第19章 死に方の選び方
確かにこれまでに、ある人物が出て神がこの国の贖罪をお命じになられたかと思える、一条の光が射した事があった。
だが、残念ながら神は活動の最盛期に彼を運命の手から手放されてしまった。
こうして息絶え絶えのこの国は、今自らの傷を癒してくれる人を待ち望んでいる。
幾たびかの地方の略奪、更には重税に決着をつけてくれる人を、長年に渡って化膿した傷口を手当てしてくれる人を、その方の出現を待ち侘びている。
誰の目にも映るように、今この国は、この野蛮な外敵の残酷な横暴から救ってくれる人物を遣わしたまえと神に祈りを奉げている。
誰の目にも明らかなように、旗を掲げて立ち上がる人があれば、この国は旗幟の元馳せつける心意気が出来ている。
【君主論 第26章】
白い旗がけして遠くない場所で棚引いている。我々が掲げた赤旗と対を成す旗は、春先の少しけぶった青の元でやけに栄えて見えた。無数の白旗と、この国各地に点在する潰し損ねた諸侯、民衆、そして王女と旧・新教会それぞれの首長という強力なカードを携えて、あの若者は私の前に帰って来た。
「フリードリヒさん……やはりフリードリヒさんは王城へお戻りください……!」
「生憎だが……今更私だけが安穏と城へ引き下がるつもりはないよ、エテル。それに王城での籠城戦は逆に不利になるだけだ。赤軍の各地方の同志が壊滅したとなれば、城で耐えたとしても援軍は期待できない」
「ですが……!フリードリヒさんは赤軍の総大将です!自ら前線に赴く総大将なんて聞いた事もありません!!それに……フリードリヒさんは私にこう教えてくださったじゃないですか……!例え末端の”手足”が捥がれ、失ったとしても、”頭”さえ無事であれば再生する。組織とはそういうものだと、私に仰って下さったじゃないですか……!お願いです……!城へお戻りください……!」
私の前に躍り出て両手を広げ、進む事を拒もうとする彼女を見下ろし、一つ息を吐き出した。赤軍から逃げる事も出来ただろう。今世間で流布されている噂も耳にしてきたであろう。彼女の理想とするものとはかけ離れた私の元へ、それでも再び帰って来た若い同志の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
懇願、哀願とも呼べる表情で私を止めようとするエテルとは対照的に私の心は不自然な凪いでいた。微かな笑みが口角に浮かぶほどに。
「定石通りに動けば全てうまくいくという単純なものでもないのだよ、エテル。それに指揮官が前線に出ているのは反乱軍とて同じ事だ。指揮官が自ら前線に出るだけで兵士全体を鼓舞し、士気を大幅に上げる事も出来る。……反乱軍の士気は高い。烏合の衆にも拘らず、だ。ならば、私自らも前線に出て同志諸君と共に戦う以外の選択はないんだよ」
「ですが……!」
「……いかせてやれよ、エテル。同じなんだ。……エテルがここに戻って来たのと同じなんだよ。……そいつの想いってやつは」
尚も食い下がろうとしないエテルを諫めたのは私ではなく彼女と共に赤軍陣営へとやって来た翼手の翼を持った青年だった。彼が紡いだ言葉の意図が分からないエテルではない。瞳を長い目蓋と共に伏せ、強く瞑ると、彼女は緩慢な動作で広げた両の手を下ろし私に道を譲った。
「……聞けッ!!同志諸君!!あそこに見えるのが我々が築いた秩序に仇なす逆賊―……反乱軍である!!諸君らが、ここに立てなかった同志諸君がやっとの思いで、汗と血と屍を積み上げ築いた秩序を踏み躙らんとする反乱分子だ!!諸君!我が同志達よ!共に行こうではないか!!正義の槌を奮おうではないか!!行こう!!我々が築いた骸の上の秩序を脅かす愚か者どもを駆逐するのだ!!」
……人は生まれは選べないが、死に方を選ぶ権利はあるのだろうか?
++++++++++++++++++++
一人、そしてまた一人と味方が倒れていく。皆背を向けず、敵を、赤軍の方を向き前に向かって倒れていた。そのまだ温かな屍を踏み越えて前進を繰り返す。……狙うは赤軍総大将―……フリードリヒの首ただ一つ!!
各地の赤軍が瓦解しても尚、中央軍が総倒れとならないのは何故か?今だ統率が保たれているのは何故か?それはあの男がいるからに他ならない。フリードリヒは恐怖で、甘言で、暴力で冷徹に人の心を支配する。赤軍の精神的な支柱は疑いようがない、フリードリヒという一人の男だ。
言い換えれば、奴を倒せさえすれば赤軍は機能を維持できなくなり瓦解するだろう。
「フリードリヒッ!!」
自分の体重を乗せて突き出した槍の刃は、奴の右頬を微かに掠め、傷を残した。と、同時に俺の左頬も奴の短銃から放たれた鉛玉が掠めていく。左右それぞれの頬から流れ出た生温かな赤い雫は、頬をぬるりと伝い吸い込まれるように地面へと消えて行った。
「……やはり君か、アルフォート君。……どうだい?その後の君の人生は。私の元から逃げ出したその先で光明はあったかい?」
「ああ……あんたのおかげだ、フリードリヒ。あんたのおかげで俺は……俺は自分が見ている世界の視野の狭さに気付く事ができた。……こんな人生だからこそ、手に入れたものがある!!だからこそ言える!フリードリヒッ!!あんたは間違っている!!!人を利用し大義の為ならば罪もない民を犠牲にするあんたは間違っている!!」
「この国を見て来た、か。ならば君にもわかるだろう?この国が今酷く膿んだ傷口を抱えているということを。確かにこれまでにブルボンという王が出現し、神がこの国の贖罪を命じになったかと思える一条の光が射した事があった。だが、残念ながら、その王も運命の手から見放されてしまった。……息絶え絶えのこの国の民は今、自らの傷を癒してくれる者を待ち望んでいる。幾たびの略奪、重税や貴族どもからの搾取に決着を着けてくれる者を、永年にわたって化膿した傷口を手当てしてくれる者の出現を。自らがその膿であるとも気付かずに、な。自ら重い十字架を背負う事はせず、リスクを何一つ背負おうともせず安全な場所から不平や権利ばかり口にし主張する膿腫―……それがこの国の民だっ!!!」
「……フリードリヒ、あんたは憐れな人だ。自分だけはこの国を癒せる特別な人間であると思い込もうとしている。あんたのことだ、こう考えてるんだろ?”ならば与えてやろうではないか。支配されるという特権を。全ては自分が管理し、導いてやろう”って。……あんたは気付いていない。いや、気付かないふりをしている。そんなあんた自身も愚かな民の一人にすぎないって事に。あんたも俺も賢者にも勇者にもなれやしない。いや、この世界に賢者や勇者なんて一人として存在しないんだ。皆等しくただ一人の人間である以上、それ以下にもそれ以上の存在にもなれるはずがないっ!!」
俺はけして賢者にも勇猛果敢な勇者にもなれない。今俺がこうしてここに立てているのは皆が俺の背中を支えてくれているからだ。ミルファスさんやアルカイド、オスカー、フルオライトさん、ピエール、刻にセデル、ブランチュール教皇にそして……ルマ。
全てを捨てて逃げ出した先で出会った民が、今フリードリヒが膿となじったこの国のみんなが俺を今日この場所へ立たせてくれたんだ。
だからこそ許せない。許してはならないと俺の心が命じる。この国の民衆を膿となじり力で支配し、利用するだけ利用し切り捨てようとしたこの男を許すわけにはいかない。
「皆等しく民である、か。……アルフォート、君のその愚直なまでの清廉さを確かに膿どもは好ましく思うだろう。君の手は私や教皇のようにまだ汚れていないからな。だが、いつか君の手も汚れる時が来るだろう。その時膿どもは喜んで手のひらを返したように君を責める。これは予言でもなんでもない。今までの歴史が証明している。その時が来た時、君はどうするつもりだ?」
「その時は……俺が消えるだけだ。フリードリヒ、あんたのようになる前にな。俺を支えてくれている皆を薄汚い膿となじるようになる前に俺は、俺が消える事を選ぶっ!!」
槍の柄を短く持ち、強く地面を蹴り上げた。一点、ただ一点を目掛けて槍をつがえ突進する。突きを繰り出した刹那、硝煙の臭いがすると同時に自身の身体から再び赤い血飛沫が噴出した。鉄錆によく似た不快な臭いが酔いそうな濃度で漂う。ぐらり、と見える世界が歪み、堪らず片膝をつく。
「……強く……またこざかしい詭弁を、言うように……なったものだ」
深い銃創が刻まれた左腕がだらりとだらしなく垂れる。流れる血をそのままに俺は、その男を見下ろしていた。左胸に深々と槍を刺され、乱れる息の合間から今際の言葉を紡ぐ男を。
「……誰かがこの国の膿や歪みを……正してくれることを……願っていた……その誰かに……なりたかった……」
「フリードリヒ……」
「不思議なものだ……今際だというのに―……だからこそ、だろうか……心が、不思議なほど……凪いで……いる……」
少しずつ色を失くし濁っていく瞳で見つめているのは今この瞬間なのだろうか……それとも過去の―……この男が踏み越え積んできた残滓なのだろうか?……分かることは、今この男が浮かべている表情が穏やかなものであるというだた一つの事実だけだ。
「これで……よかった。これでいい……。そして公表するがいい。この国で起きたゴイムの虐殺以降の全ての動乱は全て……私が仕組んでいた事である、と。巨悪を用意する事で―……国をまとめる事も……容易になるだろう」
「……!!!!?あんた……あんたまさか最初からそのつもりで……!最初から自分が解放軍に討たれるつもりで出撃したのか!!?」
「結果論……だ。私が君を討てていたならば……君とブランチュール教皇に全ての罪を……被せていただけの、こと。この国を一つに……大きな国としてまとめる……その為の敷石に……」
喉が酷く乾いていた。言葉も乾き、出てこないぐらいに。辛うじて出てくるのは酷く乱れた息だけ……
「流石に、少し……疲れた……アルブス……妹、よ……今お前の、傍に……小、毬……幸せな明日を……いき……ろ……」
風が往く。フリードリヒの最期の言葉を散らし、命と共に霧散させていく。それは男の骸を抱いて、慰めるかのように過ぎて行った……
≪フリードリヒ・コミンテルン/アルフォート≫
だが、残念ながら神は活動の最盛期に彼を運命の手から手放されてしまった。
こうして息絶え絶えのこの国は、今自らの傷を癒してくれる人を待ち望んでいる。
幾たびかの地方の略奪、更には重税に決着をつけてくれる人を、長年に渡って化膿した傷口を手当てしてくれる人を、その方の出現を待ち侘びている。
誰の目にも映るように、今この国は、この野蛮な外敵の残酷な横暴から救ってくれる人物を遣わしたまえと神に祈りを奉げている。
誰の目にも明らかなように、旗を掲げて立ち上がる人があれば、この国は旗幟の元馳せつける心意気が出来ている。
【君主論 第26章】
白い旗がけして遠くない場所で棚引いている。我々が掲げた赤旗と対を成す旗は、春先の少しけぶった青の元でやけに栄えて見えた。無数の白旗と、この国各地に点在する潰し損ねた諸侯、民衆、そして王女と旧・新教会それぞれの首長という強力なカードを携えて、あの若者は私の前に帰って来た。
「フリードリヒさん……やはりフリードリヒさんは王城へお戻りください……!」
「生憎だが……今更私だけが安穏と城へ引き下がるつもりはないよ、エテル。それに王城での籠城戦は逆に不利になるだけだ。赤軍の各地方の同志が壊滅したとなれば、城で耐えたとしても援軍は期待できない」
「ですが……!フリードリヒさんは赤軍の総大将です!自ら前線に赴く総大将なんて聞いた事もありません!!それに……フリードリヒさんは私にこう教えてくださったじゃないですか……!例え末端の”手足”が捥がれ、失ったとしても、”頭”さえ無事であれば再生する。組織とはそういうものだと、私に仰って下さったじゃないですか……!お願いです……!城へお戻りください……!」
私の前に躍り出て両手を広げ、進む事を拒もうとする彼女を見下ろし、一つ息を吐き出した。赤軍から逃げる事も出来ただろう。今世間で流布されている噂も耳にしてきたであろう。彼女の理想とするものとはかけ離れた私の元へ、それでも再び帰って来た若い同志の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
懇願、哀願とも呼べる表情で私を止めようとするエテルとは対照的に私の心は不自然な凪いでいた。微かな笑みが口角に浮かぶほどに。
「定石通りに動けば全てうまくいくという単純なものでもないのだよ、エテル。それに指揮官が前線に出ているのは反乱軍とて同じ事だ。指揮官が自ら前線に出るだけで兵士全体を鼓舞し、士気を大幅に上げる事も出来る。……反乱軍の士気は高い。烏合の衆にも拘らず、だ。ならば、私自らも前線に出て同志諸君と共に戦う以外の選択はないんだよ」
「ですが……!」
「……いかせてやれよ、エテル。同じなんだ。……エテルがここに戻って来たのと同じなんだよ。……そいつの想いってやつは」
尚も食い下がろうとしないエテルを諫めたのは私ではなく彼女と共に赤軍陣営へとやって来た翼手の翼を持った青年だった。彼が紡いだ言葉の意図が分からないエテルではない。瞳を長い目蓋と共に伏せ、強く瞑ると、彼女は緩慢な動作で広げた両の手を下ろし私に道を譲った。
「……聞けッ!!同志諸君!!あそこに見えるのが我々が築いた秩序に仇なす逆賊―……反乱軍である!!諸君らが、ここに立てなかった同志諸君がやっとの思いで、汗と血と屍を積み上げ築いた秩序を踏み躙らんとする反乱分子だ!!諸君!我が同志達よ!共に行こうではないか!!正義の槌を奮おうではないか!!行こう!!我々が築いた骸の上の秩序を脅かす愚か者どもを駆逐するのだ!!」
……人は生まれは選べないが、死に方を選ぶ権利はあるのだろうか?
++++++++++++++++++++
一人、そしてまた一人と味方が倒れていく。皆背を向けず、敵を、赤軍の方を向き前に向かって倒れていた。そのまだ温かな屍を踏み越えて前進を繰り返す。……狙うは赤軍総大将―……フリードリヒの首ただ一つ!!
各地の赤軍が瓦解しても尚、中央軍が総倒れとならないのは何故か?今だ統率が保たれているのは何故か?それはあの男がいるからに他ならない。フリードリヒは恐怖で、甘言で、暴力で冷徹に人の心を支配する。赤軍の精神的な支柱は疑いようがない、フリードリヒという一人の男だ。
言い換えれば、奴を倒せさえすれば赤軍は機能を維持できなくなり瓦解するだろう。
「フリードリヒッ!!」
自分の体重を乗せて突き出した槍の刃は、奴の右頬を微かに掠め、傷を残した。と、同時に俺の左頬も奴の短銃から放たれた鉛玉が掠めていく。左右それぞれの頬から流れ出た生温かな赤い雫は、頬をぬるりと伝い吸い込まれるように地面へと消えて行った。
「……やはり君か、アルフォート君。……どうだい?その後の君の人生は。私の元から逃げ出したその先で光明はあったかい?」
「ああ……あんたのおかげだ、フリードリヒ。あんたのおかげで俺は……俺は自分が見ている世界の視野の狭さに気付く事ができた。……こんな人生だからこそ、手に入れたものがある!!だからこそ言える!フリードリヒッ!!あんたは間違っている!!!人を利用し大義の為ならば罪もない民を犠牲にするあんたは間違っている!!」
「この国を見て来た、か。ならば君にもわかるだろう?この国が今酷く膿んだ傷口を抱えているということを。確かにこれまでにブルボンという王が出現し、神がこの国の贖罪を命じになったかと思える一条の光が射した事があった。だが、残念ながら、その王も運命の手から見放されてしまった。……息絶え絶えのこの国の民は今、自らの傷を癒してくれる者を待ち望んでいる。幾たびの略奪、重税や貴族どもからの搾取に決着を着けてくれる者を、永年にわたって化膿した傷口を手当てしてくれる者の出現を。自らがその膿であるとも気付かずに、な。自ら重い十字架を背負う事はせず、リスクを何一つ背負おうともせず安全な場所から不平や権利ばかり口にし主張する膿腫―……それがこの国の民だっ!!!」
「……フリードリヒ、あんたは憐れな人だ。自分だけはこの国を癒せる特別な人間であると思い込もうとしている。あんたのことだ、こう考えてるんだろ?”ならば与えてやろうではないか。支配されるという特権を。全ては自分が管理し、導いてやろう”って。……あんたは気付いていない。いや、気付かないふりをしている。そんなあんた自身も愚かな民の一人にすぎないって事に。あんたも俺も賢者にも勇者にもなれやしない。いや、この世界に賢者や勇者なんて一人として存在しないんだ。皆等しくただ一人の人間である以上、それ以下にもそれ以上の存在にもなれるはずがないっ!!」
俺はけして賢者にも勇猛果敢な勇者にもなれない。今俺がこうしてここに立てているのは皆が俺の背中を支えてくれているからだ。ミルファスさんやアルカイド、オスカー、フルオライトさん、ピエール、刻にセデル、ブランチュール教皇にそして……ルマ。
全てを捨てて逃げ出した先で出会った民が、今フリードリヒが膿となじったこの国のみんなが俺を今日この場所へ立たせてくれたんだ。
だからこそ許せない。許してはならないと俺の心が命じる。この国の民衆を膿となじり力で支配し、利用するだけ利用し切り捨てようとしたこの男を許すわけにはいかない。
「皆等しく民である、か。……アルフォート、君のその愚直なまでの清廉さを確かに膿どもは好ましく思うだろう。君の手は私や教皇のようにまだ汚れていないからな。だが、いつか君の手も汚れる時が来るだろう。その時膿どもは喜んで手のひらを返したように君を責める。これは予言でもなんでもない。今までの歴史が証明している。その時が来た時、君はどうするつもりだ?」
「その時は……俺が消えるだけだ。フリードリヒ、あんたのようになる前にな。俺を支えてくれている皆を薄汚い膿となじるようになる前に俺は、俺が消える事を選ぶっ!!」
槍の柄を短く持ち、強く地面を蹴り上げた。一点、ただ一点を目掛けて槍をつがえ突進する。突きを繰り出した刹那、硝煙の臭いがすると同時に自身の身体から再び赤い血飛沫が噴出した。鉄錆によく似た不快な臭いが酔いそうな濃度で漂う。ぐらり、と見える世界が歪み、堪らず片膝をつく。
「……強く……またこざかしい詭弁を、言うように……なったものだ」
深い銃創が刻まれた左腕がだらりとだらしなく垂れる。流れる血をそのままに俺は、その男を見下ろしていた。左胸に深々と槍を刺され、乱れる息の合間から今際の言葉を紡ぐ男を。
「……誰かがこの国の膿や歪みを……正してくれることを……願っていた……その誰かに……なりたかった……」
「フリードリヒ……」
「不思議なものだ……今際だというのに―……だからこそ、だろうか……心が、不思議なほど……凪いで……いる……」
少しずつ色を失くし濁っていく瞳で見つめているのは今この瞬間なのだろうか……それとも過去の―……この男が踏み越え積んできた残滓なのだろうか?……分かることは、今この男が浮かべている表情が穏やかなものであるというだた一つの事実だけだ。
「これで……よかった。これでいい……。そして公表するがいい。この国で起きたゴイムの虐殺以降の全ての動乱は全て……私が仕組んでいた事である、と。巨悪を用意する事で―……国をまとめる事も……容易になるだろう」
「……!!!!?あんた……あんたまさか最初からそのつもりで……!最初から自分が解放軍に討たれるつもりで出撃したのか!!?」
「結果論……だ。私が君を討てていたならば……君とブランチュール教皇に全ての罪を……被せていただけの、こと。この国を一つに……大きな国としてまとめる……その為の敷石に……」
喉が酷く乾いていた。言葉も乾き、出てこないぐらいに。辛うじて出てくるのは酷く乱れた息だけ……
「流石に、少し……疲れた……アルブス……妹、よ……今お前の、傍に……小、毬……幸せな明日を……いき……ろ……」
風が往く。フリードリヒの最期の言葉を散らし、命と共に霧散させていく。それは男の骸を抱いて、慰めるかのように過ぎて行った……
≪フリードリヒ・コミンテルン/アルフォート≫
