最終章 輝く日を仰ぐ時

天にましますわれらの父よ

願わくは御名の尊まれんことを

御国の来たらんことを

御旨〔みむね〕の天に行わるる如く

地にも行われんことを

われらの日用の糧を

今日〔こんにち〕われらに与え給え

われらが人に赦す如く

われらの罪を赦し給え

われらを試みに引き給わざれ

われらを悪より救い給え

【主への祈り】





あれから―……教皇達が王女達を救出し凱旋してから今日でちょうど一年になる。

あの日、輝く暁の光を背に王都を旅立った者達は怪我の大小はあれど誰一人五体を失うことなく帰還を果たした。……ただ一人、あの時先陣を切り王都を旅立った青年を除いて。何度も何度も隊が組まれ、青年の捜索が行われたが今日に至るまで青年の行方は不明のままだ。

王女達が凱旋を果たしてから今日まで、目まぐるしく時は過ぎていった。

ルマンドとチョコリエール、青年の関係については国家機密とされ徹底的に秘匿された。ルマンドは王女として、そしてチョコリエールは市民としてそれぞれの生を生きている。

ルマンドとチョコリエール……お互いの立場を元に戻すためにはあまりに多くの時間が経ち過ぎていた。彼女達が悪かったわけではない。ただあまりにも長い間二人は入れ替わり過ぎたのだ。

王を王とたらしめるのは決して血筋ではない。生まれてから今まで歩んできた道が、学んだ教養が嫡子を王へと成長させるのだ。

この国の民は救世主の登場を待ち望んでいた。乱れに乱れた世を平らかにし、彼らの日常を取り戻してくれる者の登場を。

ルマンドはこの国の民にとって、悲劇の王女であると同時に今では乱れた世を平定した救国の聖女でもあった。王女の勅により旧教と新教の和睦が成されたためである。長く二つに分かれ争っていた二大宗教の和解が成立したのだ。

それと同時に政教分離の勅も発令された。各教会の宗派は私法上の組織に過ぎず、国はその運営に関与しない。国家と宗教が完全に分離されたのだ。そして同時に信教の自由もまた保障された。王女の方針により民族間の融和も進みつつある。この国は王女の名の許、生まれ変わったのだ。

そして、今日、王女は女王として正式に即位する。あの日から一年後の今日、この日に。


「オケアノス卿か……久しいな。新教皇殿はお変わりないか?」


「我らが女王陛下―……お久しぶりです。今日このよき日に晴れの日を迎えられたこと、旧教会一同祝福いたします。王国と女王と民に栄光が代々限りなくありますよう。……髪をまた伸ばされたのですね?」


「ああ。今ではすっかり元の長さに戻った。……時が経つのはあまりに……あまりに早いものだな……」


白貂の重厚なコートを身に纏い、君主の証である王冠を頂き、金の王笏を手にした少女がどこか自重気味に微笑む。いや、彼女はもはや少女ではない。寄る辺もない流される葦の葉のような少女は一人の自立した女性へと成長を遂げたのだから。


「ブランチュール教皇もお久しぶりです」


「その呼び方は止めて下さい、サフォー。私はもう教皇ではないのですから。今の私は女王を支える多くの文官のうちの一人にすぎません」


モノクルの奥の瞳を細めると教皇……だったおとこは困ったような笑みを浮かべ私の名を口にした。質素な法衣を身に纏い、髪を短く切った彼に旧教会に君臨していた時の面影はもはやない。

宗教融和の改革が一区切りついた頃、ブランチュール教皇は突如、自分の地位も富も捨て還俗し、そして今は文官の一人として王家に仕えている。初めこそ反発はあったようだが今では他の文官にもその働きを認められつつあるようだ。そして、そんな彼を女王もまた重用している。


「託されましたから、彼に」


旧教会を去るその時、ここではないどこか遠くを見つめ呟かれた言葉が不意に脳裏をよぎっていった。


「チョコリエール嬢は?その後お変わりはないでしょうか?」


「生まれ育った酒場で今も変わらず働いているようです。以前よりも少し客足が増えたと笑顔で話していました」


「ふふっ……随分と詳しいんですね、サフォー」


「……監視をしていますから」


「監視はただの口実で本当はあなた個人の好意から……ではないんですか?サフォー?」


「ごほっ!げほっ!!!……ううん!!そろそろ時間ではないでしょうか?女王、ブランチュール殿?」


「おやおや、はぐらかすおつもりですか?」


話題を断ち切るように咳払いをしつつ進言すればよく似た笑い声が二つ、重なるようにして帰って来た。見た目も性格もまるで似ていないが笑い方だけはよく似ている親子だ、と心の中で毒吐く。


「……さあ、ルマンド女王、時間です。……この国の民があなたの演説を待っている。どうぞ、バルコニーに」


「ああ」


その扉の、向こうへ


≪サフォー・オケアノス≫



++++++++++++++++++++


「どうして……どうして……」


「今日がルマの戴冠式だって知ってな。女王になったルマの姿を一目でも見ておこうと、そう思ったんだ」


民衆の波を手で掻き、泳ぐようにして新女王が走る。走るのに邪魔な高いヒールの靴を、重厚な王者のマントを脱ぎ捨て、王の証である王冠を、王笏を投げ捨て……ただ我武者羅に女王は走った。城のバルコニーから、俺がいる広場の隅に向かって。


「すげー顔……涙でボロボロじゃねえか。……髪また伸ばしたんだな。出会った時みたいに。綺麗だ」


「探したんだ……国中……国中探したんだぞ……!!わ、私が、私がどれほど……どれほど探したと……!!」


「ははっ……痛いって、だからあまり胸、叩くなよ。ルマ……ただいま」

輝く日が彼女の顔を照らす。ルマの両の瞳から零れた大粒の雫が胸を濡らす。俺達の周りを割れんばかりの拍手が幾重にも、幾重にも波のように包んでいた。






++++++++++++++++++++

こうして一つの物語は幕を閉じる。

悪夢のような日々は遠く過ぎ去り、途絶えかけた石の道は未来へと続いていく。俺達が紡ぐ明日へ向かって。次代へ向かって。人が紡ぐ人による営みは続いていく。

そう……物語は終わっても人生は続くんだ。

だからまた会える、その日まで。……ごきげんよう


≪アルフォート・テューダー・ブルボン≫
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