第10節 温泉パニック!
千歳が住む地域の近くの観光地に温泉が湧いたという。突如として現れたそれに最初は大混乱に陥ったらしいが、それもすぐに落ち着き、今はそれを新たな目玉をして集客を行っていると聞いた。そんな話を聞いて、観光などの商業を生業とする人たちはとてもたくましいと感じた覚えがある。
さて、そんなこと思って幾月か。千歳は久賀とともに、件の温泉地を歩いている。世の中というか人生というか、何があるかわからないものだとなんとなくそんなずれたことを思ったのだった。
季節はうだるような暑さの夏を過ぎ、朝夕が少し肌寒く感じるようになってきた秋の始まり。まだもみじもほんのりとしか色づいていないような、そんな時期。太陽の光はだいぶ弱くなり、日焼け対策を怠らなければ外を歩くことも問題はない。――そう、問題はないのだが。今の千歳の横には、心配そうにこちらを見つめる久賀がいる。
「久賀さん、わたしは大丈夫だよ?」
「そうはいってもな……。まだ日は高いし、日差しも強くなる。本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫。これでもこのいろとは付き合いが長いんだよ? ちゃんとわかってるし、無理をしているわけじゃないよ」
そう千歳は久賀に言ったものの、久賀はまだ納得しかねるようで眉間にしわが寄っている。しっぽがこころなしかしょんぼりしている気がして、思わず千歳はくすりと笑いを漏らした。
「ありがとう、久賀さん。こうして久賀さんと一緒に温泉に入りにこられるだけでも夢みたいなのに、こうして久賀さんと隣を歩けるのがとても幸せなの」
かつての自分では絶対に手に入れられなかった幸せだ。久賀の耳を飾る、かつてつくった耳飾りを見ながら、千歳はゆっくりと久賀へと手のばす。そして、ぎゅっと彼の手を握った。
「わたし、ほとんど旅行とかしたことがないの。だから、こういうところもよくわからなくて……。教えてください」
「――ああ。俺で、よければ」
久賀の琥珀色の瞳が細まり、柔らかな曲線をつくる。そしてほんの少し強すぎるほどの力で握り返された手の感触を感じて、千歳は束の間目を閉じて、幸せを堪能したのだった。
手をつないで、千歳と久賀は観光街を散策する。お土産屋さんだったりご当地のお菓子を売っていたり。試食をしつつのんびりと歩いていても、千歳の色が変だと指をさしたりひそひそ話をしたりする人は誰もいなかった。これもいろいろな人種が集まるこの国ならではだろう。
隣を歩く久賀は、試食でもらった菓子をほおばりつつも時折視線で動かして何かを確認するような動きをしている。
「千歳、しばらく歩いているが疲れないか?」
「それほど疲れてはいないけれど……、もしかしてわたしが休む場所を探してくれていたの?」
「ああ。先ほど千歳は大丈夫だと言ってくれたが、日がかなり高くなった。それに自分では気づいていないかもしれないが、顔色が少し悪い」
「えっ……」
「無理は禁物だ。ここで倒れては意味がないからな」
そう言った久賀はちょうどあいたベンチへと千歳を座らせる。ほっと一息つくと、確かになんとなく疲れが出てきたように感じて、千歳は自分でも気づかない間にずいぶんと体力を消耗していたことを悟る。自分ですら気づかなかった不調を久賀は敏感に察知してくれたことが嬉しくて。立ったままでいる久賀の手を引っ張った。
「ねえ、一緒に座ろう?」
「いや、俺は」
「せっかくベンチがあいているんだもの。一緒に座りたい」
そう言って手を引くと、それにつられるように久賀は隣へと座った。ベンチは日陰にあり、短時間ならば日傘を外しても問題ないと思える程度に日はさえぎられている。そう思って日傘を閉じた千歳は、隣でまた心配そうにしている久賀を見上げた。
「大丈夫なのか?」
「うん。ここで休憩する時間くらいなら問題ないよ」
試食でもらった菓子も食べ終わったものの、ベンチが意外と心地よくなかなか立つ気になれない。近くに座りたそうにしている人影もないこともあいまって、久賀と千歳はしばらくのんびりすることにした。
道を行く人々、売り込みを行う店番の声。がやがやとした空気は騒がしく、けれど決して悪いものではない。兄弟であろう2人の子どもと、それぞれと手をつないで仲良く歩く両親――親子を見つけたり、のんびりと歩く老夫婦のその手がつながれているのを見て、ほほえましくなったり。人間観察も意外と飽きない。
――と、ふと目に入ったのは、ほぼ千歳たちと同年代であろう手をつないで仲良く歩く男女の姿だった。時折見つめあってはお互いに笑い、世界は二人で完結していると言わんばかりに軽いキスまでしている。
「……すごい」
いくら付き合っているとはいっても、世間の目があるところであれほど大胆な行動はできない。できないけれど、周りからは男女が手をつないで歩いていればこの二人は付き合っているんだろう、と思うのだろう。
「千歳? ……ああ、あのカップルか」
「うん、なんだかいろいろすごいな……って思って」
「そうだな……」
「……そろそろ、行きましょうか」
なんとなく変な雰囲気になってしまった。それを断ち切るように千歳が立ち上がると。久賀も同じように立つ。その間も手はつながれたままだ。
一般的にみれば、千歳と久賀は付き合っていて、仲睦まじく見えている、はずだ。
日傘ごしに見える久賀はとてもかっこいい、と思う。助けてもらったあの時から、千歳の心は久賀でいっぱいだ。
そしてそんな彼と千歳は今手をつないで歩いていて、さっきのカップルではないけれど、付き合っている風に見えている。
そんな当たり前の事実に胸がいっぱいになってしまって、千歳の頬に温度がのった。
「ん? 顔が赤いがどうした? まだ立つのは早かったか……」
「ふふふ……違うわ。そうじゃなくて、ね。久賀さんとこうやって歩いて、きっと周りからは付き合っているんだろうなって思われていて……なんだか、その事実がどうしようもなく嬉しくて、素敵で。あのね、久賀さん。大好きよ」
まだ歩き出したばかりで、二人は道の隅にいる。片方は久賀とつながれた手、もう片方は日傘持っている。千歳は衝動のままに久賀の手に自身の手をそっと絡めなおす。そしてきょとんとした顔の久賀の手を引いて、同時に傘で周りの目から隠すようにしながら、唇を寄せた。
あんなふうなカップルみたいに堂々とは出来ない。恥ずかしいし、久賀を他人の目にさらしたいわけではないからだ。けれど、傘で隠してしまえば世界には千歳と久賀だけ。
一瞬、喧騒が遠くなる。大好きだという気持ちのままに、千歳はゆっくりとほほ笑んだのだった。
さて、そんなこと思って幾月か。千歳は久賀とともに、件の温泉地を歩いている。世の中というか人生というか、何があるかわからないものだとなんとなくそんなずれたことを思ったのだった。
季節はうだるような暑さの夏を過ぎ、朝夕が少し肌寒く感じるようになってきた秋の始まり。まだもみじもほんのりとしか色づいていないような、そんな時期。太陽の光はだいぶ弱くなり、日焼け対策を怠らなければ外を歩くことも問題はない。――そう、問題はないのだが。今の千歳の横には、心配そうにこちらを見つめる久賀がいる。
「久賀さん、わたしは大丈夫だよ?」
「そうはいってもな……。まだ日は高いし、日差しも強くなる。本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫。これでもこのいろとは付き合いが長いんだよ? ちゃんとわかってるし、無理をしているわけじゃないよ」
そう千歳は久賀に言ったものの、久賀はまだ納得しかねるようで眉間にしわが寄っている。しっぽがこころなしかしょんぼりしている気がして、思わず千歳はくすりと笑いを漏らした。
「ありがとう、久賀さん。こうして久賀さんと一緒に温泉に入りにこられるだけでも夢みたいなのに、こうして久賀さんと隣を歩けるのがとても幸せなの」
かつての自分では絶対に手に入れられなかった幸せだ。久賀の耳を飾る、かつてつくった耳飾りを見ながら、千歳はゆっくりと久賀へと手のばす。そして、ぎゅっと彼の手を握った。
「わたし、ほとんど旅行とかしたことがないの。だから、こういうところもよくわからなくて……。教えてください」
「――ああ。俺で、よければ」
久賀の琥珀色の瞳が細まり、柔らかな曲線をつくる。そしてほんの少し強すぎるほどの力で握り返された手の感触を感じて、千歳は束の間目を閉じて、幸せを堪能したのだった。
手をつないで、千歳と久賀は観光街を散策する。お土産屋さんだったりご当地のお菓子を売っていたり。試食をしつつのんびりと歩いていても、千歳の色が変だと指をさしたりひそひそ話をしたりする人は誰もいなかった。これもいろいろな人種が集まるこの国ならではだろう。
隣を歩く久賀は、試食でもらった菓子をほおばりつつも時折視線で動かして何かを確認するような動きをしている。
「千歳、しばらく歩いているが疲れないか?」
「それほど疲れてはいないけれど……、もしかしてわたしが休む場所を探してくれていたの?」
「ああ。先ほど千歳は大丈夫だと言ってくれたが、日がかなり高くなった。それに自分では気づいていないかもしれないが、顔色が少し悪い」
「えっ……」
「無理は禁物だ。ここで倒れては意味がないからな」
そう言った久賀はちょうどあいたベンチへと千歳を座らせる。ほっと一息つくと、確かになんとなく疲れが出てきたように感じて、千歳は自分でも気づかない間にずいぶんと体力を消耗していたことを悟る。自分ですら気づかなかった不調を久賀は敏感に察知してくれたことが嬉しくて。立ったままでいる久賀の手を引っ張った。
「ねえ、一緒に座ろう?」
「いや、俺は」
「せっかくベンチがあいているんだもの。一緒に座りたい」
そう言って手を引くと、それにつられるように久賀は隣へと座った。ベンチは日陰にあり、短時間ならば日傘を外しても問題ないと思える程度に日はさえぎられている。そう思って日傘を閉じた千歳は、隣でまた心配そうにしている久賀を見上げた。
「大丈夫なのか?」
「うん。ここで休憩する時間くらいなら問題ないよ」
試食でもらった菓子も食べ終わったものの、ベンチが意外と心地よくなかなか立つ気になれない。近くに座りたそうにしている人影もないこともあいまって、久賀と千歳はしばらくのんびりすることにした。
道を行く人々、売り込みを行う店番の声。がやがやとした空気は騒がしく、けれど決して悪いものではない。兄弟であろう2人の子どもと、それぞれと手をつないで仲良く歩く両親――親子を見つけたり、のんびりと歩く老夫婦のその手がつながれているのを見て、ほほえましくなったり。人間観察も意外と飽きない。
――と、ふと目に入ったのは、ほぼ千歳たちと同年代であろう手をつないで仲良く歩く男女の姿だった。時折見つめあってはお互いに笑い、世界は二人で完結していると言わんばかりに軽いキスまでしている。
「……すごい」
いくら付き合っているとはいっても、世間の目があるところであれほど大胆な行動はできない。できないけれど、周りからは男女が手をつないで歩いていればこの二人は付き合っているんだろう、と思うのだろう。
「千歳? ……ああ、あのカップルか」
「うん、なんだかいろいろすごいな……って思って」
「そうだな……」
「……そろそろ、行きましょうか」
なんとなく変な雰囲気になってしまった。それを断ち切るように千歳が立ち上がると。久賀も同じように立つ。その間も手はつながれたままだ。
一般的にみれば、千歳と久賀は付き合っていて、仲睦まじく見えている、はずだ。
日傘ごしに見える久賀はとてもかっこいい、と思う。助けてもらったあの時から、千歳の心は久賀でいっぱいだ。
そしてそんな彼と千歳は今手をつないで歩いていて、さっきのカップルではないけれど、付き合っている風に見えている。
そんな当たり前の事実に胸がいっぱいになってしまって、千歳の頬に温度がのった。
「ん? 顔が赤いがどうした? まだ立つのは早かったか……」
「ふふふ……違うわ。そうじゃなくて、ね。久賀さんとこうやって歩いて、きっと周りからは付き合っているんだろうなって思われていて……なんだか、その事実がどうしようもなく嬉しくて、素敵で。あのね、久賀さん。大好きよ」
まだ歩き出したばかりで、二人は道の隅にいる。片方は久賀とつながれた手、もう片方は日傘持っている。千歳は衝動のままに久賀の手に自身の手をそっと絡めなおす。そしてきょとんとした顔の久賀の手を引いて、同時に傘で周りの目から隠すようにしながら、唇を寄せた。
あんなふうなカップルみたいに堂々とは出来ない。恥ずかしいし、久賀を他人の目にさらしたいわけではないからだ。けれど、傘で隠してしまえば世界には千歳と久賀だけ。
一瞬、喧騒が遠くなる。大好きだという気持ちのままに、千歳はゆっくりとほほ笑んだのだった。
