最終章 輝く日を仰ぐ時


「お父さんと―……」


「えっ?」


「”お父さん”、と呼ばれたのだ。今日。……随分久しぶりに」

「ええ……私も見ていました。」

旦那様に抱かれて小さな声で少し恥ずかしそうに顔を埋めながら呟いたシャオちゃんの姿。

そして……

その時の旦那様がとても嬉しそうに微笑んでいらした事……。

あの微笑みは私に向けるものとは違う、慈愛に満ちた……とても優しい……優しい微笑みでした。

血よりも硬い絆とはこのようなものを言うのでしょう……と。

隣で見ていた私も思わず笑みが溢れてしまった程に……とてもとても仲の良い父子の姿に見えていました。


「シャオフーが私を”父”と呼んだ時、心の底から思ったのだ。ああ、こういうことか、と。子を慈しむ親の無償の愛というものは、と。……ミロク、私は羨む者だ」


「羨む者……でございますか?」

器に注がれた薬酒を口にして心地良さそうにほう……とひとつ吐息を吐く。
そうして、そのままゆっくりと見上げる満天の星空に……貴方様の目には一体何が見えているのでしょう……。

私には占星術の心得はありません。

ですが、共に想いを巡らせることはできます。

この星空に旦那様は何を想うのか……

貴方様の目にはこの星空がどのように映っているのかを……

目で見て、風と星の声に耳を傾けて、心で想いを感じとる……

暫しの間……言葉は口にせず……ただ静かに……。



「私は自分の本当の歳が分からぬのだ。いや、それどころか造物主―……父や母の名も知らない。気が付いた時には私はこの地に”在った”」


そう……ゆっくりと静かに語る声に私は星から良人の方へ視線を移す。


「それは……旦那様はご自分の子供時代の記憶がない、ということでしょうか?記憶喪失、ですか?」


「かもしれないし違うかもしれぬ。私にも分からないのだ、ミロク。気付いた時には私はこの身体の中だった。……”在って”からもう幾星霜、時が流れただろうか。何十年、何百年……ふふっ、歳を数えるのも遠い昔に飽きて止めてしまった。」


それは命の理から外れた『在り方』だった。

命とは個にして全、全にして個である……と聞いたことがある。

そう、目には見えずとも全ての命は連なっているのだと……そのうち血の連なりによって形成されるものが『家族』。

家族もまた大樹の根のように目には見えない命の歴史が……繋がりが存在するものなのだと……。


ですが……旦那様の『在り方』は……。


「……怖いか、ミロク?自分の経歴も歳も名も―……存在さえもいざ知れぬ私の事が」

その言葉が終わるよりも早く、私は良人を抱き締めた。

いいえ……怖いなどと……そのようなことがあるはずはありません。

私は……自らの足でここに来たのです。

貴方に逢うために……無理を承知で貴方の元へ嫁いだのですから……。


深い深い森の奥、宇宙に輝く北極星を映した水鏡。青く清浄なその泉に身体を沈め、祈りを捧げる。
身体と魂の穢れを祓い清め、また自らの未熟な魔力を高めるための修行だった。

私はシーアンちゃんのように強い魔力を持たず、一族の役目を担う事ができなかった。

けれどせめて誰かの役に立てるなら……と。癒しの力と浄化の力を身につける為に、聖域と繋がる場所と呼ばれるこの泉に足を運んでは冷たい水に身体を浸して祈りを捧げていた。

そんなことを繰り返していたある夜の出来事だった。


私の祈りに答えるように水面が揺らめいて水鏡に映しされたあの人の姿を見てしまったのは……。

本当に僅かな間の出来事だった。

北極星とその周囲を巡る星々はいつもと変わらず周囲を照らし出し、泉にも宇宙が広がっていた。

私は暫しの間泉から離れることができずただ静かに水面を見つめていた。


あのように美しい人がいるのだろうか……

天上におわす天帝様がいらっしゃるならば、きっとあのような方に違いない。


もし本当にこの世にいらっしゃると言うのなら……逢いたい……あの人にお逢いしてみたい……と……そう思ってしまったから。


私はあの時からずっと貴方に惹かれていたのです。

貴方に無理を言って妻に迎えて頂いたときは本当に嬉しかった。

だから……怖いなどと……そのようなことはありません。

たとえ貴方がどのような『人』であったとしても。

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旦那様はこう仰った。『悲観しているわけではない』『私の願いは私自身も黄金の輪の一つとなり”全”へ至る事』だと……。

『そして叶うならば私はお前と共に生き、共に朽ちていきたい』と……そう仰ってくださった。

こんなに嬉しい言葉が他にあるでしょうか……。

『愛している』と言ってくださる。
私と共に老いて朽ちるまで側にいてくださると……

これ以上に嬉しい言葉が他にあるでしょうか……

「元より私は最期の瞬間まで旦那様の側に置いて欲しいと願った者です。

怖れなど……ただのひとつもありません。
あるのは貴方を愛おしく想う気持ちと幸福に満ちた想いだけです。
旦那様……いえ、アイオーン。私は貴方と共に生きていたい……。
いつか全へ至るその時まで……お側に居させてください……。」

優しく頬を撫でながら、自ら顔を近づけて愛する良人に口付ける。


「命は永遠、永劫。
私もまた輪廻の鎖の一部。
なればこそ……今世を終えたとしても、輪廻転生を経たその先で……また貴方と巡り逢い結ばれとうございます。」


「愛しています。」と言葉を口にすれば貴方の瞳が優しく弧を描く。

旦那様が与えてくださった愛は偽りでも真似事でもありません。

この身体の中に新しい星が……命の輝きが宿っています。


そして……数多のお弟子さん達の中に……勿論私の中にも確かに伝わっています。
命を尊ぶ貴方の教えが。

それもまた『全へと至る黄金の鎖』では無いでしょうか……?
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