最終章 輝く日を仰ぐ時

人の身体は最初から朽ち果てるものとして。そこの世に蒔かれた。

しかし、やがては朽ち果てぬものとして蘇るのだ。

人の身体は卑しきものとしてこの世に生を享けるが、やがては光栄あるものとして蘇る。

動物と同じ身体としてここにはあるが、やがて霊の身体として蘇る。

動物に身体があるように、霊にも身体がある。

しかし、霊の身体が最初にあるのではない。

まず土に属する動物の身体が先にあって、それから天に属する霊の身体に変わるのだ。


【コリントの人々への第一の手紙 第15章】





『お師匠様、お空がとても近いです…!お祭りの灯りもまるでお星さまのようでとても綺麗です!』


『そうか、祭りは好きか??シャオフー』


『大好きです!!僕今日は金魚すくいがやりたいです!美味しいたこ焼きも食べたいです!それから……』


藍色の漆喰で塗り固められた空に金と銀の細かな砂の粒子が散っていた。一際明るい帯状の光の砂の粒子で出来た河を上弦の月が渡っていく。この光の大河は通年見られるが、夏は銀河の中心を向くためか特に明るい。銀河の中心―……そこは星が生まれる場所だ。


「旦那様、お酒、お注ぎしましょうか?」


「ミロク、か。ふふっ……ではミロクの言葉に甘えるとしよう。シャンに貰った薬酒でな。あいつが俺に贈ったものとしては珍しく上等な酒だ。こうして呑んでいても痺れもしない」


「まあ」


「……寝付けないのか?」


「少々、お祭りの熱気に中てられてしまって。……旦那様こそ寝付けないからここで一人星見をなされていたのですか?」


トクリ、トクリと微かな音を立てて手に持った杯に薄緑色をした薬酒の雫が注がれ落ちる。天より降り注ぐ数多の星明りが酒に移りまるで金粉のように、薬酒の中で揺らぎたゆたっていた。星が溶けた酒を一口口に含めば、ツンとした薬草の香りと共に喉を滑り落ちる。


「……本当に、あいつには珍しく洒落たものを寄越したものだ」


「シャンさんは旦那様の好みをよくご存じなんですね」


「人を使って薬の治験もするがな。ふふっ……酒はやはり美味い」


「旦那様、同じ事を昨日もおっしゃられていましたわ。そして一昨日も。私がお注ぎしたお酒はどれも違うものですのに」


彼女の、私の妻の蒼い瞳がその言葉と共に優しい弧を描く。薬酒から立ち上る甘い香りとは違うこの甘美な香りは彼女の持つ芍薬の羽根の香りだ。上質な酒に勝るとも劣らない芳醇な香り―……それは妻の性根を強く反映した優しく、人を落ち着かせてくれる香りだった。


「ああ、そうだ。ミロクに酌をしてもらうとそれだけでどんな安酒でも大吟醸のような味に変わる。今飲んでいるような上質な酒を呑んでいる時は特に、な」


「まあ、ふふっ……ありがとうございます」


穏やかな響きを含んだ笑い声が妻の愛らしい桜色の唇から零れて落ちる。妻は気付いているのだろうか?その笑みが私が飲む酒を更に上質な酒へ昇華させているということに。


「お父さんと―……」


「えっ?」


「”お父さん”、と呼ばれたのだ。今日。……随分久しぶりに」


『……お父さんと沢山遊びたい……です。お祭りは大好きだけど、お父さんと……お母さんが一緒じゃなきゃ楽しくないから……お師匠様は僕の自慢のお父さんなのです。沢山沢山……僕に思い出を作ってくれる優しいお父さんなのです』


恥ずかしそうに最後には消え入るような小さな声で呟き顔を隠すように私の腕の中で身じろいだ子の姿を思い出していた。温かな小さな命が腕の中で私を、父を求め甘えている。

”父”を求め、”父”と慕ってくれた。血の繋がりはなくとも。


「シャオフーが私を”父”と呼んだ時、心の底から思ったのだ。ああ、こういうことか、と。子を慈しむ親の無償の愛というものは、と。……ミロク、私は羨む者だ」


星が降る。私を中心に。遥か遠い場所で瞬き、命の声を囁いている。今を生きる喜びを誇るように私に語り掛ける。


「私は自分の本当の歳が分からぬのだ。いや、それどころか造物主―……父や母の名も知らない。気が付いた時には私はこの地に”在った”」


私の記憶はここから始まっている。”在った”以後の事は覚えているが、それ以前の記憶がない。そして”在った”時、私は既に成人の身体をしていた。突如光が生まれたかのように私の歴史はここから始まっている。


「それは……旦那様はご自分の子供時代の記憶がない、ということでしょうか?記憶喪失、ですか?」


「かもしれないし違うかもしれぬ。私にも分からないのだ、ミロク。気付いた時には私はこの身体の中だった。……”在って”からもう幾星霜、時が流れただろうか。何十年、何百年……ふふっ、歳を数えるのも遠い昔に飽きて止めてしまった。……怖いか、ミロク?自分の経歴も歳も名も―……存在さえもいざ知れぬ私の事が」


言葉が終わるか終わらないか―……それと同時に私の腕の中に温かな光が生まれる。光の正体が私の胸に寄り添う彼女だということに気付くまで数瞬の間があった。私を恐れず慕ってくれる愛おしい存在を私もまた抱き締めた。そうすることが自然なように。


「悲観しているわけではない。私はそういうものなのだろうと私は私という存在に納得しながら生きて来た。長い孤独な時に飽きた後は子育ての真似事をし、偽りの父親を演じながら。滑稽な話だ。自分の父も知らない存在が父を演じているのだから」


私がしている事はどこまでいっても真似事だ。だが、真似事なりに、偽の父なりに数多の子供達を育て上げて来た。土に種を蒔くようにして育てて来た。私から偽の愛情を受けた子供達は育ち、巣立ち、そして私を置き去りにし黄泉の国へと旅立っていく。

土に属する身体を置いて、霊の身体を手に入れ蘇る。


「自分自身の存在に私は納得はしている。だが、それでもどうしても羨んでしまうのだ。索冥、ティエラ、鳳翔、シャオフー……数多の子供達を見守るうちに自然に生じた感情か、元来私の中に存在していた感情か、それは分からないが。私は……」


何度生まれて、そして死んでいけるお前達を羨ましく思った事だろう。


「命は永遠だ。永劫だ。たとえ”個”が死んだとしても黄金の鎖の輪の一つとなり”全”へ連なっていく。私の願いは私自身も黄金の輪の一つとなり”全”へ至る事。そして叶うならば私はお前と共に生き、共に朽ちていきたいとそう思っている」


自分の腕の中にしまった彼女の表情を私から伺う事はできない。が、逃げず恐れもしないこの鼓動の音が彼女の答えと考えていいのだろう。


「……愛している、ミロク」


私は老いて死にたい。私の子らと同じように。ミロクと、彼女の腹に宿った新しい星と共に。


私は羨む者だ。


≪アイオーン・グノーシス≫
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