最終章 輝く日を仰ぐ時


あなた方の間の戦いや争いは、どこから来るのですか。他でもない、あなた方の中で相争う欲望からではありませんか。

あなた方は欲しがるが、手に入れる事ができません。そこで人を殺します。

また熱望するが得る事ができません。そこで争ったり戦ったりするのです。

あなた方が得られないのは、求めないからです。求めても与えられないのは。自分の欲望を満足させる為に使おうとして悪い動機で求めるからです。

神を捨てた人々よ、この世への愛着は紙の敵である事を知らないのですか。この世の友になりたいと思う者は皆、自分を神の敵とするのです。

それとも神は私達に宿らせた霊を嫉妬するほど慕っておられる。と、聖書に言われているのは虚しい事だと思うのですか。また、さらに豊かな恵みをお与えになるとは思わないのですか。

「神は高ぶる者に逆らい、遜る者に恵みをお与えになる」と言われています。ですから、悪魔に立ち向かいなさい。神に近付きなさい。罪人よ、手を清めなさい。二心のある者よ、心を清めなさい。

悲しみなさい、嘆きなさい。泣きなさい。笑いを嘆きに変え、喜びを悲しみに変えなさい。

王の前に遜りなさい。


【ヤコブの手紙 第4章】






「ラス、どうしたの……?お腹がすいたの?それとも寝不足?……疲れちゃったの?」


「違う……違うよ、纏。今日はね、君にとても……とても大切なお話が合って会いに来たんだ」


石礫のような雨がガラスの窓を叩く。粗末な木製の扉を潜ると同時に自分の首の後ろに伸ばされた白い腕を受け止め、ゆるく抱きしめた。自分の胸を通して彼女の左胸の音が、心地良し鼓動の音が伝わって来る。唇に切なくて優しい感触がしたのは僕が彼女の唇に触れたから。どうしても、どうしても今触れたかった。


「たいせつな……おはなし……?」


”呪われてあれ”


「纏、今日はね。君にサヨナラを言いに来たんだよ。僕が僕でいられるのも今日が最期のはずだから」


王を愛している者、いない者。それに関わらず多くの血によって罪の牢獄より、魂の監獄より王を解き放ち給え。

見よ、王は雲と共に来られる。そして、全ての民が王の姿を見るだろう。地上全ての民草は皆、王の再臨を見る。

『私はアルファでありオメガである。くくっ……はははははっ!!!』


王である主、今おられ、やがて来られる方。万物の支配者、輪廻の輪から逸脱した獣は自分の中で高らかに笑っていた。

『時は来たれり』と。

僕が死に王が孵化する。蟻に寄生する寄生蜂のように。僕の魂を食い破り、肉体を核として現世に再臨する。この島で流された数多の血肉を、怨嗟を贄として。

”呪われてあれ、とこしえに”


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「なん……だよ……何が……一体何が起きたっていうんだ……」


「”アルファでありオメガ”とでも言っておこうか。ん?その胸糞悪くなるような目の色は……そうか、貴様がブルボンの血を継ぐものか。ふん……魂の臭いまであいつと似ているのか。……醜悪な臭いだ」


そいつは突如地の底より湧くように現われた。足元まで届く黄色の法衣を纏い、金の帯を胸に締めて。髪は雪のように白い山羊の毛に似て白く、その中で両の目だけが炎のように煌々と燃えていた。炉の中で精錬され磨かれた真鍮のように怪しい光を帯びる。そいつの手の中で七つの星が瞬間、煌めいた。

その光が放たれると同時に俺の身体は死者のように足元へと倒れ伏す。見えない手に上から押さえつけられているかのようだった。倒れた時に口の中に入ったのだろう。ざらり、とした不快な砂の味が舌の上で広がった。

何が起きたか皆目見当がつかなかった。……が、これだけは分かった。臓腑の底から確信が湧く。俺の中に流れる血の一滴さえもが告げていた。

これは”邪悪”だと。”この世にあってはならないもの”だと。俺の本能が告げていた。


「まあそんな顔をするな。知らない仲ではあるまい?もっとも一方的に、だが。くくっ……言っただろう?俺は最初であり最後の者であり生きているものだと」


「アルっ……!!!!」


「アルフォート君!!!!!!!」


「おやおや……お前達は……ふふっ……久しいな、ブランチュール。もっとも俺が存命中の時、お前はまだ十代の若造に過ぎなかっただろうが―……野心を糧に成り上がったか。結構結構。欲望こそ人が人という種であることの最大の証だ。それに従う事を誰が咎められようか。王妃の心の弱さに付け込んだとしても弱みを見せたものが悪いだけだ」


ねっとりとした粘度を帯びた風が吹き溜まる。まるで澱に溜まった泥のように。

目の前の”邪悪”の注意が俺から僅かに逸れたからだろう。上から圧し掛かるような力が弱まったその刹那、俺は弾かれたように立ち上がり、手にした槍の切っ先を”邪悪”に向かって真っすぐに突き出した。……やっとの思いで突き出した突きはそいつの頬を微かに掠めただけで意図も容易くいなされてしまったが……


「教皇ッ!!!!早く!!!早くルマを連れて逃げてくれッ!!!!!こいつは……こいつの傍にいちゃいけない……!!こいつは”邪悪”だ!!!”邪悪”そのものだっ!!!!」


粘ついた汗が熱が籠った身体から吹き出し、背中を伝っていく。実際の時間に換算すれば数瞬だろう。だが、今の自分にはこの沈黙が永遠にも等しい時間に感じられた。

駆け付けてきた二人を背に庇うように立つ俺を一瞥すると”邪悪”は口元を歪め愉しそうに嗤った。


「お前は―……貴方は一体―……何故私の事を知っているのですか。王妃と彼女の産んだ王女の秘密について知っているのは私だけのはず。他の者は全て始末しましたからね。……今一度問いましょう。貴方は誰ですか」


「アルファでありオメガ。……ヨハネの黙示録の一文……ということは禁呪を使ったのかい?それだけは使ってはならないと散々君達に教えておいたはずだが?」


不意に生じた見知らぬ男のしわがれた声が鼓膜を揺らす。杖を突いているのだろうか、こつりこつりと石畳を叩く硬質な音が背後で響いていた。


「暗闇の中で弧を描き漂うように生きて来たか。地を這うようにこの世に戻って来たか。この島で流れた数多の血を贄に、戦乱で落命した者達の骸を招き手として墓穴の中から蘇って来たか。……聖王ブルボンがこの国から去って以降に起きた数々の災禍―……その裏で糸を引いて操っていたのは君だね。ロッテ王」


「随分なものいいじゃあないか、サクリス先生?それにしても、だ。傍観者が干渉してくるのは反則じゃないか?なあ、先生?」


「傍観者か、どちらかと言えば観測者の方がいいのだが―……何事にも理はある、ということさ。君が生きている間は黙認してきた。だが、今の君は死者だ」


「くくっ……俺はただ少し背中を押してやっただけだ。猜疑心や野心といった人間の根幹の感情の種火にそっと息を吹きかけてやっただけのこと。それを選んだのは、燻る種火を激しく燃え上がらせたのは奴ら自身だ。そういった意味でフリードリヒとブランチュールという存在はよくやってくれたよ。自分達が望む望まないにかかわらず俺の復活のために必要な血を戦乱によって腐るほど流してくれた。……そうだ、その男にもそれ相応の礼をせねばなるまい?」


「ッ―……!!!!!!?」


「ああ……ああああああっ……!!!!」


男の指先が空を真一文字に切る。と同時に生じた黒い鬼火が無数、喰らうようにフリードリヒの物言わぬ骸に群がった。黒い炎がまるで屍衣のように包む。黒い鬼火はお互い飲み込む喰いあって黒い炎の火柱となり、骸の全てを灰塵へと変えていく。彼が……フリードリヒという男がこの世にいたという証を全て燃やしていく。……全てが灰となり、消えていく。

最期の時までフリードリヒに従っていた若い女の悲鳴が、慟哭の嘆きが灰と共に空へと昇っていく。崩れ落ちた女の身体を支えるように翼手の翼を持つ亜人の青年が女の肩を抱いていた。


「ああ、すまない。火葬はお気に召さなかったようだな。ならば水葬か風葬の方がよかったか?……さて、これで目障りな者は聖王の残した血筋だけだ。が、このままただお前を潰すというのも面白みに欠ける。今まで辛酸を舐めさせられた礼もあることだし、な。ふふ……そうだ、いい余興を思い付いた」


「きゃぁああああああああああっ!!!!!」


白蝋の顔に赤い両目が煌々と光る。奴に使役される闇がルマに向かうと同時にルマの身体は地に吸い込まれるように忽然と消えた。消えるその刹那、地面から湧き出た無数の白い腕がルマの身体に絡みつき、引き込んでいくのが見えた。彼女を、ルマを助けるために伸ばした手はただ虚しく空を切る。


「ルマっ!!!!?ルマに何をしたっ!!!!!!!!!」


「なあに、俺の城に招待してやっただけのこと。救いたければ追って来るがいい。偽の王女を助けたいと思うのならば。くくっ……もっとも見つけられればの話だが」


恐れるな、私は最初の者であり最後の者である。生きている者である。私はいったん死んだが、代々限りなく生きている。


≪ラス/アルフォート≫
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