最終章 輝く日を仰ぐ時

その集落には10を過ぎた頃から毎年少しずつ刺青を施す風習がある。
 頬から始まり足首にかけて、植物を模した図柄を年に一回掘り進める。頬から足首のなだらかな植物の線が完成したとき、その者は「成人」として認められるのだという。
彫り師はいわゆるシャーマンのような扱いをされており、集落では特別な地位にいる。
 わたしがそこを訪れたとき、その参加儀礼を見物することができた。もともと隠された儀式ではないのか、その代の彫師が気さくな人物だったからか、どちらもだろう。
 彫りの現場には、刺青を入れるにはまだ幼い少年が彫師の後を付いていた。
 彫師に訊ねると、彼は「自分の息子だ」と笑った。彫師の子供は代々このように幼い頃から現役の彫師につき、儀式を覚えていくのだという。
 「この子はきっと私よりも立派になります」と父であり師匠でもある彼は、少年の頭を撫でた。
 牙のような歯をした、黒鼬をつれた少年の目がこの年頃の無邪気さを湛えず、シャーマンの目のように透き通っていたことが何よりも印象に残った。
/【異郷地にて】
 無垢であること
 何よりも求められていたのはそれだった。
 父が、未来の私が彫るものはただの刺青ではない。ないとされていた。年を重ねる毎に延びる植物は成人への道筋であると同時に、繁栄の祈りを込めた呪いだ。
 彫り師は一途にそれを祈りながら刺青を施す。他の思考は祈りを濁らせる。
だから彫り師は祈りしか持たない無垢でなくてはならない。祈りの器でなくてはならない。遡りきれないほどの長い間紡がれた思想は強固で、私はその事になんの疑問も抱かなかった。
 夜明けと共に起床し、父の仕事や風に揺れる植物たちを私の半身と眺めた。
 春に芽吹き、夏に栄え、秋に実り、冬に枯れていく植物の細部を視線でなぞり脳裏に描写し手指に間違いなく伝えられるように記憶を沁み込ませていく。丁度植物が太陽の光の中で水を吸い上げるように、私は植物の形を吸い上げていた。声をかけられれば応える。けれどそれ以上の反応はしない。そして求められてもいなかった。
 思い返せば、私はこの刺青が足首にまで達して成人となり、父の役目を継ぎ、継いだ後でさえ植物のように生きてきた。見える景色は澄み渡っているが、停滞している。その停滞は私が集落を出て情けなくも野垂れ死にかけて、翁に拾われるまで動くことはなかった。

 私はゆっくりと目を開く。古代図書館の給湯室、今ではすっかり日常の風景だ。
 蒸気を噴く薬缶を持ち上げティーポットへ注ぐ。ふわりと柔らかく懐かしい香りが広がった
 「翁」
 閲覧室の一室、翁―ヴィクター・スコル・サクリスはそこでくつろいでいた。あまりにも自然なくつろぎ方に一瞬ここが翁の執務室で自分はまだ彼の部下なんじゃないだろうかと錯覚する。
 「おや、懐かしい香りだ」
 「ええ、久しぶりに。お好きでしたよね?このお茶」
 カップを置き、ポットの中身を注ぐ。思えばこれは翁に初めて教わったことだ。あの時の自分ときたら刺青を彫ること以外何一つできないポンコツだった。
 「最初は渋すぎたが今は……ほう、丁度いい」
 「何年貴方にお茶をお出ししたと思っていらっしゃるんですか」
 翁はふくくと喉の奥を鳴らして笑った。
 「立派になったものだ」
 「私は貴方の右腕、太陽と月を食らう二頭の狼の片割れ”ハティ“ですよ」
 私が昔の呼び名を口にすると、翁は笑みを少しだけ納めた。
 「それは昔の話だ。今の君は司書だろう?」
 「ええ、貴方のハティであった時はもう過ぎ去りました。ですが、今一度戻っても良いと思いませんか」
 「君は……貴方は私の友人だ。もう部下ではない」
 翁は好奇心の強さと同じぐらい情が深い。
 「翁、私は故郷を捨てました。いえ、故郷から捨てられました。けれど私はどうあっても祈る者であり、根付く者です」
 彼は観測する者だ。伝説の時代から、人が生きる時代を見据え観測する。それが崩れようとしているのだろう。古の暴君、いや悪霊によって。
 それは、私にとっては許し難いと思えることだ。観測者の、私の祈りの拠り所を崩されることは。
 「私は…………貴方から手を差しのべられたとき、私の故郷は貴方なのだと定めました。今は別の道を歩んではいますが、忠誠は変わらず、貴方の牙であり続けるのです。スコル翁」
 拾われてから部下となり色々なことを覚えた。あのとき見えていた澄み渡った景色はもう見えない。ただ、この目に写る濁流のように渦を巻く極彩色の景色はひどく愛おしい。
 そして、この景色を与えた観測者に祈りを捧げ続けよう。
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