウェイの顔を思い浮かべていた。出掛けに私の分の毛布も被せて来たから寒くないとは思うけど……大丈夫かしら。


「……ごめんなさい、ジニー」


「何?どうしたのさ、急に?」


「あなた達を日陰者にしてしまった。私について来なければ、こうして敗残兵の憂き目にあう事もなかっただろうに。あなたもウェイも、他の皆も」


港町に難民と共に赤軍の大群が押し寄せている。

そうサフォー様から言われて隊を率いて来たけれどそれは赤軍の陽動作戦でー……王城が落ちたと報を受けた時、ガラリ、と地面が崩れ落ちた感覚がしたのを今でもはっきり思い出せる。


「……仕方ないよ。あの時は情報の真偽を問わず戦力を裂く必要があったから。あそこを万が一にも落とされたら王都を守り切ったとしてもすぐに兵糧攻めに遭うのが目に見えてた。あの街は物資流通の拠点だからね。だから、カタリナ隊長が言った事はいわゆる結果論」


「だけど、王都に残れば……いや、私の隊に所属してなければこうして追われる事もなかった」


私は教皇直属ではないけれど側近である枢機卿の直属の部下だったから……サフォー様の部下だという事は公表はしていなかったけれど、今こうして追われているという事は赤軍は私とサフォー様の関係に気付いている。間違いなく。

……サフォー様は知っていた。昨日起きた虐殺の真相を。そして、私も。だって、私が彼にそう報告したんだから。旧教徒の襲撃を受けたあの日、教徒達に混じるように赤軍兵の姿があった。赤軍が場を鎮圧しに現れる、その前の話だ。


「言ったでしょ?結果論って」


「でも、ジニーも王都に置いて来た人がいるんじゃない?会いたくないの?いいの?」


「ん~……レイはちょ~~~っとは寂しがってくれるかもしれないけど……もう一人には何を期待しても無駄だろうしね。隊長はどうなのさ?」


「ウェイはここにこうしているから。残して来たものはないわ」


パキリ、と再び音が響き火の粉が夜に舞った。昼の光の下で見るよりも薄い影が伸びて、縮む。……残して来たものなど何もないはずなのに、どうして、この瞬間にあの教会の庭を思い出したんだろう。私が種を蒔いた庭を。……庭に蒔いた種は今頃発芽し、芽を伸ばしているのだろうか……


「……アテはあるんでしょ?これから先の」


「恐らく……あの修道院なら私達の事も受け入れてくれるはず……あそこは王家ゆかりの場所だから。今や教皇や旧教会の威光は地に落ちてしまったけれど赤軍と言えどもあそこには簡単に手を出す事は出来ないわ。あそこは聖王が生まれて育った場所だから。聖王の事を敬愛している民衆は今でも多い。そこを無体に潰したとなれば反発は免れない」


そこまで言葉を紡いで口を噤んだ。そこへ無事逃げ込んだとしてはたして思ったように行くのだろうか。そんな保証は……


「ん!!?」


「ストーーップ。もうそんな顔やめなよ。士気が下がるだろ?」


ふにり、と自分の唇を何かが押した。数度瞳を瞬かせれば、悪戯を成功させた子供の様にニタリと笑うジニーがすぐそばにいた。


「そこに行くしかないんだろ?どのみち王都への退路はないんだ。ついていくよ、みんな。あなたが僕達の大将なんだから」


「……そうね。敗軍の将だけど、皆には着いて来てもらうしか……」


「違う。カタリナだから着いて行くんだ。あんた知らないかもしれないけど、結構慕われてるよ。少なくとも自分の部隊の兵達には、ね」


その瞬間、自然と笑みが零れた。作ったものじゃない、湧くような、そんな笑みが。皆が来てくれるというのなら、私がする事は一つ、ね。背負いましょう。あなた達の事を。


「あ~……でもこんな辺鄙な場所に集落なんて本当にあるのかな~?」


「もう少し行くと妖精族の隠れ里があるはず。物資もそろそろ補給しないといけないし……ひとまずはそこを目指しましょう」


「久々に土の上じゃなくてベッドの上で寝たいよ~。……ってか、今更だけどカタリナ隊長って本当はそういう喋り方だったんだね」


「あら、変?……仕方ないじゃない。騎士団には男の方が多いし……気を張り詰めると普段の口調になっちゃうのよ」


「んーんー。ちょっと意外だったけど悪くないんじゃん?」


「ふふ……ありがとう、ジニー」


この先の分かれ道で何があってもこの子達は大丈夫。……そう、私が育て、鍛え上げたんだから。

高く登った上弦の月が半円の船となって星の海を渡っていた。


≪カタリナ・アレクサンドリア≫
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