日常交流
あなた方は地の塩である。もし塩がその持ち味を失ったなら、どうやってそれを取り戻す事が出来るだろうか。
もはやその塩は何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人に踏み付けられるだけである。
あなた方は世の光である。山の上にある町は、隠れる事は出来ない。
灯火は灯して、升の下に置く人はいない。燭台の上に置く。こうすれば、家にいる全ての人々の為に輝く。
このように、あなた方の光を人々の前に輝かせなさい。
そうすれば、人々はあなた方の善い行いを見て、天におられるあなた方の父を褒め称えるであろう。
【マタイによる福音書 第5章】
「悪い空気を吸った人がいると聞いたの、だから……薬を持って……」
目蓋の上を硬い何かが掠める。痛みと共に熱いのか冷たいのかよく分からない感覚が刹那巡って、そのまま後ろへと尻餅をつくように倒れ込んだ。
一筋ぬるりとした水が目蓋を、そして頬を伝って落ちて行く。ポツリ、落ち、ひび割れ渇いた土に吸い込まれていった水の色は少し黒ずんだ赤色をしていた。
魔女と魔の使い魔と、何故村の人々が石を投げながら口汚く罵るのか……その理由があたしには分からなくて、それが皆の本音なのかどうなのか考える事も出来ずに自分の前にずらりと並んだ人達の憎悪に満ちた顔を順繰りに呆けた様に、見上げていた。
「去れ。この村は厳格な旧教徒の村だ。この村の者は魔女の一切の介入を嫌う。……俺も含めて。帰れ、ここにはお前からの施しを受けようと思う者などいない」
一人、また一人と村人があたしに背を向けて去って行く。老人、青年、子供ー……皆一様にさげすむ視線を投げかけて胸で十字を切り踵を返して
村の入り口に影が二つ、伸びていた。一つはあたし、もう一つは最後までこの場に残った全身を黒の法衣で包んだ黒い男の人の、影。夕間暮れの逆光の中、悪魔祓いの証である黒衣が靡き翻っていた。
膝を折ったその人とあたし。瞬間、虚空で視線が絡み混じり合う。あたしの手を取り立ち上がらせると、その人もまた他の人と同じ様に踵を返し村の中へと消えて行った。最後にもう一度「去れ」と告げて。
……その村が流行り病の黒死病が原因で滅んだ事をあたしが知ったのは、村が滅んでから随分と経ってから、だった。
「ふん……また来たのか、小娘」
「……誰かと思えばなぁ~んだ塩の魔女さんか~びっくりさせないでよ~」
一陣、潮を纏った風が往く。流行り病の拡大を恐れた教会から焼き討ちにされた廃村を慰める様に僅かな旋律を奏でて撫でて行く。キィイ……と、悲鳴を上げて焼け爛れた鉄の錠前が切れて落ちて行った。
「教えたはずだ。この村で起きた事は神が造り出した世界でのほんの小さな出来事だ、と。言い換えれば全てはヤハウェが望みし事。お前がしている事も私がしている事もこの世界のほんの一欠片。全てはヤハウェの手の中の出来事だ」
「だって……薬があればもしかしたら救えたかもしれないじゃん!病がなければこの村が教会に焼き討ちにされて滅ぶ事もなかった!」
「だが、村人は誰一人救いを求めてはいなかった。少なくともお前の救いは、な。ここの村人が一度だってお前に薬をねだった事があるか?……お前のその感情は身勝手な押し付けのエゴにしか過ぎない」
塩の魔女が紡いだその言葉に、瞬間、体が熱を持った。湧き出した感情をそのままになじり詰め寄りぶつけるあたしを、異端の証を纏う魔女は佇み、口を真一文字に結び、その灰色の瞳で見下ろしていた。
塩の魔女の法衣の裾が風になびく。胸を叩くあたしの手をすり抜けて前へ歩を進めると、魔女は膝を折り両手を組み双眸を静かに閉じた。魔女が背負った黄色十字が逆光の中、やけに鮮明に浮かび上がっていた。
「魔女なのに、異端者なのにヤハウェに祈るんだね、ロトは」
「ああ。かつてここに住んでいた者達がそうしていたように」
「……ねえ、教えてよ、ロト。皆を救いたいと思う事はおかしなことなの?花が欲しいという女の子にお花を贈る事、病気の人を治したいと薬を煎じる事、戦争がなくなって皆平等になればいいと願う事は驕りなの?」
「人には人のできる範囲がある。それが人の世というものだ。そしてそれが世の中だと言うのならば人はそれを受け入れる必要がある。……今回の内乱だって元はと言えば神ではなく人同士が始めたものだ」
ああ、だからあたしこの人が苦手なんだ。シンプルに切り詰めて考えるこの人の考え方が。正しいと感じてしまうから、苦手なんだ。
「一人で全てを何とかしたいというのなら……止めておきなさい。それはヤハウェでも成し得ない、成し遂げらてない事ー……無駄な事だ。私達に出来る事はいつでも小さな事だ。小さな事を大きな愛を込めて成す事しか、私達人は出来ないんだよ」
++++++++++++++++++
「ノルンさぁ~ん!この薬の配合本当にこれで合ってるの~?」
「うん……いいはず……だったんだけど……」
「明らかにヤバいよね。色とか臭いとか」
「……」
「ちょ~~~~っと否定してほしかったなー!カボちゃんそこはノルンさんに否定してほしかったなー!!」
グツリ……と大釜が禍々しい音を立てる。大釜の中身をかき混ぜるために突っ込んだ先がなくなった、もとい先っぽが溶けた木べらと、非常に神妙な面持ちで何とも形容できない色へ変貌を遂げた薬湯を見つめるノルンさんとを交互に見つめて大きく一つ息を吐き出した。……また失敗だよ、これ!!
「やっぱり薬草が良くないのかしら……少し休憩にしましょうか?今、パンを持ってきます」
「さんせーーーい!朝からずーーっと混ぜててくたくただよ~!」
大の字になり四肢を床へと放り出せば、天窓から差し込んだ光が部屋のほこりと乱反射をして薄ら光の柱を掛けている光景が目に入る。パタパタ、と足音を立てて奥へ引っ込むノルンさんを見送ってもう一度息を溢し瞳を閉じた。頬にひんやりとした心地良さを感じながら。
『全てはヤハウェの手の中の出来事だ』
『私達に出来る事はいつでも小さな事だ。小さな事を大きな愛を込めて成す事しか、私達人は出来ないんだよ』
……ロト、あたしには当分……ロトが言った事は分かりそうにないよ……
≪カボちゃん≫
もはやその塩は何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人に踏み付けられるだけである。
あなた方は世の光である。山の上にある町は、隠れる事は出来ない。
灯火は灯して、升の下に置く人はいない。燭台の上に置く。こうすれば、家にいる全ての人々の為に輝く。
このように、あなた方の光を人々の前に輝かせなさい。
そうすれば、人々はあなた方の善い行いを見て、天におられるあなた方の父を褒め称えるであろう。
【マタイによる福音書 第5章】
「悪い空気を吸った人がいると聞いたの、だから……薬を持って……」
目蓋の上を硬い何かが掠める。痛みと共に熱いのか冷たいのかよく分からない感覚が刹那巡って、そのまま後ろへと尻餅をつくように倒れ込んだ。
一筋ぬるりとした水が目蓋を、そして頬を伝って落ちて行く。ポツリ、落ち、ひび割れ渇いた土に吸い込まれていった水の色は少し黒ずんだ赤色をしていた。
魔女と魔の使い魔と、何故村の人々が石を投げながら口汚く罵るのか……その理由があたしには分からなくて、それが皆の本音なのかどうなのか考える事も出来ずに自分の前にずらりと並んだ人達の憎悪に満ちた顔を順繰りに呆けた様に、見上げていた。
「去れ。この村は厳格な旧教徒の村だ。この村の者は魔女の一切の介入を嫌う。……俺も含めて。帰れ、ここにはお前からの施しを受けようと思う者などいない」
一人、また一人と村人があたしに背を向けて去って行く。老人、青年、子供ー……皆一様にさげすむ視線を投げかけて胸で十字を切り踵を返して
村の入り口に影が二つ、伸びていた。一つはあたし、もう一つは最後までこの場に残った全身を黒の法衣で包んだ黒い男の人の、影。夕間暮れの逆光の中、悪魔祓いの証である黒衣が靡き翻っていた。
膝を折ったその人とあたし。瞬間、虚空で視線が絡み混じり合う。あたしの手を取り立ち上がらせると、その人もまた他の人と同じ様に踵を返し村の中へと消えて行った。最後にもう一度「去れ」と告げて。
……その村が流行り病の黒死病が原因で滅んだ事をあたしが知ったのは、村が滅んでから随分と経ってから、だった。
「ふん……また来たのか、小娘」
「……誰かと思えばなぁ~んだ塩の魔女さんか~びっくりさせないでよ~」
一陣、潮を纏った風が往く。流行り病の拡大を恐れた教会から焼き討ちにされた廃村を慰める様に僅かな旋律を奏でて撫でて行く。キィイ……と、悲鳴を上げて焼け爛れた鉄の錠前が切れて落ちて行った。
「教えたはずだ。この村で起きた事は神が造り出した世界でのほんの小さな出来事だ、と。言い換えれば全てはヤハウェが望みし事。お前がしている事も私がしている事もこの世界のほんの一欠片。全てはヤハウェの手の中の出来事だ」
「だって……薬があればもしかしたら救えたかもしれないじゃん!病がなければこの村が教会に焼き討ちにされて滅ぶ事もなかった!」
「だが、村人は誰一人救いを求めてはいなかった。少なくともお前の救いは、な。ここの村人が一度だってお前に薬をねだった事があるか?……お前のその感情は身勝手な押し付けのエゴにしか過ぎない」
塩の魔女が紡いだその言葉に、瞬間、体が熱を持った。湧き出した感情をそのままになじり詰め寄りぶつけるあたしを、異端の証を纏う魔女は佇み、口を真一文字に結び、その灰色の瞳で見下ろしていた。
塩の魔女の法衣の裾が風になびく。胸を叩くあたしの手をすり抜けて前へ歩を進めると、魔女は膝を折り両手を組み双眸を静かに閉じた。魔女が背負った黄色十字が逆光の中、やけに鮮明に浮かび上がっていた。
「魔女なのに、異端者なのにヤハウェに祈るんだね、ロトは」
「ああ。かつてここに住んでいた者達がそうしていたように」
「……ねえ、教えてよ、ロト。皆を救いたいと思う事はおかしなことなの?花が欲しいという女の子にお花を贈る事、病気の人を治したいと薬を煎じる事、戦争がなくなって皆平等になればいいと願う事は驕りなの?」
「人には人のできる範囲がある。それが人の世というものだ。そしてそれが世の中だと言うのならば人はそれを受け入れる必要がある。……今回の内乱だって元はと言えば神ではなく人同士が始めたものだ」
ああ、だからあたしこの人が苦手なんだ。シンプルに切り詰めて考えるこの人の考え方が。正しいと感じてしまうから、苦手なんだ。
「一人で全てを何とかしたいというのなら……止めておきなさい。それはヤハウェでも成し得ない、成し遂げらてない事ー……無駄な事だ。私達に出来る事はいつでも小さな事だ。小さな事を大きな愛を込めて成す事しか、私達人は出来ないんだよ」
++++++++++++++++++
「ノルンさぁ~ん!この薬の配合本当にこれで合ってるの~?」
「うん……いいはず……だったんだけど……」
「明らかにヤバいよね。色とか臭いとか」
「……」
「ちょ~~~~っと否定してほしかったなー!カボちゃんそこはノルンさんに否定してほしかったなー!!」
グツリ……と大釜が禍々しい音を立てる。大釜の中身をかき混ぜるために突っ込んだ先がなくなった、もとい先っぽが溶けた木べらと、非常に神妙な面持ちで何とも形容できない色へ変貌を遂げた薬湯を見つめるノルンさんとを交互に見つめて大きく一つ息を吐き出した。……また失敗だよ、これ!!
「やっぱり薬草が良くないのかしら……少し休憩にしましょうか?今、パンを持ってきます」
「さんせーーーい!朝からずーーっと混ぜててくたくただよ~!」
大の字になり四肢を床へと放り出せば、天窓から差し込んだ光が部屋のほこりと乱反射をして薄ら光の柱を掛けている光景が目に入る。パタパタ、と足音を立てて奥へ引っ込むノルンさんを見送ってもう一度息を溢し瞳を閉じた。頬にひんやりとした心地良さを感じながら。
『全てはヤハウェの手の中の出来事だ』
『私達に出来る事はいつでも小さな事だ。小さな事を大きな愛を込めて成す事しか、私達人は出来ないんだよ』
……ロト、あたしには当分……ロトが言った事は分かりそうにないよ……
≪カボちゃん≫
