第19章 死に方の選び方


私があなたを愛したようにあなた方が互いに愛し合うこと、これが私の掟である。

友の為に命を捨てること、これ以上の愛を人は持ちえない。私が命じることを行うなら、あなた方は私の友である。もう私はあなた方を僕とは呼ばない。僕は主人が何そしているのか知らないからである。

私はあなた方を友と呼ぶ。私は父から聞いたことは全て、あなた方に知らせたからである。あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を選んだのである。

私があなた方を任命したのは、あなた方が出掛けて行き、実を結び、その実がいつまでも残る為であり、またあなた方が私の名によって父に願うことは何でも叶えていただけるようになる為である。

あなた方が互いに愛し合うこと、これを私はあなた方に命じる。


【ヨハネによる福音書 第15章】






「待っておくれ。帰る前に、お前さんに言いたいことがあるんだ」


半歩足を引き踵を返そうとした自分を引き留めたのは少し震えた彼女の声だった。踵を返さずそのままの位置から彼女を見下ろせば、声と同様少しだけ体を震わせる彼女がいた。

怯えさせてしまったのだろうか?予想だにしない俺の言葉や行動で混乱させてしまったのだろうか?彼女が震える原因が自分自身にあるだけに、自身の早まった行動への後悔が苦い笑みとなり表出した。

一瞬の間があった。時間にしてしまえば数秒ほど僅かな間だ。だが、彼女が次に紡ぐ言葉を探しているであろうその数秒が自分には酷く長いもののように感じられた。

沈黙の不可視の幕を薄烟が吐く息が揺らし、霧散させていく。


「まさかお前さんからその言葉を聞けるとは思っていなかったよ…けど、とても嬉しい。なぜならね…あっしも、同じなんだ。あっしも、お前さんのことが…ラント様のことが好きだ」


鏡が目の前になくても分かる。一瞬にして自分の瞳が瞠目したことが。縦に見開いた瞳に真っすぐ自分を見上げる彼女の姿が戦列に映る。



「今日お前さんのところに来たのは、贈り物のお礼を渡すためなのはもちろんだけど…一番の理由は、純粋にお前さんに会いたかったから。少しでもお前さんと長くいたいと思ったからなんだ。今までは仕事一片だったあっしだけど…こういう気持ちになったのは初めてだ。本当にありがとう、ラント様」


ふわり、と空気が動いた。先程自分が彼女を抱きしめていた時に感じていた温かさ、愛おしさが再び胸に去来する。


「薄烟」


「……うん」


それは流れるような口付けだった。お互いの吐息も絡み合った指先もそのまま流れるかのように―……優しく弛緩し絡んでいく。何者にも侵されることのない愛おしい時があった。

角度を変え何度も、何度も―……決して言葉では伝えきれない万感の想いを彼女に伝えるために唇を重ねた。繰り返される口付けに息苦しさを覚えた彼女が僅かに開いた薄い唇の間に自分の舌を捻じ込み、逃げようとする彼女の舌を捉え絡めた。

愛おしさが身体を巡る。彼女の自分とは違う体温を感じながら両の瞼を閉じた。確かの命のが伝わってくる。

今なら信じられるような気がした。一瞬は永遠だと。永遠は一瞬なのだと。


視界の外れで先程植えたばかりのミヤマキリシマの苗が、風に揺れていた。



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「……起こしてしまったか?」


「……ラ、ント……その、あっしは……」


「恥ずかしがることはないだろう?……綺麗だった、とても」


彼女に自分の想いを伝え、そして彼女の答えを聞いたあの季節から数か月の時が経っていた。その間少しずつ、互いの距離を縮めてきた。身体も、心も。互いに手探りで、不器用に。

布越しでは感じられない彼女の肌の柔らかさや甘さ。愛おしい体温が遮るものなく伝わってくる。人肌とはこんなにも気持ちいいものだったのかと、改めて彼女を抱きながら強く感じた。


「まだ朝の鳥も鳴く前だ。もう少し眠っていても大丈夫だが……」


「……明けの鳥が鳴く前、か。あっしは気を失っていたんだね。……何だか不思議な感じがするねえ。まだ夢の中にいるようで……体はふわふわするのに奥で火が燃えているようなそんな感じがするんだ……」


深い息が昨晩何度も重ねた彼女の唇から零れ落ちる。彼女が言ったように寝息のような、まだ夢を見ているかのようなまどろんだ吐息。薄らぼやけた潤んだ瞳。そして暁の黎明の光を浴びて微かに光る白い肌、その肌に散る自分が昨夜残した赤い欲の花の痕。彼女の全てが蠱惑的で―……俺の胸を満たしていく。


「できれば俺はもう少しだけ薄烟とこうして休んでいたい」


「ふふっ……何だかくすぐったいねえ」


窓辺から這いよる冷気が彼女の肌に刺さらぬように包むように抱きしめれば、腕の下でもぞり、と彼女は小さく身じろいだ。彼女が冷気に当たらぬよう自分が温めている気になっているが、実際温められているのは自分の方なのかもしれない。癒され満たされているのは―……俺の方だ。


「薄烟……もう一度聞くが―……薄烟は最後まで王都に残るつもりか?」


「……お前さんは言わないんだね。あの店を畳めとは……」


「あそこが薄烟にとって何よりも大切な場所だと知っているからな。……それにお前のことだ俺が店を畳んでこの屋敷に逃げて来い。と言ったところで素直に首を縦には振らないだろう?」


言葉ではなく首を一つ縦に振ることで肯定した薄烟の前髪を片手で掻き上げ、一つまた口付けを落とした。……心底惚れた女が考えることだ。自分がそれを想像することは決して難しくはない。

例え俺がいくら説得しようが彼女は店を畳み逃げるという選択は選ばないだろうし、選べないだろう。彼女は理解しているからだ。戦時であれば、いや戦時中だからこその日常の尊さを。

慌ただしく厨房から湯飲みと茶菓子を揃えた盆を運ぶ、あるいは一つ一つ丁寧に練り切りを包み、丸める。まだ熱いもち米をつく。日常が切り取られた風景を見て癒されるもの、平時と錦江の変わらぬ光景に元気付けられる街の人間は間違いなく存在している。あの店はただの菓子店ではなく、日常の象徴ともいえる店なのだ。

彼女は店を離れられない。ならば俺が四六時中そばについていてやれればいいのだが―……


「お前さんにはお前さんの土地があるだろう?あっしに錦江っていう守るべき場所があるみたいに、ラントにはラントの守るべき場所がある。だからお前さんにもお前さんの守るべき場所を守ってほしい。……それにお前さんの家の庭にはあっしの深山霧島も咲いてることだしね」


ああ……叶わない、とても。


柔和な笑みに芯の強さが見えた。決して折れない竹のようにしなやかな芯だ。その芯に自分は惚れたのだ。


「……薄烟」


「なんだい?」


「必ずお前と錦江を守る。……そう約束させてくれ」


俺は立場上彼女のそばにずっといてやることができない。だが、ただこの状況を手薬煉を引かずに待つこともしない。できることはある。彼女と彼女の大切な場所を守るために俺が取れる手段はまだ、ある。






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「ここがラントが言ってた錦江って菓子屋か~?自分がここに来れない間の用心棒をしろって話だったけど……話はついてんのかね?あっ、いっか!中に入ってから考えりゃいい話だしな!!たのもーーーー!!!俺ジュンっていうんだけどさーーーー!!!!誰かいるーーーーーー!?」


《ラント・ブラウン》
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